005

 いつの間にか――僕が入浴している間に準備していたのだろう――キッチンの方で動いていたらしいメタリックなオーブンが、不思議な音を立てて止まった。チン、というこの不可思議な音を、いつかの女神様は「デンシオン」と呼んでいた。少し未来の世界で発明される「デンカセイヒン」だ、とも。まあ、その言葉の意味するところは、まるで分からなかったけれど、しかしそれが、僕たち現代人の知っている石釜のオーブンよりも遥かに優れていることは何となく理解できた――オーブンから現れたのは、アップルパイだった。

 一人一ピース(僕のだけ少し多めなのは、いつものことである)と、それにダージリンを添えて、整然とテーブルに並べた女神様は、再び席に着くと、紅茶を一口飲み下した。

「確かに、あたしはアムラバキ内での出来事はほとんど把握しているのだけれど、さっきの話の続きじゃないが――ルールがあるから、全てを把握できているわけじゃないんだ。特にウルメナオ国内で起きている事については全くノータッチでね。ウルメナオの領土内を観測することはおろか、鑑賞することも出来ないんだよねえ」

 女神様の言に対し、セレナは訝しげな声を上げた。

「じゃあ、そもそも、女神様がウルメナオの人を攫うなんて不可能じゃないですか」

「ああ、だからそう言っている。あたしは無罪だ。そもそも、ノートちゃん以外の人間にはあんまり興味がないし、攫う理由もないんだから、正直なところ、その、君たちの言うところの『神隠し』とやらにも、あまり興味が無いんだよね、悪いけど」

「でも、それならどうしてノートにこの事件を調べさせていたんですか?」

 ここまでの道すがら、と云うか、燃え枯れた林道を進む際中、情報共有のために僕は、以前(正確には二週間ほど前あたり)から、『神隠し』の真相を独自に追っていた旨のことをセレナにも伝えていたのだった。勿論、その過程で得た情報や独自に捜査を開始した動機――女神様のお願いのために調べていたことも含めて全て、洗いざらい、喋っていたのだった。もっとも、その結果分かったことは、この二週間の僕の努力は無駄だった――神隠しに関与していると思われていた僕は、町民から避けられ疎まれ、謀られていたらしい、と云うことだったわけだけれど。

 道理で目ぼしい情報にありつけないはずだ。

 しょんぼり。

「興味が無いなら、別に、下手に手を加える必要は無かったんじゃありませんか?」

「そうもいかなかったんだよ。だって、ほら、君たちの町の連中と来たら、ノートちゃんとマウル君のことをいの一番に疑い始めただろ? あたしの命令に従って、町の奴を攫っているのはきっとあいつらに違いない――ってな具合に」

「まあ、確かにその通りですけど……」

「だからあたしは、ノートちゃんとマウル君の嫌疑を晴らすため、ノートちゃんに事件を調べさせていたのさ。まーあ? それっぽい有用な情報を持ってきたのは、今日が初めてだったけどね?」

 ぐぬぬ。

「いやあ、やっぱりノートちゃんはあたしがいないとダメなんだなあ」

 女神様は嬉々としてそんなことを言うけれど、僕としては面白くないし、面目ない。「仕方ないだろ、町の連中が僕を騙してたんだから」と言い訳すれば、女神様は「そうだねえ、許せないよねえ……じゃ、いっそのこと、滅ぼしちゃう?」とニコニコしていた。

 怖え。

「本気で言ってるんですか?」

「いやいや、女神流の冗談だよ、お嬢ちゃん。だから、ほら、そんなに凄まないでよ。怖いってば、マジで」

「次言ったら、私が貴女を斬りますから」

「物騒な事を言うね、君は。でも、そう言うところはアスターナにそっくりだ。あの男も、顔を合わせるなりあたしを斬ろうとしたからねえ。いやあ、思い出すだけでも腹立たしいぜ……ところで、アスターナは元気なの?」

「元気って……何代前の人だと思ってるんですか。とっくに死んでますよ」

「あらあ、そうなの? 道理で面はあんまり似てない訳だ。アスターナってば、ゴリラみたいな顔してたからなあ。アレの娘が、君みたいなナイスバディの美人な訳ないか」

 あはははは。

 そう快活に笑った女神様だけれど、他人のご先祖に対して失礼過ぎやしないでしょうか? いやまあ、死人に口なしと謂うし、どんな風に形容したところで、今を生きる僕らには関係の無いことだけれど――しかし、アスターナ様って、ゴリラ面だったんだ、知らなかったぜ。七天武騎が主役の小説なんかの挿絵では、かなりの美丈夫として描かれているはずだけれど、これもあるいは死人に口なしってことなのだろうか。いや、この場合は、人は過去を美化する傾向にある、と謂う方が正しいのかも知れないけれど。

 まっ、いずれにしても本題ではない。

「アスターナ様の容姿については諸説あるだろうから、それはそれとして――森の中でのことなら全て把握してるんだよね?」

 僕の問に、しかし女神様はうーんと唸った。

「確かに、森はあたしのテリトリーだから、大抵のことは把握できるんだけどね……、ルールってのは、何も、一つじゃあ無いんだ」

「すると?」

「ノートちゃんが生まれるよりもずっと前――二百年前くらいかな――に、あたしは、この森に棲む、ウルメナオ人以外の民族とも約束を交わしちゃってるんだよねー。まあ、そう重たい約束でも無いんだけど……そうだなあ、端的に言えば、プライバシーの保護――あたしは、太陽が昇っていない時間、森の中を観測することが出来ないんだよね」

 ――知らなかった。

「そうかい? でも、あたしはいつもきつく君に言い聞かせてただろ? 夜の森は危ないから、特別な用事が無い限りは、絶対に森へ入ってはいけない、ってさ。あれは、だからそういう意味だったんだよ」

「そうだったんだ」

 なるほど、言われてみれば、確かに僕は、女神様と出会う切っ掛けとなった六歳の頃の大冒険以降、律儀にも、夜の森に立ち寄ることは無かったから、夜の女神様がどれほどの権能を持つのかは知らなかった――とは云え、夜の森を観測できないことが、どうしてプライバシーの保護に繋がるのだろうか?

「それは、まあ、黙って察するところだよ、ノートちゃん」

「……でも、それじゃあ、昼間なら問題なく把握できるんだろ?」

「まあね、昼間ならば十全と観測可能だ――ちなみに、アンキボロ族の集落が蛻の空になっていたのは、三日前だと言ったけれど、その行方は知れない。森を出て、ウルメナオ領土内に這入ってしまったから、その後の足取りは追えていないんだ」と、女神様は紅茶に口を付けてから「折角用意したんだから、君たちも、そうべたべたしてないで食べなよ。あたしが育てた林檎をふんだんに使ったアップルパイだ、絶品だよ」そう付け足した。

「……何が入ってるのか、分かりませんから」

 しかしセレナはひどく警戒しているようで、僕から離れてフォークに手を伸ばすどころか、むしろより強力に僕の腕を抱きしめた。守ってくれている――のだろうけれど、そのアップルパイの味を知る僕からすれば、勿体ないと云わざるを得ない。いや、確かに「今」は「いつも」とは違い、「さっき」のことがあるから警戒はするに越したことは無いのだろうが、僕は、ひょいと空いている左手を伸ばしてフォークを取った。

「あっ! ちょっと、ノート!」

「ほら、セレナも食べなよ。マジで美味いから」

 僕は、自分の分のアップルパイを一口分フォークに刺して、セレナの唇に触れさせた。はい、あーん。そしてそう言ってやれば、セレナは大人しく口を開け――くりくりした目をいっそくりくりと丸くして、女神様の方を見た。

「……これも魔法…………?」

「強いて言えば、そうなるかもね」

「やっぱり、何か入れたんですか?」

「ノートちゃんへの愛情をたっぷりと、ね」

 茶化されたセレナは、じっとりと女神様を睨みつけてから、恐る恐る紅茶にも手を付け――この時、彼女が再び目を丸くしたのは言うまでもない――一息ついた彼女は、またもや脱線しかけていた話を元に戻した。

コホンと咳ばらい。

「――アンキボロ族のことは知りませんけど、結局、士官学生の行方は分からないんですか?」

「さっぱり――と云うわけでもないぜ? これでも一応、アムラバキで唯一の神性をらせてもらっているからね。ただ、さっきから言っている通り、あたしは本当にノートちゃん以外の人間には興味が無いんだ。だから、正確でないのは勘弁してほしい。そのうえで聞いてもらえるのなら、君たちと同じくらいの年代の六人組には心当たりがある」

「本当ですか?」

「ああ、去年の夏前、いや、一昨年から似たような連中が森に出入りしてたんだけど、六人組だと云うのなら、やっぱり去年の夏前あたりからだろうね。彼らはお揃いの――色は違ったかもしれないけれど――ジャージ姿で、なんだか大荷物を背負っていたよ。そんで二、三日ほど野宿したら、さっさと帰っちゃうの。何がしたいのかよく分かんなかったけど、でも、秋口、だったかな。かなり森が赤くなり始めた頃に、アンキボロとはまた別の、レメナムムク族って云う民族のテリトリーに侵入して、やたら派手に喧嘩してたことがあったんだよねーって、この話なら、多分、ノートちゃんの方が知ってるんじゃない?」

 ああ、そうだね。

 頷いた僕が、女神様の話を引き継ぐ。

 去年の秋口と女神様は言ったけれど、ウルメナオ人とレメナムムク族がやたら派手に喧嘩をする羽目になった原因は、秋を迎えるよりも少し前に遡る――レメナムムク族の少女数名が、人攫いに遭ったのだ。

「人攫い?」

 首を傾げたのはセレナだった。

 こう云う時ばかりは、浮世絵離れした大貴族の彼女が羨ましくなる。

「お嬢ちゃんも、ウルメナオで奴隷制が認められているのは知っているよね?」

「ええ、知っています。私の実家にも、何人か居ましたから……でも、奴隷ってアレですよね? 国から借りたお金を返せなくなった人や、終身刑を課せられた人とかに課せられる義務――」

「表向きはね。だからあたしは、ウルメナオが嫌いなんだ」

 女神様は吐き捨てるようにそう言った。

 僕は、えっと、取り直すようにそう言う。

「ウルメナオの奴隷には、セレナが言った人たち以外にも、海外の異邦人やヘダテルイウ山脈に棲む少数民族も含まれるんだ。まあ、一応は非合法だから、公の場で彼らが取引されるようなことは無いんだけど――でも、確かにそう云う人たちは存在していて、裏を返せば、そう云う人たちを調達する人たちも存在するってなわけで……。だから、レメナムムク族の少女数名が攫われたんだ」

 そして。

「偶然にも、その人攫いがあった直後にその士官学生たちは、レメナムムク族のテリトリーに入った。だから、やたら派手に喧嘩してたんだけど……僕は、女神様に頼まれてその仲裁をしたんだ――そうか、じゃあ、あの時の彼らが、失踪した六人だったのか!」

 驚くべきことに僕は、失踪した六名と、既に顔合わせは済ませていたのだった。もっとも、その時の僕は、まさか彼らが失踪するとは夢にも思わなかったから、ほとんど彼らについては憶えていないのだけれど。顔も声も服装も。喧嘩を仲裁した後で、彼らを町の方まで連れて行ったはずだが、ほとんど何も憶えていないのだ。強いて憶えていることがあるとすれば、別れ際に投げつけられた台詞くらいだろうか。

 ――お前にウルメナオ人としての自覚は無いのか?

 果たして当時の僕は、その台詞に何と答えたのだったか。それすらもまるで憶えていないけれど――とにかく、では、その後の彼らはどうだったのだろう? コノメロフ主任教諭の談に依れば、その後も彼らは懲りずに森を訪れていたようだけれど?

「ああ、その後もたまに来てたよ。来てた――けど、野宿するようなことは無くなってたね。来る頻度も明らかに落ちてたし。そんで、今年の一月の暮れに一度来たっきり、全く見なくなったよ」

「そうですか」

 セレナは頷いて、アップルパイの最後の一口を頬張った。

「でも、ウチの主任教諭の言い分では、春休み期間中――三月下旬です――にも森に入っている筈なんですけど、本当に一月に見たっきりですか?」

「ああ、それっきりだよ。それっきり、あの六人組は見ていない」

「……そうですか」

 しかしだとすると、失踪した六人は、いったい何処に消えてしまったのだろうか。まったく謎は深まるばかりだ――と、僕は、本題からは逸れてしまうけれど、この際だから気がかりになりそうなことは今のうちに解消してしまおうと思い、ねえ、と口を開いた。

「――どうして、アンキボロ族はウルメナオ国内に這入ったの?」

「さあ、なんでなんだろうね。実はあたしも知らないんだ。何の相談も無かったから」

「でも、集落の人が全員で森を移動するってなると、かなり目立つよね。それに時間も掛かるだろうから、夜の間に森を抜けきるのも難しいだろうし……、女神様なら、だから途中でアンキボロ族の動きに気付いて、駆け付けられたんじゃないの?」

 僕の問に、しばし黙した女神様は「ほんと不甲斐ないばかりだよ」と視線を、僕とセレナの後方――僕らの剣と彼女の猟銃が収まるショーケースへと流し、それから、組んだ膝に右ひじを突いて手の平に顎を乗せ、不貞腐れた様に溜息を零した。

「ノートちゃんの言う通り、確かにあたしはアンキボロ族の大行進を知っていた。この森を棲み家にする民族の中では最もウルメナオ領土に近いところで生活していたとは言え、女子供も含めた大行進だ。君らが二、三時間――まあ、ノートちゃんの脚力を、距離と時間の目安にするのは間違っている気もするけれど――それこそ、彼らはほぼ丸一日、歩き通しだったんだ。あたしが気付かないわけが無いよ。でもね――」

 そこで一旦、言葉を切った女神様は再び視線を流した。けれど、今度のは、何か意図があってのものでは無かった。要するに、そっぽを向いたのだ。

「女神は万能、という訳じゃあない。アムラバキに生きる命は、全てあたしの子供だなんて大言壮語を吐いたこともあるけれど、だからと言って、全ての面倒を一手に見られる訳じゃあ無いんだ」

 どことなく言い訳じみた――それこそ、子供の家出を弁明する母親のような台詞には、やるせなさみたいなものが多分に滲んでいた。とは云え、回りくどいその説明では、ずばり彼女がどうしてアンキボロ族の集団失踪を止められなかったのかが分からなくて、僕は、それでも彼女を労わるように「何があったの?」と優しく尋ねた。

「ノートちゃんも見ただろ?」

「何を?」

「魔物だよ、魔物が現れたんだ、一週間くらい前に、突然」

「ああ、それならミナーヴァが言っていたよ。時代の転換期には間々あることだって。でも、それとこれとに、何の関係があるの?」

「いいかい、ノートちゃん。魔物ってのは、天界や魔界、妖精界なんかを含めた、所謂常世と呼ばれる世界の住人だ。つまり、女神あたしと同郷の存在なわけだけれど――その前に、前提として聞きたいんだけどさ……君たちは、どうして、多くの神様が人間と似た姿をしているか、分かるかい?」と、話は突然に変わり、神学と哲学の狭間にあるような問を、女神様は投げかけて来た。それだから、僕もセレナも、即座には答を返せず、顔を見合わせて首を傾げた。

「……この世界の住人にはちーと難しかったかな。まあ、分からないならそれで良いんだ。分かっているからと言って、どうこうなる話でも無いからさ――じゃあ、正解っつうか、神様あたしらの見解を教えるけども、神様ってのは、すなわち原型だ。君たち人類の基礎にして、素因でもある。もっと言えば、常世とは、死後の世界では無くて、君たちの住む現世の原典なのさ」

 へえ。

 僕とセレナは二人そろって、間抜けな返事を口から零した。

「そして魔物だけれど、ノートちゃんは、初めて魔物を見たのは昨日だったよね?」

 頷く。

「なにか気付くことは無かったかい? いや、昨日見た魔物に限らず、先の蟷螂もどきやケンタウロスもどきと相対した時にも、何か無かったかい」

 何か気付くこと……考えてみるけれど、特にこれと云った答は思い浮かばなかった。強いて云えば、見たことのない姿だったのに、思いの外、容易く形容できたなあ、と云うことくらいだろうか。でもそれを、気付きとして善いのかは分からない。

「いや、それで善いんだよ」

 女神様は目尻を少しだけ下げた。

神様あたしらと同様に、魔物やつらもまた、現世の住人の原型なんだ。だから、見たことのない姿でも、それとなく形容できてしまうのさ」

「でもじゃあ、神様と魔物の違いって何ですか?」と、そう問うたのはセレナだった。彼女は続ける。「さっきの問の答じゃないですけど、神様が人間の姿に依っているのは、きっと、神様を信仰しているのが人間だからなんだと思います。なら、人外の姿に依っている魔物は、人外にとっての神様なんじゃ無いんですか?」

「はは、鋭いことを言うね、お嬢ちゃん。慥かに宗教と云うフィルターを通した神様っつうのはそう云うモノだ。その姿はいつだって、信奉者の願望に因る。だから君たち人類は大概の場合において、人間に近しい姿をしていない神性を、神様とは認めないんだ。でも、そんなのは、君たちによる分類でしかない。所詮、人間の杓子定規でしかない。それじゃあ、測れるモノも測れないぜ」

「……なら、神様と魔物は全く異なる存在なんですか?」

「ああ、そうさ。神様あたしら魔物やつらは全然違う――さっきも言ったけれど、常世とは、現世の原典だ。つまり現世に存在している遍く全てが、常世に存在するモノをベースに生成されている。そしてそれは、何も姿形だけの話じゃあない。概念や法則のような無形の事象もまた、常世をベースとしているんだ。現世こっちに無いものが、常世あっちに在ることは有っても、その逆は有り得ないってハナシ。んで、このことを踏まえた神様と魔物の差異だけど、それはずばり、知性の原型を有しているか否か、だ」

「知性の原型、ですか」

「そう、知性。まあ、君たち人類が、人と猿を区別するみたいな話さね。知性があれば神様だし、知性が無ければ魔物だし、ってね。けど厄介なのは、魔物は知性の原型を持たない代わり、欲求の原型だけはちゃっかり所持している――だから、ここ一週間は大変だったんだよ。アンキボロ族の集団失踪を止められないくらいには、さ」

 と。

 ようやく話は戻った。

「魔物の流入は、たしかに時代の転換期にはよくあることではあるし、それでなくとも、こっちに迷い込んで来る魔物は結構な数いるんだ。だから特筆すべきことでは無いのかも知れない。でもね、それにしたってここ最近の魔物の数は異常だ。ウルメナオ側はまだそこまでじゃないけど、ヘダテルイウを挟んだ向こう側なんか、もう滅茶苦茶だ。あたし一柱ひとりの手には負えないくらい、魔物がうようよしてやがる」

「大変だったんだね」と、僕。

「ああ、もうチョー大変だった! ……でも、どっかのクソ魔法使いの御蔭で、大分、落ち着いてはいるんだよねえ、癪だけど」

「それってもしかして、昨日の爆発?」

「それもあるけど、あの魔法使い、西側からアムラバキに飛んで来たからさ。ヘダテルイウを横断中に見かけた魔物を片っ端から掃除してくれていたんだよ、鼻に付くけど」

「じゃあ、今はもう、落ち着いてるの?」

「それなりに――じゃなきゃ、此処で暢気にお茶なんかしてられないよ」

 言って女神様は、大きな溜息を吐いた。そして――何事かを呟いた。蚊の羽音よりもなお小さな音を、まるで口の中だけで転がすようにぼそりと呟いたので、全く欠片も聞き取れなかったのだけれど、唇が微かに震えていたのは慥かだった。

 ――目が合う。

「ん? どうかしたかい?」

「いや、何でも、無い……」

 何を呟いたのか。

 そんな風に素直に聞けたら良かったのだが、その手の勇気を養う機会をついぞ逸して来た僕は、ただただ歯切れの悪い音を吐き出すだけに留め、紅茶を飲み干した。

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