第28話 大不正解

「勉強の方は大丈夫そう?」



 今日の夕食は刺身盛り。

 透はイカの塩辛を肴に日本酒に口を付けながら子供二人の話に耳を傾けている。

 亜妃乃はすっかり母親になったというか、遠慮もせず様々な質問を我が子にぶつけていた。

「大丈夫だと・・・思う」

「そう、部活は決めた?」

「んー?私はいいかなー」

「葵は?」

「僕は・・・まだかな」

 多少ぎこちなくとも家族の輪が徐々に形を帯びてきて、だからこそ戻ってこれなくなる。最初の位置に。

(あと半年もしたらお互い裸を見せあったって勝手に部屋に出入りしたって、急におならをしたって何とも思わなくなるんだろうな)

 義理でも家族になるということは意識をしなくなるということ。

 まだまだ日が浅くて、としてスタート地点に立てているから淡い期待だって許されてしまう。


「そういえば葵、愛内さんだっけ?彼女とは話したか?」


 突然、父が話題の名前を口にする。

「ん”」

 まさかの方向から尋ねられ咽る葵。苦し気に呻く彼の背中を柚香は優しく擦ってあげた。

「ありがと」

 喉奥に詰まった白飯をお茶で流し込み、すぅっと一息整え質問に答える。

「うん、仲良くやってる」

「(うわぁ~)」

 隣の柚香が引いてしまうほど満面の笑み。普段慣れていない作り笑いのせいで対面の二人も面食らったようだ。

「そっ、そうか。それならよかった」

「誰なんです?」

 亜妃乃は小声で透の脇腹を小突く。

「ん?入学式の時に挨拶してきた子でね、二人がいない時だったかな」

「中学の同級生?」

「そうらしいんだよ!それが可愛い子でさぁ、葵のことをとっても気に入ってるみたいで―――」

「まぁ!それはそれは」

 ムフフと頬肉が浮き眼差しが一段と細くなった亜妃乃。こういう時の大人というのは子供からしてみればとても面倒臭い。

「で、どうなんだ?」

 赤ら顔の父はお猪口を呷り息子の本音を引っ張りだそうとする。

「いやどうって」

「私はお似合いだと思うよ?今日だって帰る前二人で会ってたもんねー」

 柚香も目を細め先刻の状況を嘘偽りなく伝える。

「!?」

「あらあら」

 葵は食卓に出された蛸みたく白い素肌を透以上に染め、それはあなたが原因でしょうがと言いたげな視線を柚香に送る。


 ぷいっ


「っ!?」

「いやー葵にも遂に彼女ができるのか~」

「今度ウチに遊びに誘ってみれば!?」

 もうすっかりくっつけモードに入った両親に辟易することもなくただ恥ずかしそうに俯く葵。一体どこまで純朴なんだろう?嫉妬さえ覚えてしまう。


(それに比べりゃ私なんて)


 当てつけのように彼の秘密を明かしてしまったことに忸怩たる思いが染み渡る。

「ごめん」ボソッ

「え?」

 盛り上がる二人を尻目に僅かな声量で呟く。聴力に優れていた葵から紅さが引いてゆき、視線はお茶碗に移された。


 何とも言えない歯がゆさが、柚香の心を蝕む。


 ♦♦♦♦


 夕食後、一休みを終えて勉強に本腰を入れる柚香。

 何事もなく葵が帰ってきたが気懸かりはある。


「・・・」

 頬杖をつきながら過去問を解いていると、その時々の出来事が脳裏に浮かんだ。

 そういえばこの公式が出た時にあんなことがあったなぁだとか部活のこととか、思い出さなくてもいい情景まで記憶の淵から這い上がってくる。

 そんな柚香は掃除している時についつい漫画を読んじゃうタイプ。


 コンコンコン


「んっ」

 食後の眠気と闘っている最中ドアがノックされる。

「開いてる」

 この流れはいつもの流れ、夜の来訪者は一人しかいなかった。

「勉強、捗ってる?」

 ドアの隙間から顔を出す義弟。

「全然、手伝って」

「先お風呂入っちゃっおうよ」

「裸の付き合い、する?」

「・・・柚香さんって、そんな冗談言うっけ?」

 比較的からかっていた気はする。

「勉強よりも今日のことが気になって集中できない」

 デスクチェアに寄り掛かり首だけ葵に向ける。

 彼は黙って神妙な面持ちになったあと、話すことを決めたようだ。


「愛内さんに、僕達のことを言った」

「そう、何か言ってた?」

 目を泳がせる葵。何か迷っているように見える。

「・・・」

「何?」

 彼は美しくも儚い流し目で強張った肘に手を当て、序で肩を掴んだ。白い素肌の前腕に薄く描かれた血管が容姿からは認められない男らしさを感じさせ、不自然なほど見目麗しい女顔に唆られてしまう。

「その・・・二人の関係について・・・」

「関係って・・・家族だって言えたんでしょ?怒ってたの?」

「違うんだ、それはもういいって言われた。でもね―――」

「僕が柚香さんに対してどう思ってるんだって」

 ああ、そんなことか。

「どうもこうも、葵は何にも思ってないって答えたんでしょ?」

 平静を装っていても二人の関係をハッキリさせようとすればするほど、頭の奥がチカチカ擦れていく。そう、例えるならば学校の先生に怒られる事件を起こした直後みたいな感じ。

「―――そう、そう言った」

「ならいいじゃん。私も嘘とはいえ酷いことしちゃったし、謝らないとね」

「・・・」

「これで溜飲が下がったっていうかさ、スッキリした」

 柚香はふぅと息を吐き、風呂にしようと席を立つ。しかしドア前の葵は思い詰めているのかどこうとしない。

「通らせて」

「僕、愛内さんに言い訳するために、多分、思ってもないこと言っちゃった」

「・・・例えば?」

「柚香さんと暮らし始めて迷惑だとか困るとかって」

「それは―――」



 こっちだって。



 そんなこと思ってないのに、いっそ本気で嫌われたくて―――、





「私もちょうど、そう思ってた」





 ♦♦♦♦


 世の中諦めなければならないことはいっぱいある。

 大人になれば、成長すれば、自分自身の道を征けば、運命の人に出会えば、きっと変わる。

 だからちょっと傷付くくらいへっちゃら。そんなものは何回も味わった。

 この苦味も葵にとってはいいスパイスになるだろう。


 そう信じて、この道を選ぶ。


「そんなっ、本当に・・・?」

「本当も何も、葵は嘘でもそう言ったんでしょ?それって本心からきたんじゃない?大体いつまで経っても・・・ってまだ一ヶ月くらいしか経ってないけど他人行儀だし、あれだけ出掛けてもさん付けされちゃってるし」

「僕はっ」

「迷惑ってところはマジ同意。私ママから何にも聞かされないでいきなり再婚するって言われたんだよ?普通に考えてあり得ないでしょ?こっちの身にもなれっての」

「おまけに再婚相手に同い年の男がいるしさ、こないだみたく裸見られそうになったりプライバシーはどこだよって、そう思わない?」

「ほんっと私の気持ちなんてちっともわかんないで勝手に再婚して・・・、葵もさ、本心ではそう思ってたんだよ」

「人見知りを治すのだって私達の関係が周りにバレて、義弟が陰キャなのは耐えられないから治そうとしてんの」

 少年から血の気がみるみる引いてゆき、病的なまでの白に移り変わってゆく。

「っ・・・だからっ、よかったじゃんそう言えて」

「あんたがどう言おうが私は家族以上に何も求めないし、彼女のためにもあんまり仲良く振舞わない方がいいかもね」



「だって―――元は他人同士だったんだから」



 子供っぽいところ、まだ治らない。一番醜いのは私、嫌われるにしても限度がある。


 そんなの―――わかってる。


「そんな感じで、これからもよろしく」

 フルフル小鹿みたいに震えさせちゃって、何やってんだか。

 嘘でもそう言われたことに傷付いたのか、ケジメなのか嫉妬なのか、もう全然わかんないけど我慢できなかった。

 昔からいつもこうで、誰かを困らせてた気がする。

「それじゃ」

 無理矢理彼を押し退けて階段を駆け下りた。

 こんな状態じゃ勉強一緒にしようって言えないし、こんなメンタルじゃ風呂上がりも駄目だろうなぁ。


「お風呂?」

「うん、入っちゃう」

「そう」

 リビングで後片付けをしていた母にバレぬよう薄暗い階段を進んでゆく。

 足裏に冷たさが広がってきて、一刻も早く温まりたかった。


 ♦♦♦♦


「ふぅ」


 じんわり熱が体を包んでくれる。入浴剤のミルキーな香りが柚香の心を安らげると同時に、先刻の所業を猛省させた。


「いやいやホント糞莫迦だよ私は」


 自分でも何を言ってるかわからないくらい、溜まっていたものが噴出してしまった。

 余計な、抑えることを知らない罵詈雑言。いや、まだ喧嘩ならいい、私がやったのは拒絶、これで明日の朝におはようだなんて頭がイカレてる奴の行動。


 うんざりする。


「・・・」


 今は何も考えたくない。


 ♦♦♦♦


「起きてる?」


 葵の部屋のドアをノックしても返事はない。


(無視ですよねそりゃ)


 意を決してドアノブに手をかけた時、



 ガチャッ



 彼が出てきた。


 が、


「ごめん、今は話す気になれない」


 腫らした目元を見せぬよう過ぎ去る葵。


「・・・そうなるよねぇ」


 柚香は深い自責の念に圧し潰されそうになりながら、回らない頭でデスクチェアに座る。


 そういえば彼は日記を書いていると言っていた。

 もし今日も書くとして、この出来事を恨み辛み書かれるのならば悲しい。

 しかし原因は私にある。



「・・・」



 無言の溜息が増えた一日。



 柚香は今になって、この共同生活をうまく乗り切れるか不安になってしまった。

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