第26話 計画通り

「でね、その映画の脇役の人がなんとね」



 入学式も終わり帰ろうとしていたところ、愛内梨華からどうしても会えないかとの連絡があり一つ離れた駅に向かう葵。

 駅前の改札口で心を無にし待っていると、人混みの向こう側に一際目立つ女性が現れた。

 あちらもこちらに気が付いたようで、まるで大好きな人と待ち合わせていた恋人のように小走りで駆け寄ってくる。


「お待たせしました、待たせちゃった?」


 梨華は息を切らしながら尋ねてくる。

 葵は手で否定し待っていないと伝え、駅前にある行きつけのカフェに彼女を案内することにした。そこは中学の時に偶々散歩中に見つけた隠れ家的な所で、美味しいコーヒーを飲みながら静かに読書をしたい時に重宝している葵のであった。

「あれ?荷物は?」

「家の人に持って帰ってもらったの」

 家族ではなく家の人。愛内梨華の家はウチよりももっとお金持ちな家に住んでおり、確か家族以外に家事手伝いの人がいると言っていた。

 今朝は彼女だけが挨拶に来たから知らなかったが、仕事で忙しい両親に代わり出席したのだろう。

「そっか、朝も思ったけど制服似合ってるね」

「本当?嬉しいな」

 葵は煽てや賺しのような囃し立てる行為が苦手であった。だからこの異性を勘違いさせるような発言に下心はなく、中学のセーラーとは違い大人な彼女の体を引き立てるブレザーは称賛に値するもので、ただそれだけの意味を込め言っただけであった。

 では中身の梨華はどうなのかと問われると、矢張り葵の胸中には複雑なものがあった。

(僕みたいな奴、愛内さんには似合わないし、お情けで仲良くしてもらってるんだよ)

 眩暈がするほどの自己否定、何よりも得意なのは自分を蔑むこと。

 あくまで彼女は同じ委員会、同じ趣味を持った女子でそれ以上の感情なんて。

 そう思わなければ彼女が不憫でならなかった。


 葵は、気持ちが追い付いていないのに人を好きになれる自信がない子だ。


 もちろん同性で器用に振舞える者がいることは重々承知である。

 けれど梨華に対し彼女の肉体に好意を向け話しかける男子は少なくなかった。梨華もそれを知ってか必要以上に会話をすることもなかったが、下心は止まることを知らない。いや、恋愛なんて全てが性と欲の上に成り立っているのだからそう思うなというのは無理な話だが、それでも容姿のよくない女子と容姿のよい女子の扱いの差を考えると、なんだともいえないヒリつく感情が心の水面に浮かび上がってしまう。

 そう、葵は梨華に対し心奪われていない。

 それ即ち彼女が彼らと同じ立場にあるということ。

 梨華が心中どんなことを考えているかはわからない。

 けれど君も同じなんだと言ってあげたい。だから僕は君に友達としての付き合いしかできないと言いたい。

 けれどそれを言ったら、この楽し気に話す少女の笑顔を奪うことになるかもしれないから言えない。



 人は残酷だが、時としてその内は美麗に彩られる。



 それは客観的視点で得られた文学的な発想。

 実際はもっとおどろおどろしく醜くて自分勝手でどちらに転んでも傷つく人が出てしまう、美しさの欠片もない罵り合いや憎しみだって起こりうる。

 現状維持でそれとなく気はないと伝えているが、梨華は変わらず高遠葵を友達以上に見ていた。

(男子との付き合い方がわからないのかな?)

 中二の冬、クリスマスに出掛けないかと彼女に誘われ朝から夜まで時間を潰した。

 最初は本屋に赴いて、買った本をカフェで読み潰して、夕方にカラオケに行ってみた。慣れない歌唱にも彼女は不平の一つも零さず付き合って僕も場を白けさせまいと盛り上げてみた。


 そして帰り道、寄り添われた。


 それが男子に対する正しい接し方だと家の人に教えられていたのかもしれない。

 だから親しい僕に感謝の意を込めあそこまでやってくれたのだとしたら・・・。

 そう、最初の頃はただ付き合い方がわからないものだとばかり考えていた。


「暖房もちょうどいいし、音楽もいい感じでしょ?」

「ホント素敵な場所、葵くんはよく来るの?」

 慣れない名前呼びに恥ずかしさを覚えつつ、うんと頷く。

「誰か連れてきたりしたことは?」

「えっ?愛内さんが初めてだよ?」

 彼女の口角が更に引き上がった。

「よかった。それより名前、いい加減下の名前で呼んでほしい」

「でも・・・今までお互い名字だったし、調子狂っちゃうな」

「じゃあもっと仲良くなれれば呼んでくれる?」

「そういうことじゃないけど、善処はします」

「わかった」

 彼女の笑顔は能面に微笑が張り付いたように感じる時がある。

 それは大抵、こういう時であった。

「何か注文しようか?」

「えっと、僕はブレンドコーヒーにしようかな。ホットで」

「わたしも同じので」

 少し低めの一人掛けのソファーに向かい合いながら座る。ボフンと音が鳴りそうな座り心地の革製ソファーに背中を預け、改めて梨華の上から下までを見てみた。


(うっ)


 自然と視線が下半身に奪われ、黒タイツ越しのスカートの中に吸い込まれてしま

 う。


「んっ?」


 葵の視線に気が付いた梨華はふんわり微笑んだ。それはほとんどの男性を悩殺する天使の微笑で、同時に確実に意中を刈り取る悪魔の武器でもあった。

「え?いややっぱり制服似合ってるなって」

 照れ隠しにまた同じことを言ってしまった。

「ふふ、葵くんになら何度褒められても悪い気はしないな」

「ねぇ!それよりこないだ話した映画のことなんだけど―――」

 大学生くらいの女性店員が飲み物を運んできたのを皮切りに、梨華は貯めておいたエピソードを次々と披露し始める。

 それは傍から聞けば他愛もない日常的な話だが、彼彼女にとっては二人が繋がるための大事な鎹の役割を果たしていて、こういう時に欠かせないものであった。


 ♦♦♦♦


「そろそろ帰ろうか?」


 二階の窓に差し込んでくる暁色が彼女の青黒く伸ばされた長髪に反射し、目がチリチリする。

「そうだね、いっぱい話したいこと話せたし、帰り道に何かあったらわたし困っちゃう」

「それは僕の台詞だよ」

 葵は笑って受け流し席を立った。

「僕が払うから、先下に下りてて」

「だめよ、いつも割り勘にしてるのに」

「いいってば、入学祝い」

「でも―――」

 思い悩む彼女を置いてちゃっちゃと精算を済ませる葵。

 普段異性に対しどう振舞えばいいかわからない割に梨華に対しては常に百点満点の対応を行っていた。


「・・・」


 茜色に染まる珈琲の香りが充満するシックな店内。梨華は彼の背中を見つめ春休み中に考えていた計画を実行に移すと決めた。


「ごちそうさま、葵くんがよければまた来たいな」

「うん、また来よう。とりあえず明日から学校生活とテストが心配」

 古びた木造の階段を下りると辺りにはもうすっかり夜の気配が。鳴り響く豆腐屋の喇叭の音、買い物途中の主婦の井戸端会議から漏れる秘密の話、沿線沿い特有の華やかさ、自転車のベルが鳴り響いていいる。

 何もかもが変わってないこの辺りの空気を胸いっぱいに吸い込んでいると、制服の裾を引っ張られた。

「?」

 振り向くと梨華が思い詰めたように俯いており、話を聞く。

「あのね、帰る前に少しだけ話がしたい」

「いいけど―――」

 それを聞いた梨華はついてきてと促し、葵は訳も分からず後ろにつく。


「あそこ、座ろ」

 そこは徒歩数分の大きなため池がある公園だった。しかしもう夕飯前だからか子供はおろか散歩をしている人影さえない。

 葵は指示されるまま乾いたベンチに座り、彼女も隣に腰を下ろした。


 ただ一点、近すぎる距離感が気になったが。


「あのね、わたし高校ではもっと葵くんと仲良くなりたいの」

「?、僕達ってそんなに仲良くなかった?」

「違くて!」

 珍しく声を荒げる梨華。その手先は葵の太ももに置かれていて、彼は一瞬思考が追い付かなかった。

「違くて、わたしね?葵くんのこと友達以上として見てる時がある」

「・・・」

 途端、首筋に冷汗が滴り落ちる葵。

「葵くんは多分、わたしのこと好きじゃない。迷惑だって思われてるかもしれない。わかってるの。でもね、この想いを伝えられずにはいられない」

「・・・どうして僕なの?」

 その疑問は長年抱いていたことだった。

「僕なんかよりも男っぽくて優しくてモテる先輩とかいっぱいいたでしょ?それにそういう人から告白されてるの、僕知ってるし―――」

「僕なんて愛内さんに相応しくないよ。これといって取柄だとか面白い奴だってわけでもないし」

 この発言は彼女を確実に傷付ける、けれど溢れ出てきてしまう。

「僕なんかじゃなくてさ、もっと他の男子にも積極的に話せば、もしかしたら好きに―――」

 余計なことを言ってしまったのではと我に返り彼女を窺う。


「それはさ、違うんだよね」


 梨華は冷たい眼差しを向けていた。こうなると彼女の気が済むまで笑顔には戻らない。


「それって、ただのサイコパスでしょう?」

「え?」

 春の夜空には寒風が渦巻いていて、昼間は暖かいからと制服だけで来たのは間違いだった。しかし葵の芯が凍える理由は彼女由来のものである。

「わたし、自分のこと可愛いってモテるって自覚してる」

「そういう子がね、誰にでも笑顔を、優しさを振りまくのは悪いことだとは言わない」

「でも興味がないのにその気にさせちゃうのは異常だと思わない?」

「それは―――その人次第でしょ?」

「その行為は誰かを傷付け逆恨みをさせるかもしれないんだよ?」

「例えばわたしがクラスの日陰者にそういう振る舞いをしたとしましょう」

 葵は思い当たる節がありズキリと胸を痛ます。

「わたしは誰にでもそういう態度をとってるからその子に手を差し伸べるの。けれどね、彼が勘違いしちゃったらどうする?」

「わたしにその気はないのに友達以上の好意を抱かれちゃって、お互い全然知らないのに告白されて、断って」

「それで怒っちゃって、刃物でも持ち出されたら?」

 極論過ぎだ。

「そんなことないって」

「ううん、あるの。わたしは小さい頃から色々な人を見てきてわかるんだそういう人が」

「だからね、男子とは必要以上に仲良くならないようにした。平等に。ただ一人を除いては―――」

 梨華の氷のような手先がふわりと、葵の頬を包み込む。その冷たさに雪女のイメージを抱いてしまったとは口が裂けても言えない。

「わたしは確かにモテる。けれどわたしが好きな人以外から好意を抱かれたくない。そういう人は他にいる女の子と結ばれればいい」

 蛇に睨まれた蛙が動けないように、梨華の整った顔立ちが葵に近づいてくる。その間一切合わさった瞳と瞳が逸らされることはなかった。

「わたし、両親から大学まで交際は禁じられているの」

 初耳だ。

「でもね、我慢できるわけがない。分別がつくまでとか御託を並べていたけど、わたしは頭がいいし人の下心を見極めるのに長けているから大丈夫。なのにバレたら向こうが決めた人とくだらない結婚をさせられる」

 遂に梨華の唇は固まった葵の耳元へ。

「だから高校卒業までに、好きな人をしたい」

「葵くんの心をこの三年間の間わたしのものにしたい」

 彼女はこれがその証だと示すように、葵の頬にゆっくりと、唇を押し付けた。



「・・・!!!」



 言葉にならない悲鳴を上げる葵。先刻の寒さはどこかへ吹っ飛んでしまい、高い度数のアルコールを摂取した外国人のように天辺から足先にかけて火を噴く紅さが広まってゆく。


「今はこれが精一杯。これ以上はできない、多分戻れなくなっちゃう」


 スッとベンチから立ち上がり、人気がないのを確認し小さく手を振る梨華。

 蝋人形の如くに固まった葵に別れの挨拶ができるはずもなく、この場に置いていかれてしまう。

 去り際、微笑の裏に覗かせたあの蕩けるような笑顔は一体?

 そんな疑問も何もかもがこの公園に散らばってしまい、拾い集めるには長い時間がかかった。



「・・・」



 駅に足早に向かう梨華は隠していたマスクと伊達眼鏡を着用する。



 だって、人生で一番笑っている瞬間を誰にも見せたくなかったから。

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