第17話 ふっきれた

「あらお帰りなさい、ご飯できるわよ」

「いらない」



 キッチンの亜妃乃は階下から上がってきた娘を認め声をかけるが、返事は非常に簡素なものだった。


「ん、どうしたんだろう」

 リビングでもう晩酌を始めていた透は触れないでくれと言わんばかりの柚香を心配するが、


「放っておいて大丈夫」


 と母の一言。


「それにしても葵くんも遅いわねぇ」

 と中々帰ってこないもう一人を心配していると、玄関の方から物音が聞こえてきた。


「ただいま」

「ああお帰り」

「お帰りなさい、晩ご飯食べるわよね?」

「あっはい、いただきます」

「こらこら、そんな居候みたいな反応しなくてもいいだろ」

「えっ、居候?」

「気にしないで葵・・・くん。先に手洗ってきちゃって」

 亜妃乃は思い切って敬語をやめてみようかと思ったが、まだ難しかった。


「俺も早く、柚香って呼んであげられればいいなぁ」

「大丈夫よ、わたしも頑張るから」


 ♦♦♦♦


「起きてる?」


 自室で不貞寝していた柚香は誰かの声に起こされる。


「うん」


 真っ暗な部屋で一人、孤独と闘っていた彼女だったが幾分かは落ち着きを取り戻すことができていた。


「母さんが、お風呂どうぞって」

「葵、先入っていいよ」

「えっでも」

「なら一緒に入る?」

 ベッド横に置いてあったスマホを光らせながら適当に答える。


「・・・わかった、先入るね」


 ほら、こう言えばそういう行動をとるさ。


「ふぅーーー・・・」


 気配が消えたのを確認し全身の力を抜いて湿った枕を握ってみる。

 散乱した夢と希望はもう明日には消えていて、きれいさっぱり洗い流されるんだろうな。


 そして一枚一枚写真に保存されていたあいつとの思い出を消そうと努力するが、


「・・・はぁ」


 やっぱりまだ、ほんの僅かに、忘れたくないという気持ちが勝っていた。


(そいや葵、どこ行ってたんだろ)


 寝返りを打ってドアの下の隙間から漏れてくる灯りをじっと見つめる。

 まさか友達?

 それともいじめっ子にカツアゲでもされていたんだろうか?


「あっ」


 不意に脳内に浮かぶあの少女の存在。


「いやーまさかまさか」


 先日あれだけごちゃごちゃ言っていたのにデートとか?


「・・・」


 そうだとしたら・・・。


「んむぅぅぅ!!!」


 まるで駄々っ子のようにうつ伏せで枕に顔を埋め、叫ぶ。


 そしてまた枕に殺してもらおうと画策するが、



「・・・」



 明日を迎えてしまった。



 ♦♦♦♦


「あー」


 本日も快晴なり。

 現在時刻は五時過ぎで鏡と睨めっこしている私。

 洗面所の大きな一枚は自室の物よりも真実に近い自分を映してくれていて、憂鬱になる。


(酷い顔)


 目元のクマやぼさっとしたミディアムヘアー。

 目ヤニを爪でこそぎ落としこんな早朝に迷惑かもと心の中で三階の住人に謝りながら服を脱ぐ。

 着替えるのも面倒でそのままだった下着を洗濯カゴに放り投げ寒さ厳しい浴室と真っ向勝負。

 シャワーから早くお湯が出ないかなと貧乏ゆすりし湯気が立ったら足先から当てていく。

 どうして朝の入浴はこんなにも心地良いのだろうか?

 残念ながらお湯は抜かれているし掃除するのも面倒なので溜まった汚れをシャワーのみで洗い流していく。

 時間が空いたからかもう大丈夫、いつも通りだ。

 今日からまた唯の幼馴染に戻るんだと脳内にリフレインさせ心の弱さを縛りあげる。


「・・・よし」


 水滴に覆われた鏡の中の自分に喝を入れる。


 例えこれからどんな出来事が待っていようとも、私は誰にも乱されない。


 ♦♦♦♦


「昨日はどこ行ってたの?」


 黒の制服姿で家を出た二人。

 朝からご飯をおかわりした柚香はいつも通りの調子で、葵は逆に胃に穴が開いたような顔色をしていた。

 そんな初登校の通学路で尋ねてみる。


「昨日は・・・ちょっと中学の人と会ってた」


 げんなりと答える葵。

 大丈夫かなと心配になる義姉だが歩く速度は緩めない。


「ふーん、彼女?」

「なわけないでしょ」

 そこはしっかり否定するのか。

 複雑な気分だが家族として義弟の幸せは応援してあげたい。

 今は異性に対しあまり乗り気でなくともこういう人種はちょっと優しくされればコロッと意見を変えてしまうものだ。


「女の子ではあるんだ、同じ高校?」


 いつもの悪い癖と言われようとも、動向は追おう。


「・・・そう」

「へぇ、その子葵に気があるんでしょ」

「・・・」

「(ありゃま)」

 強い否定はせずかといって肯定もしない。

 それは葵自身も相手がそう思っているんだなと察しているからだろう。


「面白い高校生活になりそうだね」

「そう・・・かな?」

「うん。きっと忘れられなくなるよ」

 肩からずり落ちそうな学校カバンを掛け直し中学の時よりも長くなった通学路を楽しむ柚香。



 私は―――とりあえず今のところは自分のことよりも他人の恋を応援することに決めたんだ。



 ♦♦♦♦


 遠くからでもわかる大きな校舎に色めき立つ歓声。


 生徒の波に呑まれないよう道路沿いを歩いていると目立つ校門が新入生を出迎えてくれた。


「すごいね」

「だね」

 朝から精が出るというか、大小さまざまな部活の宣伝がなされていて前に進むのも一苦労。

 学校説明会で校内のことはある程度把握していたが、背の高い運動部に阻まれ向こうの方が見えない。


「教室わかるよね?」

「うん」

 昨日貰ったプリントには自分達の首席番号やクラスが記載してあった。


「四階・・・」

「いい運動になるねもやしくん」

「むっ」

「別のクラスだからって泣いて助けを求めないでね」

「しないよ!」

 昇降口に辿り着くが靴はそのままローファーで何だか変な気分。


「あとさ」

 階段を上りながら念を押しておく。


「私と葵の関係、秘密にしておこう」


「・・・だね」


 それが賢明というものだ。



 やっとの思いで四階に辿り着く。

 一年生は十クラスあり柚香は一番端のA組、葵はD組と微妙な距離が空いてしまった。


「んじゃまた放課後」


 中央階段から遠く離れたクラスを目指すため会話も切り上げて早足で人波を縫うように抜ける柚香。


 ♦♦♦♦


(知ってる人いなかったな~)


 教室から廊下までお祭り騒ぎのような盛り上がりを見せるHR前。

 自分の席を探すついでに顔見知りを探してみるがほとんどいなくて、あまり喋ったことのない生徒が一人二人いる程度だった。


(マリも違うクラスだしなぁ)


 教室一番後ろちょい窓寄りの古ぼけた机に着席し、空気を味わう。

 別に友達作りは苦手ではないが誰かに話しかける気は起きなかった。


(さて)


 こんもりと盛られた教科書類。

 初日は授業があるわけではないが今の内に保管しておけということなんだろう。


 生温い教室の雰囲気に耳を澄ませ特に何かをやることもなくぼーっと待つ。


 夢にまで見たとは言わないが、高校は中学とどう変わるのだろうか?



 宮村柚香、15歳、高校に進学するも小さな蕾は未だ咲かず。



 ♦♦♦♦



 次回以降は不定期です。

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