スタンド・バイ・ミー

『アリス・エ・オリヴィエ・ド・ムール

 2019

 VdFブラン“カラヴァン”(ル・ヴァンダンジャー・マスケ)』


 ブルゴーニュ北部シャブリにある、知る人ぞ知るナチュラルワインの名手。

 家族経営の小規模ワイナリーであるが、生産量が少ない上に世界中で人気があるため、すぐに完売してめったに手に入らない。


 このワインは、自社ぶどうではなくネゴシアン(買いぶどう)でフランス各地から買い付けたぶどうでブレンドされている。


 リースリング40%、ソーヴィニョン・グリ40%、シャルドネ10%、アリゴテ10%


 という珍しいブレンド比率。


 小ぶりの白ワイン用グラスに注ぐと黄色がかった色合い、やや濃厚そうなイメージである。

 やや樽を効かせた風味がするが、嫌な雑味を感じないクリーンで複雑な味わい。

 後味にオレンジのような果実感が残る。


 以前にも軽く触れたが、フランスワインはワイン法で厳格に格付けがされている。

 例えば、ブルゴーニュワインと名乗ることが出来るのは、AOP(原産地呼称保護ワイン)と呼ばれ、ピラミッドの頂点に位置する。

 その中からさらに、地域ごとに細かい格付けがあるが今回は割愛する。

 

 AOPを頂点に、その下にIGP(地理的表示保護ワイン)、最下層にVdF(フランス産ワイン)となる。

 

 この格付けは品質の良さ、規定を細かくクリアしたワインであるということである。

 つまり、最下層のVdFであっても、品質が劣るとは限らない。

 実際は規定が最も緩いため、品質の酷いものから良いものまで色々とあるのだが。

 

 もちろん、このワインの場合は、品質は悪くはない。

 というよりも、良い部類に入る。


 人と同じように、ワインもまた肩書などによって、本質ははかれないものだ。

 それが、ワインの良さでもあり難しさでもある。 


『ジャーマンポテト』


 今回のワインが、ドイツ系品種リースリングを主体に造られているという理由で安直に合わせてみた。

 

 ドイツにジャーマンポテトという名前の料理は存在しないが、どうでも良い話だ。

 美味いものは美味い。

 それで良いのだ。

 

 さて、粒入りマスタードとホクホクのじゃがいも、さらにマヨネーズの相性が抜群だ。

 そして、塩味の効いた粗挽きソーセージ、みじん切りにしたガーリックをオリーブオイルで炒めて味付けをしているので、食欲をそそる。

 さらに、これと果実感の感じる白ワインは、実に危険な取り合わせだ。

 どちらもドイツ系なので、お互いに味を補完しあい、いつまでも飽きさせることはなかった。


 ああ、呑みすぎて、まぶたが重くなってきた。


☆☆☆


 僕がベジタリアン生活を始めて、すでに1ヶ月が経っていた。


 これまでに、生活には馴染んでいたと思う。

 僕自身、これまでの海外放浪生活で農業経験があったので、仕事自体はそれほど苦でもなかった。

 元々、労働時間も短いし、ボランティアのようなものなのでノルマもない。

 そして、同じ生活をしている仲間たちもいた。

 給料をもらっているフランス人従業員たちは、丸一日働いているが。


 まずはアメリカのJDコンビ、イングランド出身の青年、韓国の若い女性がいて、ドイツからJKまで来ていた。

 僕たち実に雑多な国籍だったが、まずまずうまくやっていたと思う。


 そのJKが単独で国外に出ていることに驚いたが、シュタイナー学校という特殊な学校から国際感覚を身につけるために、カリキュラムの一環で研修のようなものでやって来ていた。

 

 シュタイナー学校というのは、19世紀後半から20世紀初頭にドイツやオーストリアで活動していた、ルドルフ・シュタイナーという思想家が提唱したオカルトチックな世界観に基づいた教育を行っている。

 (詳しくは、WIKIでよろしくお願いします)


 高校生の内から国外で研修なんて、と思ってしまうが、ヨーロッパは日帰りで隣国に行けるほど、簡単に国外旅行が出来てしまうのだ。

 東京から北海道や沖縄に行くよりも、はるかに近い。


 そんなある日だった。


「ハーイ! 隣の村まで歩ける距離だよね? 行ってみない?」


 アメリカのJDコンビが、陽気にそんなことを言い出したのだ。

 隣の村まで直線距離にして約10km、丘の上り下りがあるとはいえ、普通なら3時間かからない距離だ。

 僕たちは、特に否定の言葉もなくほぼ即答で賛成した。

 

 何をバカなと思うだろうが、実際にそこいた事のある僕は、その気持ちはわからないでもある。

 今いる農場、とにかく文明的な物が何もないのである。


 電車?

 ナニソレ?

 バス?

 一日に何本あったっけ?


 ついでに、この当時はスマホは一応あったが、普及率は現在よりも圧倒的に低かった。

 WIFIも届く場所は少なかった。

 それだけではない。

 フランスには、テレビ税というような奇っ怪なものがあって、テレビを所有しているだけで税金を取られるのである。

 そこの農場には、それ故にテレビがなかった。


 つまり、僕たちは娯楽に飢えていたのである。

 その次の週末、僕たちは徒歩で隣村まで歩くことになった。


 出てすぐに、牛たちが放牧されている牧場、小麦畑が広がる。

 よく晴れた青い空、白い雲、上も横もとにかくどこまでも広がっていた。


 10分ほど歩くと、この地方の幹線道路に出る。

 幹線道路と言っても、車もほとんど通ることもないし、信号も隣村に行くまでない。

 緑の丘の起伏に沿って、道路が伸びている。

 

 僕たちは道路から脇道に入り、穏やかな流れの小川沿いを歩いた。

 どこまでも長閑で牧歌的な景色が続く。

 鉄道橋はなかったが、このような風景の中を歩いていると、ついつい『スタンド・バイ・ミー』を歌いたくなるのは、どの国籍、世代でも同じだった。

 僕たちはのんきに歌いながら歩いていた。


 しかし、楽しい時間は始めだけだった。

 ドイツJKが疲れたと言い始めた。

 確かに、まだ6月だったが、日差しも強い日で汗ばむ陽気だった。

 僕たちは一旦休憩し、気分が落ち着いた頃、再び歩き出した。


 だが、ドイツJKは足元がフラフラして座り込み、そのまま地面に倒れ込んでしまった。

 

 僕たちはこれはまずいぞ、と焦り、ほとんど車の走ってこない幹線道路でヒッチハイクをするために道に出た。

 やっと来た車はなかなか停まってくれなかったが、どれぐらい時間が過ぎたのだろうか、ついに停まってくれる車があった。

 

 僕たちの中でも最もフランス語のできる韓流女子が、病院まで乗せてほしいと頼んでいた。

 相手も当然渋ったわけだが、親切にも救急車を呼んでくれた。


 ドイツJKはやって来た救急車に乗せられ、目的地の隣村の病院に運ばれた。

 僕たちもまたその病院まで歩き、僕たちから連絡を受けた農場主もやってきた。

 事情を説明したり、色々とすったもんだあったが、僕たちは住み込みで農場で働いているフランス人従業員の車に乗せてもらって帰っていった。


 後日談


 ドイツJKは、次の日にはケロッとして農場に戻ってきた。

 原因はただの鉄分不足、貧血だったらしい。

 タンパク質摂取量がまったく足りていなかったからだ。

 

 連絡を受けた両親が、ドイツから車ですぐに飛んできた。

 国境近くに住んでいるので、3,4時間程度だった。

 病院の手続きをして、すぐにとんぼ返りをしていったそうだ。

 どこに行っても、親というのは大変だ。


 そして、今回学んだこと。

 

 食事は、肉も野菜もバランスよく食べることが一番健康的だね!

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