Ep.1 悪天候

 ここはチゴペネと呼ばれる大きな都市だ。ゴドバルに浮かぶ大陸の海岸沿いに存在しており、膨大な人口を抱えている。

 

 都市を築いたのは隕石の衝突後に生き残った人類で、建造物は周辺で取れる鉱石を加工したものや木材で作られた。特に、周辺の森林で取れる多種多様な木材や繊維はこの都市に住む人々の生活に欠かせないものとなっている。さらに、森の中に生えた植物を品種改良した作物は人々の大切な食料となるのだ。

 作物だけでなく、森を流れる川やそれが注ぐ海も食料となる海産物の宝庫であり、森がこの豊かな生活を可能にしているのだ。もはや森林の存在なくしてチゴペネの人々は生きていくことができないだろう。


 故にチゴペネでは森に対して特別な信仰を持っている人が多く見られる。

 森は神や精霊が集まって出来ており、人間もその一部で出来ているという考え方だ。そのため、文明を発展させる力も破壊する力も持っているということになる。衝突を経験した先人の知恵を受け継ぎ、信仰を大切にしながら文明を繁栄させてきた。58の地区が存在しており、地区ごとに交わされる言葉はグラデーションを描くように変わる。

 

 そんな街チゴペネだが、現在は厚い雲に覆われている真っ最中だ。不安になりそうな雲行きだが、中を覗いてみよう。





 

❝ポタ、ポタ❞

 街に小粒の雨が降ってきた。乾いた地面の色が雨でどんどん濃くなっていく。その地面から斜め上の方を見上げると、一人の少年が窓を見つめていた。


 「ん?雨か。久しぶりに見たな」

 

〈しばらく晴れて気温の高い時期が続いたので、これで涼しくなると思い雨を喜んだ。〉


 「おぉ!涼しくなってきた」


 〈少し間を置き、窓を開けた。滑るように軽いので力を入れ過ぎると跳ね返ってしまう、力加減を調節しながら窓を半分開いた。〉


 〈風は森の方角から、太陽と反対方向から吹いてきた。水しぶきのようなヒンヤリとした風だった。今まで半袖でも汗が滲んでくるほど暑かったのが嘘のようだ。熱と一緒に身体の力も抜けていく。心地の良い風だが、同時に何もする気がなくなってしまう。〉


 「はぁ~~……。何もしたくない」


 〈眠気も出てきたので仰向けになり、手足を大きく広げた。真上から頭と手足の先を線で繋いだら五角形が綺麗に書けるだろう。〉


 ❝ザァァァァァァァ!❞この時、彼の住む地区には分厚い雨雲が居座り、低い土地が浸水するなどの被害が出始めた。

 

 「はっ!随分寝たんだなぁ……。」


 〈目が冷めた頃、日は落ちて完全に夜になっていた。外を見てみると近くの街頭の明かりでに映る雨は斜め下の方向に向かって滝のように落ちている。寝ている間に雨は勢いを増していた。〉


 「まさか!やっぱり……、あぁ嘘だろ勘弁してくれよ!吹くもの吹くもの!」


 〈正面を向いている視線をゆっくりと下に傾けたら、見えたのは水浸しになった部屋の床だった。開けっ放しの窓から大粒の雨が大量に侵入していたのだ。見た瞬間に焦りだし、すぐに窓を閉めて何か吹くものを探しに部屋を出た。〉


 「タオルタオル!小せぇな、もっとでかいの。ん……、これでいいか」


 〈廊下の右にある洗面所から畳んであるタオルを探す。かなりの面積が濡れていたので普段使うような顔用タオルでは小さすぎる。そこで、もっと大きな体を吹くタオルを何枚も掴んで寝ていた部屋へ急ぐ。〉


 「冷てぇ!早く吹かないと」


 〈水が思った以上に冷たい。水道の水並の水温だ。驚いて水を触った瞬間に手を離してしまった。夏なので、もっと暖かい水だと思っていた。そんなことを考えながら濡れた床を拭き取っていく。〉


 「うわぁ……。もっと早く起きてれば良かった。中々乾かねぇ……。」


 〈この家は木造だ。水が侵入して時間が経つと水分は木材に染み込んでしまう。こうなると厄介だ。タオルに力をかけて吹いても、木の中に染み込んだ水がとれず、その場所が湿ったままになり、居心地が悪くなる。

 一刻も早く水が木に染み込む前に拭き取らねばならない。そうなると自然と指に力が入ってくる。〉


 「早く乾け!手が疲れてんだよ……。うわ!」


 〈一瞬、辺りが白く光ってすぐに❝ゴロゴロゴロォォォォ!❞と轟音が鳴り響いた。耳の鼓膜が破れてしまうのではないかというくらいの大きな音だった。反射的に手をタオルから離し、気付いた時には手は顔の真横、耳を塞いでいた。〉

 

 この雷の影響で、彼の住むソハワレ地区は瞬く間に停電した。街を照らしていたネオンは全て消え、辺りは真っ暗だ。この激しい雨の中、外を歩く人間は一人もおらず、聞こえるのは打ち付ける雨の音だけである。

 しかし人々は焦らない。次の瞬間、ブロック状に建物の明かりが戻ってきた。皆、予備の電源を持っていたようだ。

 彼も他の人々と同じく、予備の電源がある部屋まで移動し、スイッチを入れる。


 ❝パッ!❞〈部屋の明かりが戻った。予備の電源を使ったのなんて初めてだ。ニュースで予備電源の使い方は見たことがあるが、まさか本当に使うとは思わなかった。〉


 「なんか心配だなぁ……。天気、調べとくか」


 〈ニュースの中だけの出来事だと思っていたことが今、目の前で起こったので不安になり、今後の天候を調べることにした。こんなこと初めてだと考えながら元いた部屋に戻り、机に手をかざした。〉


 彼が机に手を翳すと、その机は明るく光り、すぐに映像が映し出された。彼は天気予報を検索し雲の流れを調べる。


 〈天気の文字を入れただけで、それに関係する幾つもの記事が表示された。調べたところ、どうやらこの大雨はチゴペネの至るところで降っているようだ。近くの商店街も駅も公園も、どこにも人の姿は映っていなかった。この現象も最初は局所的で一時的だと思っていた。しかし実際はそんな小さな出来事ではないらしい。〉


 「ちょっと呼んでみるか。繋げてくれ」


 〈これだけ広い範囲が大雨にやられているので友人の様子が心配になり、連絡を取ろうと考え画面に依頼した。普段なら2,3回瞬きする間に相手まで繋がるのだが、大雨の影響だろう、繋がるまで時間がかかっている。〉


 「遅いなぁ……、早く繋がれよぉ」


 〈机に手を置き、指を叩いて繋がるのを待つ。〉


 「おぉ、誰かと思えばマテリか。この時間にかけてくるのは珍しいな。どうした?」


 〈やっと繋がった。大分まったぞと感じながらもすぐに言葉を発した。〉


 「いや、大したことじゃないよ。安否を確認したかったんだ。今までこんな大雨になったことなんてないだろ?チゴペネ中がこうみたいだし、お前の地区もそうなのかと思って連絡したんだ」


 「ハハッ、本当だよな。こっちも酷いぞ、もうシャワーを浴びてるみたいだよ。このまんま行くと川が氾濫するかもなぁ。さっき川の中継見たけど、泥水が凄い音立てて流れてたよ。もう避難してる人も出てるってさ。お前、川の近くに住んでんだろ、早く避難したほうがいいと思うぞ?」


 「そうか?分かった、頭の片隅に入れておくよ。まだまだ止みそうにないしな、多分避難所もできてるだろうし」


 〈友人の一言で、翌日になっても雨の勢いが治まらなかったら避難すると決めた。だがまだ肝心の避難所は設けられていない。きっと夜中になる頃には設けられているだろうと考えている。新しい情報が入り次第、随時確認する。情報は平たい場所であればどこでも確認可能なので、床にいても問題ない。ずっと机に体重をかけていたので腕が痛い。情報を待つだけとなったので、机を離れてベッドで横になる。〉


 マテリがこうしている間にも雨脚は強まり、地区によっては避難所が稼働し始めた。そういった地区も彼が住んでいる所と天気の大差はない。さらに時間が進むと管轄が同じ地域にも避難所が設けられたので、ここも直に設けられるはずだ。

 

 「ふぁーあ……。眠い。雨うるせぇなぁ、眠いのに寝れもしない。ふぅ、ちょっと見てみるか」


 〈普段なら雨の日でも目を閉じてるだけで意識が遠くなり、朝まで目が覚めることはない。多少眠気は残っているものの、問題なく活動することができる。しかしこの日は違った、何せ雨の勢いが強すぎて音が耳の中から離れない。いつもなら気にならない雨の音がこの時は虫の飛ぶ音と同じくらい鬱陶しかった。遮断しようと耳を塞ぐがそれを破るように雨の音が侵入してくる。〉


 「あぁーもぅ、勘弁してくれって!これじゃあいつまで経っても寝れないんだよ。雨さんよぉ、俺をずっと起こして何がしたいんだ?」


 〈あまりにうるさかったので思わず雨に向かって叫んでしまった。当然、雨は何も返事を返さない。勢いは変わらず降り続ける。叫び終わるとまた雨が屋根に当たる音が耳に入ってくる。〉


 「はぁ、耳塞ごうかな、このまんまじゃ寝れない。耳栓どこにあったっけ?」


 〈雨の勢いに圧倒され再び力が抜けていくので、眠気が戻ってきた。こうなると同じことを避けようとするのが人間だ。また同じ音は聞きたくない、とにかく雨音を遮断しなければならない。ここで友人からもらった耳栓があることを思い出し、どこかにしまってある耳栓を探しに再び部屋を出た。〉


 ❝ゴソゴソゴソ!❞「ここか?違うなぁ。こっちか?これも違う……、探そうとすると案外見つかんないんだな」


 〈言葉の通り、探そうとすると見つからない。よく使う引き出しや道具箱のなかにはなかった。おそらく引き出しの中にあるだろうと思っていたのでそこを重点的に探したが見つからない。しまった物はしっかり記憶しておくべきだった。それでも確かに、しまった記憶は残っていたのでとにかく探す。〉


 ❝ゴソゴソゴソ!❞「ん~……、やっぱないなぁ。こっちか?あ!もしかしてこれか?やっぱり!ここだったか」


 〈ようやく見つかった。机の一番下の引き出しに隠れていたので気づかなかった。さっきゴソゴソと漁った時は他の小物に覆い隠されて転がっていたので見落としても無理はない。だが見つかって良かった。〉


 「大分汚れてるなぁ、うわぁ手にも付いちまう」


 〈手で触って耳栓だと分かったので目で見た時、酷く汚れていたので一瞬目を反らしてしまった。ところどころに埃の塊も見られる。これを機に道具のメンテナンスを行う習慣を付けようと思った。〉


 「あれ?水が出ねぇ……、断水したか、かなり早いぞ?」


 〈洗面所でハンカチを濡らして耳栓を拭こうと考えていたのだが、この大雨の影響で止まっていた。断水はいつか来ると予想はしていたが、想定より大分早いことに驚き、焦りが出始めた。家にある水はおよそ2日分しかない。いつも水があと一日分になった時に買い足していたので、断水が収まるまでその水でつなぐしかなくなった。〉


 「そろそろ避難所ができてる頃だろ、一回ニュース確認してみるか」


 〈しかしこの大雨、2日では収まらないと思っている。そうなると水は人間にとって必要不可欠なもの、底を尽きれば空から降ってきた雨を飲むことになる。屋根を伝って流れてくる雨水は泥で汚れているし細菌が含まれているかもしれない、不潔なので最終手段としたいところだ。対して、避難所であれば水が支給されこのリスクも侵さずに住む。食事も支給されるので一石二鳥である。〉


 「頼むから近くに設置してくれよ。この雨の中、遠距離は体力もたないぞ?」


 〈避難施設が近くに設置されることを切実に願った。外はこれまでの雨に加えて、窓をガタガタと鳴らす風も拭き始めたからだ。この横殴りの雨の中を遠くの避難所まで歩くなんて考えただけでもゾッとする。避難する前から気力を奪わないでほしいものだ。〉


 しかし、マテリの期待とは裏腹にニュースでは街の被害状況が優先的に報道され、避難所の場所が中々表示されないのだ。


 「これまで入ってきた街の被害状況についてお伝えします。現在、サマヘ地区·プカタギ地区·タイイェラ地区·ワツ地区·ガムモヌ地区を流れるイェレマケ川が氾濫し、これらの地区では大規模な浸水が起こっています。川の近くの住宅は既に屋上まで浸水しており、多数の死傷者を出しています。詳しく見てみましょう。川の映像に切り替わります」


 映し出されたのは、氾濫した川に飲み込まれた住宅街だった。上空からのライトに照らされ、濁った川の水が街に物凄い勢いで流れてくる様子がカメラに押さえられた。


 「ご覧の通り、イェレマケ川付近ではどんどんどんどんと水が押し寄せ2·3階建ての建物が次々と流されて行く様子が飛び込んできます。信じられません。とても見ていられない光景です。あっ!今建物の中に流木が入り込みました、それによって家具や人が流されていきます。凄惨な光景です。まだ」


 〈ここでこのニュースを遮断した。やっているのはまるでスポーツの実況のような番組だったからだ。それを見にサイトを開いたわけではない。見るべきは避難所の情報である。他のサイトに飛ぶことにしよう〉


 「それではキベネ地区のこれからの天気予報です。巨大な雨雲はキベネ地区の中心に向かって進行しており、今後さらに雨風に警戒する必要があります。現在キベネ地区では避難所を4ヶ所設けております。キベネ丘·ハフキ通り·エナ通り·リユチャタ台地の4ヶ所です。浸水の始まる前の今がチャンスです。お早めの避難を心掛けください」


 〈やっと有益な情報が入ってきた。やはり雨雲はここキベネ地区に近づいていた。予想が確信に変わったので残りは避難するのみだ。ここから最寄りの避難所は最後に解説されたリユチャタ台地である。周囲よりも高い土地に建物が並んでおり、医療施設が充実しているエリアなのだ。ここへ着いてしまえばこの大雨の中でも怖いものなしでやり過ごせる気がする。そうと決まれば早速避難の準備に取り掛かろう。〉


 「これは絶対必要だな、これは……4つまでだな。これはいらないな」


 〈まず床にものを並べて、必要なものとそうでないものを分ける。必要な物には飲み物を入れる容器や着替が挙げられる。これらはリュックの中でも取り出しやすい場所にしまった。次は寝袋だ。これはサイズが大きく広いスペースを必要とする。一番大きいスペースを活用した。後は顔や歯を洗う洗浄水を詰め込めば十分、他は避難所で支給されるという。この調子で次々リュックに詰め込む。〉


 「よし!このぐらいかな。どんどん強くなるだろうし避難するなら今だな。行こう!」


 マテリはこの夜の遅い時間に家を離れ避難所へと向かい歩き始めた。


 「じゃあな、俺の家」

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