記憶のない少女 #2


 サラの頭上に魔獣の前足が再び振り下ろされる。

 しかし、今度はそれを避けず、剣を頭の上で斜めに構えて受け止める。

 ギイィーン! 鈍い音が響き、サラは両足で地面を踏みしめ、敵の黒々とした爪をピタリと宙で止めていた。

 ギリリッと、強い力のせめぎ合いにより、しばし爪と剣の刃が軋む。

 が、魔獣は、自分の攻撃が完全に止められてしまったのを知ると、もう一方の前足を、シャッと、横から地をするように薙いできた。

 サラはそれに素早く反応し、シュアッと剣を滑らせて頭上の爪の下から抜け出すと、流れるように剣を横に構えて、今度はギィンと腹のそばで爪を受け止める。


 ガン! ギン! ガギィ!……しばらくの間、次々と襲いくる魔獣の前足の攻撃を、ことごとくサラが剣で受け止め、あるいは受け流す展開が続いた。

 目にも止まらぬ速さで、強力な二つの力のぶつかり合いが繰り広げられる。

 業を煮やした魔獣が、ガウッと大きな口を開いて、小柄なサラの体ごと飲み込もうとするかのようにかぶりついてきたが、それもサラは、ガキィーン! と巨大な牙を剣で弾いてかわしていた。


(……うん! あっちの攻撃は全部しのげる!……でも……)


 ギリギリ、ギン! と的確に牙や爪を剣で受け止め、弾き返しながらも、サラは一瞬、自分の構えている両手剣の刃を凝視した。

 あまりに魔獣の牙や爪が硬いために、どんなに上手くやり過ごしていても、何回もぶつかり合いを続けたせいで、ジワジワと鋼の剣の刃が欠けてきていた。


(……刃こぼれしてるぅ! もう! この剣、後でどっかの鍛冶屋さんに研ぎ直してもらわないとダメじゃん!……)


 あまり自分の頭脳に自信のないサラでも、このまま攻防を続けていてはジリ貧だと気づいていた。


(……攻撃はしのげる、けど……牙や爪には、こっちの攻撃も、全然通らないんだよねぇ!……よし! それなら……)


 サラは、ギィーン! と一際強く爪を弾き返し、一旦ババッと大きく飛び離れた。

 そして、すかさず方向を変え、タタッと走り寄ると、ダンッと地面を蹴って高く飛び……

 攻撃を終えて地面に降りていた魔獣の足の、爪ではなく、足首の辺りを狙って、剣を思い切り薙いでいた。


『ギャウアァァ!!』


 魔獣の濁った悲鳴と共に、ビシュウッと黒ずんだ血が噴き出す。


「よし! やっぱりこっちは、ちゃんと剣で斬れるね!」


 サラは、スタッと地面に着地しながら、魔獣の反応を見て、ニッと唇の端を持ち上げた。



 「魔獣」と呼ばれる、正常な生態系から逸脱した謎多き存在は、その脅威的な強さと凶暴さから、人々に「化け物」と恐れられていた。

 しかし、動物であったり、昆虫であったり、爬虫類であったりと様々な形態を見せる「魔獣」達には、一つの共通点があった。


 それは、その「魔獣」の姿と同じ生き物と、基本的な行動や性質は変わらないという事だった。

 狼の姿をした魔獣は、狼らしい行動と攻撃をとってくる。牙や爪といった戦いにおいて武器になる箇所は強固だが、その他の肉と皮で出来ている部分は柔らかい。

 もちろん、普通の狼の何倍も巨大化しているし、動きは素早く、力も強く、牙や爪は固く、体は全体的に強化されている。

 更に、性格は野生の狼とは違って、非常にどう猛かつ貪欲で、動いている時は常に何か他の生物を襲って食べていると言っていい程だった。


 魔獣特有の、体の黒色化、鮮血を思わせる赤い目、そして何より常軌を逸した巨大な体躯は、人々を怯えさせるのに十分だった。

 しかし、何体かの魔獣と戦ってきたサラは、経験上知っていた。

 ヤツらは、人間にとって、決して倒せない人知を超えた化け物などではないと。

 確かに、見た目が変わり、おそろしく凶暴になってはいるが、基本は同じ姿の生物と変わらない。

 普通の生き物が、巨大化して強化して狂暴化したような存在である、と。


 つまり、「化け物」と恐れられてはいるが、口から火を吹いたり、目から光線を出したり、肌から毒ガスを放出したりといった、その姿の生物としての範疇を超えた行動や能力は持っていないのだった。



 魔獣の被害が近年世界的に増えてきていると噂されているものの、各国の首脳陣があまり深刻に受け止めていないのは、そんな魔獣の性質ゆえだった。

 巨大化し凶暴化しているとはいえ、所詮は狼や熊や鹿などが相手ならば、しっかりとした防衛施設と軍備の整った大きな街にとって、それ程脅威ではなかった。

 街に近づいた魔獣は、堅固な城壁に阻まれ、訓練の行き届いた軍隊によって程なく制圧されるのが常だった。


 問題は、今回のような、なんの戦力も防衛手段も持たない辺境の小さな村が魔獣に襲われた時だ。

 近くの町から魔獣の討伐に警備兵が派遣されればいいが、どこからも助力が得られない場合は、最悪人々は、先祖代々守ってきた土地を捨て、持てる限りの家財を持って、ほうほうの体で逃げ出す事を余儀なくされた。


 そんなふうに魔獣によって潰れた村の話を、サラも旅の途中何度も耳にした。

 おそらく、この村も、たまたまサラがフラリと立ち寄らなければ、そんな廃村の一つとなる運命だったに違いない。



「せいっ!」


 ギィヤアァァー! また一つ、サラの剣が閃き、魔獣の黒い毛に覆われた足首の肉を切り裂くと同時に、辺りに魔獣の悲鳴が轟いた。

 サラは、魔獣の牙と両前足の爪による攻撃をかわしながら、着々と足首の肉を削っていっていた。


 サラが手にしていたのは、ごくありふれた諸刃の長剣だった。

 刃渡りは80cm余という一般的な長さだったが、小柄なサラが持つと不恰好なまでに大きく重そうに見える。

 しかし、実際は、そのやや古びたごく普通の長剣は、サラの両手に握られた途端、まるで生き物のようにヒラリヒラリと宙を舞い、驚く程の切れ味で次々と魔獣の体を斬り刻んでいっていた。


(……ふぅー。時間かかるなぁ。こんなチョコチョコ斬ってたら、夜が明けちゃうよー。……)


 一方的に攻撃しているとはいえ、相手は10mを超える巨体の持ち主だ。

 この調子で刻んでいっては長期戦になると見て、サラは方針を変える事にした。


(……よーし! 前脚は結構削ったし、後は、パパパーッと派手にやっちゃおう!……)


 タッタッタッと後方に跳び離れ、一旦魔獣から距離をとる。

 そして、それまで両手で体の前に構えていた長剣を、右手だけに持ち替える。

 更に、パッパッと素早く手を動かして、剣の柄を下から掴む形に変えた。

 それを、頭上に思い切り大きく振りかぶったかと思うと……


「ええいっ!!」


 サラを追ってきていた魔獣の顔に向かって、思い切り投げつけていた。


『グギャッ!! ガアァグアァァー!!』


 サラの投げた長剣は、一直線に宙を飛び、見事魔獣の真っ赤な右目に突き刺さった。

 魔獣が、弱点を突かれ、かつ視界を半分奪われた衝撃と痛みで、弾かれたように体を大きくのけぞらせて叫ぶ。


 間髪置かず、サラはダッと距離と詰めた。

 ダンッと地を蹴って飛ぶと、大きな隙を見せている魔獣の、先程まで何度も切りつけていた前脚の足首めがけて、勢いをつけた両足の蹴りを叩き込む。


「たあぁー!!」


 ガアァァーッ! と再び、火の手のゆらめく夜空に魔獣の咆哮が轟き、かの巨大な獣は、ガクリといっとき体が地に崩た。

 その瞬間を、サラは見逃さなかった。


「とうっ!」


 両手を広げてバッと思い切り宙に飛んだかと思うと、次の瞬間には、ガッシリと魔獣の体にしがみついていた。



 魔獣はサラが自分の体に飛びついたのに気づいて、当然叩き落とそうとしてきた。

 体をブルルと大きく振るい、爪を立てて皮膚を引っ掻いて、そこにある邪魔な付着物をなんとか払いのけようとする。

 しかし、魔獣の攻撃は上手くサラには当たらない。

 目を潰して視界を奪った右側にしがみついているのもあったが、どんなに魔獣が体を激しく揺さぶっても、サラはビクともせずに、両手それぞれにしっかりと魔獣の黒い体毛を握りしめていた。


 そのまま、みるみる内に、ザカザカと巨大な体をよじ登っていく。

 そしてついに、魔獣の首の後ろまでたどり着くと、左手で毛を掴んで自分の体を固定し、右手でバサリとコートを跳ね上げた。

 サラの華奢な腰には、コートに隠れるように、もう一振りの剣が、革のベルトに収められ提げられていた。

 サラは、その柄を掴み、シュランと一気に抜き払った。


 それは、先程まで使っていたスタンダードな長剣とはだいぶ雰囲気の異なる剣だった。

 刃渡り40cm程で長剣と比べると短いが、幅は太く、片刃で、大きく反り返っていた。

 片手で扱う曲刀の一種であり、ナイフをふた回り程大きくしたような、独特な造形の剣だった。


 サラは手にした片手剣を、ザグッと力いっぱい魔獣の首の後ろに突き立てた。

 魔獣の体の正中線に垂直に交わるような向きで、剣の刃を押し込んでいく。

 やがて、刃がミリミリと分厚い皮膚を貫いて血管や神経に届いたのが、手応えで分かった。

 更に念入りに、剣の刃の部分が見えなくなり、つかで止まるまで、片足で柄を踏みつけて肉の中に叩き込む。

 そこから、姿勢を低く保ち、サラは、再び剣の柄を右手で掴んだ。

 もう一方の左手も、魔獣の毛を指先に絡めたまま添える。


「はあぁぁぁーっ!……えいっやあぁー!!」


 サラは、大きく息を吸い込むと、渾身の力を込めて、魔獣のうなじに突き刺した剣を手前に引いていった。

 腰を深く落とし、自分の体重と力を後方にかけ、剣を動かす。

 ガアアァァー!! 当然魔獣は一際は激しく叫びながら暴れたが、深く刺さった剣を支えにし、漆黒の毛の中に足を踏ん張って、サラは器用にバランスを保っていた。

 剣が手前に動いていくと共に、ブチブチッとサラが指に絡めていた魔獣の毛が抜け、刃に切り裂かれた肉の断面が、赤黒い血しぶきをあげながら開いていった。

 それはまるで、良く研がれた包丁でチーズをカットしたかのように、見事に平らな切り口だった。

 グッグッと、剣を手前に引くのに合わせて、サラは、足を踏ん張り低く腰を落とした態勢で、どんどん後退していった。



 首の真後ろから始まった解体は、程なく右端まで達した。

 そこからは、魔獣の体の構造上、足場となる皮膚が、断崖のような垂直になっている。

 サラは、最後の仕上げに、両手で剣の柄をしっかりと握りしめたまま、それまで踏みしめていた足を、バッと魔獣の体から離した。

 剣に掴まりぶら下がった状態で、勢い良く魔獣の首の横を滑り降りていく。

 それと共に、魔獣の首の右側の肉が、血を噴水のように吹き上げて、ザアァーッと一息に切り裂かれていった。


『オオ、オオオォォーンン!!』


 魔獣のあげる悲鳴が、みるみる掠れて小さくなっていくのが、サラの耳に聞こえていた。


 魔獣の首に突き刺していた剣が肉を切り裂き終えて宙に抜ける時、サラは、はっきりと手応えを感じた。

 今まで、何度か魔獣や凶暴な生き物と戦い、勝ってきたサラが体験してきた感覚。

 生き物の体から、その肉体から、それまでみなぎっていた力が失われていく瞬間に漂う、独特の気配。

 命が、風に吹かれた炎のように儚く掻き消えていく感触を、サラはしっかりと感じていた。



「よし!」


 サラは、スタッと地面に着地すると、魔獣を振り返って、グッと拳を握りしめた。


 首の後ろから右側をパックリと切り裂かれた魔獣は、ブシュッ、ブシュッと血を吹き上げながら、グラグラとその巨体を危うく揺らしていた。

 長剣の突き刺さった目に満ちていた怒りや破壊衝動の光は消え去り、もはや虚ろな淀みと化している。

 家程もある漆黒の体から、みるみる荒々しい力が抜けていくのが見て取れた。

 魔獣が完全に死して沈黙するには、まだ若干の時間がかかる様子だったが、既に決着はついていた。


 いくら巨大かつ強固な体を持つ魔獣といえど、急所である首回りの太い血管や神経を切り裂かれてはひとたまりもなかった。

 サラは、その事を論理的に知っている訳ではなかったが、今までの戦いの経験上、なんとなくそこが弱点だと感じていて、その勘によって一点特攻したのだった。

 そして、それは、見事に功を成した。


 サラは、もう後は事切れるのを待つだけの魔獣に背を向けて、ビュッと、片刃の剣についていた血を振り払った。


(……このまま鞘に収めると鞘が汚れちゃうからなぁ。ちゃんと洗ってからにしようっと。あ、後、目に刺した剣も回収しないとー。……はえ!?……)


 何か大きな影が自分の上に落ちてきているのに気づいて、サラがハッと振り返った時には……

 ズズズ、ズズズズ……死んで力の抜けきった魔獣の巨体が、サラの小さな体を押しつぶすようの覆いかぶさろうとしていた。


「えっ、ちょっ……キャアー!!」


 魔獣を倒してすっかり気を抜いていたサラは、見事に逃げそびれ、倒れ込んできた魔獣の体の下敷きになっていた。



 ズズーンン! 土煙をもうもうと上げて巨大な狼型の魔獣が地面に倒れ伏した状況を見てとって、遠巻きに様子をうかがっていた村人達が、ちらほらと建物や石塀の陰から姿をのぞかせはじめた。


「……やった、のか?……」

「し、信じられない! あんな恐ろしい魔獣を、本当にたった一人で倒しちまったのか!?」

「あ、あの少女はどこだ? 無事なのか?」


 地面に倒れ伏した狼型の巨大な魔獣は、パックリと開いた首の切り口から黒ずんだ血を地面に広げながら、しばくビクビクと痙攣していたが、やがて息絶えて動かなくなった。

 ついに、村に多大な被害を与えていたかの魔獣が死んだのを知って、取り囲む村人の顔に喜びの光が見えた。

 が、その瞬間、ズズッと、その巨大な遺体が動いた。

 村人達は、また慌てて逃げ、距離を取る。

 まさか、魔獣がまだ生きていた? いや、生き返った? そんな疑念と恐怖で緊張が走る中、ググッと持ち上がった魔獣の体の下から姿を現したのは、先程まで鬼神のような戦いぶりを見せていたサラだった。

 魔獣の体を背中に担ぐ格好で立ち上がろうとしていた。


「エヘヘ。最後ちょっと失敗しちゃったぁ。……もう、これ、重ーい!」


 サラは、硬直している村人達に恥ずかしそうに笑って見せた後、フンッと力を込めると、背負っていた小山のような魔獣の体を投げ飛ばし、横に払いのけた。

 ドドーン! 再び盛大な土煙を上げ魔獣の巨体が腹を上にしてひっくり返る。

 村人達がますます呆然と立ち尽くす中、一人平然とした顔でパッパッと服についた汚れを払っていたサラに、一人の老人が進み出て話しかけてきた。


「サラ殿、どこかお怪我はありませんか? まさか本当にこの魔獣を一人で倒してしまわれるとは。」

「あ、村長さん! アハハ、私は全然平気! うん、私も初めて見る大きさの魔獣だったけど、ちゃんと倒せて良かったよー。」


 杖をついた腰の曲がった小柄な老人に気づくと、サラはニコニコと歩み寄っていった。


「そうだ、村長さん。この魔獣の死体ね、早めに燃やしちゃった方がいいよー。なぜかは知らないけどー、魔獣って、死ぬとすぐに腐るんだよねー。すっごく臭くなるから、その前に燃やしてねー。」

「なるほど。では、自警団の者達にさっそく燃やさせましょう。」

「私も手伝うよー。これ、大きいから重いでしょー?……あ、それから、一つお願いがあるんだけどー。」

「なんですかな? この村の恩人であるサラ殿の頼みならば、出来る限りの事をしましょう。」

「川がある場所を教えてー。さっき戦ってたら、いろいろ汚れちゃってー。体を洗いたいんだよねー。」

「それならば、すぐに湯あみの用意をさせましょう。」


 サラは遊びまわった後の無邪気な子供のように笑っていたが、その顔や服は、魔獣の血しぶきを被り、黒い体毛が絡みつき、土で汚れ……

 儚げな美少女の見た目が台無しであるどころか、あまりにもおどろおどろしい様相を呈していた。

 年老いた村長は、シワに埋もれた小さな目を細めて、「確かに、そのままの格好ではいけませんな。」とコクコク頷いた。

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