【警告】―地下世界から出ないでください―その11

「…………ふぅ」


 布を畳んで頭に乗せて、湯船の中で体を丸める。

 大勢の人が入っても困らない大浴場と言える空間だった。


 そこにぽつんと一人でいるのは寂しいが、こうして落ち着くとそんなの気にならなかった。


 ……疲れが一気に、どっと出た気がする。

 まぶたを閉じれば眠りに落ちそうだった。


 すると、誰かが立ち上がった水飛沫の音が遠くから聞こえた。


 腰まである湯船の中をゆっくりと歩き、湯気によって見えにくかった先の景色に黒い影が浮かび上がる。……緊張が走る。

 いや、もちろん地上世界の敵がいるとは思えないが、僕にとっては面識のない誰かである。


 マナさんもぺタルダも総司令もいない今、僕に会話が続けられるのか心配だった。

 顔を沈めて隠れてしまおうかと考え、もうほとんど沈ませていたけど――やめた。


 ワンダさんなら、きっとここで隠れたりしない。


 たぶんあの人なら、男だろうが女だろうが関係なく、股間を隠そうとしないで堂々と立っているはずだ。そんな気がする。


 さすがに、僕がいきなりそんな真似ができるはずもないから、とりあえずは座ったまま、顔を沈めないようにしよう。


 ごくりと唾を飲み込んだ音がやけに大きく響いた。第一声はなににしようかと、土壇場で考えて、結局、そんな時間はなかった。影が肌色へと変わり、艶のある綺麗な肉体、滑らかなラインが女性を思わせる……というか、女性だった。


 女の子だった。


「ふ、ぇ……?」

「え……」


 女の子は、銀髪の長髪を持ち上げて、後ろで束ねていた。下半身は湯船に浸かっているために見えはしなかったが、上半身はタオルも巻かずに無防備だった。


 今は視線を逸らしているが、最初ははっきりと見てしまった。


 ぺタルダよりはあって、サリーザと呼ばれていた彼女よりは小さい……。


 思い出したら体が熱くなってきた……。お湯の温度が高いせいだろうと決めつける。

 幸い、僕の方は肩まで湯船に浸かっているために、見られてはいなかったが……、


 女の子は顔を真っ赤にし、咄嗟に腕で胸を隠す。

 そして僕の近くへ、ずんずんと近づいてきて、


 キッ、と僕を睨んだ。


「――へ、へんたいっ! こんのドすけべッ!」


 強烈なビンタを受けてからはぼうっとしてしまって記憶が曖昧だったが、気づいた時には女の子はそこにはおらず、僕一人だけがぽつんと浴場に残っていた。



「ん? 意外と早かったね。顔が真っ赤だけど、のぼせたみたいだ……。大丈夫かい?」


「それは、大丈夫です。……あと、気持ち良かったです」


 それは良かった、と総司令が満足そうに頷く。


 女の子と混浴をしてしまったことを伝えるべきかと思ったが、さっきの女の子からしたら、もしかしたら誰にも言ってほしくない失敗かもしれないので、今は黙っておくことにする。


 失敗だとして、さて誰の失敗だろう。

 ――連絡ミスでもあったのかもしれない。


「そう言えば、二人は……?」


 治療室に戻ってきた時には既に、ぺタルダとマナさんの姿はなかった。


「場所を移させてもらったよ。ここだと狭くて居心地が悪いだろうと思ってね。小さい方の子は、後は意識が戻るのを待つだけだろう。元々、治療をするような部分もなかったからね。メンタルによって、負荷がかかった体によく効くツボを押してあげればいいだけだ。

 そしてマナ……、いや、もう一人の方は少々厄介で、長期的な治療になるかもしれない。それもまた、追々、説明していくつもりだよ」


 ありがとうございます、とお礼を言おうとして、言わなくていいとついさっき言われたばかりだと思い出す。出しかけた言葉を飲み込んで、二人が移った場所を教えてもらう。


「治療室と同じ階層だからそう遠くはないさ。私のお手伝いの子もいるから安心ではあるが、そうだね、部屋くらいは案内しておこう」


 治療室を出る総司令の後について行く。


 ――その途中で。

 髪を下ろして雰囲気が少し違うが、浴場で出会った女の子を遠目に見つける。


「――総司令っ、あの! ちょっと待ってもらってていいですか!?」


「いいよ。気になることがあるのだろう? 存分に調べたらいい」


 言葉に背中を押してもらい、僕は走って、曲がり角で消えた女の子を追う。


 小さくなった背中を見つけ、追いつくよりも前に叫んで、己の存在を示す。


「待ってっ!」


 しかし、聞こえていないのか、待ってくれない女の子を絶対に振り向かせるため、自分でも驚くくらいの大声で、凄いことを口走っていたことに後から気づく。


「浴場で! 一緒にいた――っ、あの時の裸、すっごい綺麗だったッ!」


 ぴたっと足を止めて振り向いた女の子は、むすっとした表情で僕をじとー、と見つめていた。


「……お互いに忘れたいことをどうしてこうも叫んだりするのかな……?」


 言われて、――しまったっ! と、口を開けたまま周囲に目をやる。


 少ないながらも通り過ぎる人は一応いるので、僕の叫びに気づいた者が数名、ちらちらと僕を見ている……。が、向こうの反応に気になることがあった。


 僕を見てから、視線を動かした後、必ず目が泳ぐ。

 僕の周囲を見回し、誰かを探すように。


「ねえ、話しているのはわたしのはずだよね……。

 呼び止めておいてなにもないなら、わたし、もう行くけど……」


「あ、待って! さっきのことなんだけど……」


『さっき』に反応し、嫌そうな顔をする少女がしているであろう誤解を解く。


 さっき口走ってしまったことをわざわざ掘り下げようってわけじゃなくて……。


 ああもうっ、浴場でのことを思い出して、当人が目の前にいるから恥ずかしい。

 伝染したのか、向き合う彼女も少々気まずそうにしていた。目が何度も逸らされる。


 お互いに、あの場でのことを思い出してしまった。

 だって、向き合う形も同じだし……。


 これ以上の沈黙はさらに気まずくなるだけだと思ったので、僕は僕の言いたいことを彼女に伝える。


「さっきはその、ごめんっ。言われたから入ったんだけど、ここのルールもまったく知らなくて……。たぶん、僕が間違っているはずだろうし、だから、ごめんっ」


「それは、間違えて女湯の時間に入っちゃったかもしれないから謝ってるの?」


 僕は頷く。すると、彼女が溜息を吐いた。

 張っていた気を緩めたのだと分かった。


 表情が、ほんの些細な変化だが、柔らかくなっていた。


「謝らなくていいよ。

 わたしが勝手に思い込んで使っていただけだから、あなたは間違っていないの」


「え……、じゃあ、わざわざ男湯に入っていたの……?」


「そう、なるけど、でも違うのっ。男の人はお風呂にあまり入らないから……。それに時間帯もちょうど、女湯から切り替わったところだったし、少しの時間なら一人でいられるかな、って……だから、あなたは全然、間違ってないのっ。謝るべきは、わたしの方だからっ!」


 彼女は、僕の頬に平手打ちをしてしまったことを言っていた。

 そう言えばされたかも、と僕としてはあまり記憶に残っていない出来事だ。


 直前の光景が衝撃的だったから――、記憶が押し出されていた。


「わたしが悪いのに、へんたいとか叫んで、叩いて、ごめんなさい……」


「べ、別に、大丈夫だよ……うん。誤解が解けたなら、良かった」


「そ、そう? ありがと……じゃあ、その――」


 言いながら足を一歩後ろに下げ、立ち去ろうとした少女よりも一瞬早く、僕の後ろに気配があった。


 振り向く前に名を呼ばれ、頭に手を乗せられる。


「一人でどうかしたのかい、アルブルくん」

「あ、総司令。今、この子に――、……って、一人?」


「ああいや、そうか、君もいたのか。……、ティカ……」


 ティカ。そう呼ばれ、少女が頷いた。


「自己紹介はもう済んだのかい? 

 これから共に暮らす仲間になるわけだ、互いに仲良くしてほしいと思うよ」


「新しい子だったんだ……そっか。だからルールも知らなかったんだね……」


 納得した少女は満足気だった。誰に見せるでもないだろうけど……、

 だから感情や、考えていることが漏れてしまっている、と言うべきだった。


 ころころと変わる表情に見惚れていると、時間を忘れそうだ。


 そう言えば、総司令に言われて気づいたが、僕たちはまだ自己紹介もしていなかった。


 会話が成立していたので必要ないとも思ったけど、これから同じ地下世界で暮らすなら、名前くらいは覚えたいし、覚えておいてほしい。

 僕にとっては新しい場所での、新しい同年代の仲間の一人なのだから。


 それから、自己紹介をしたら同い年だと分かった。だからどうというわけでもないけど、ちょっとした親近感を得た。ただ、分かりやすい仲良しを演出できてはいないと思う。


 僕とティカの会話の弾まなさに、総司令が気を遣うくらいの困り顔だった。


「じゃあ、わたし、もう行くね」

「うん。じゃあ、また会ったら――」


 会ったら、どうなのだろう? 挨拶を交わす程度だと思う。


 積もる話だってないわけだし、結局、裸で向き合っただけの仲だ。


 ……それはそれで、前例がないような出会い方な気もしたけど。


「また会ったら――よろしく」


 と、そんな無難なことしか言えなかった。

 漠然とし過ぎて仲良くする気がないと勘違いされているかな……、と不安に思って言い直そうとしたら、ティカは今日の中で一番の笑みを見せてくれた。


「うん、よろしくね」


 そして、ゆっくりと立ち去っていった。


 ……よく分からない子だった。


「……君は、あの子と気が合いそうだね」


 総司令にそう言われ、僕はそうかな、と自然と首を傾げていた。

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