第15話 カオス

 1F、C、F棟。

 2F、C棟。

 3F、A、C、F棟。

 4F、D、E棟。


 既に確認されていた穴を含め、十一の穴が新たに発見された。

 今度は薄膜が張られた状態ではなく、思い切り瓦礫として崩れるまで破壊されていた。

 海水が勢い良く流れ込み、アクアの内部からダメージを与えている……。


 加えて、数十体の黒い影も共に、海水と共に流れ込んできた。ブルゥが襲われた四足歩行の巨体ではなく、成人男性くらいの大きさで、二足歩行で立つ、鰐のバケモノ――。


 緑色の皮膚を持ち、嫌悪感を誘う質感をしている。

 瞳が獲物を狙うように、辺りを観察していた。一つの穴から六体ほどが流れ込んでくる――どこの穴も同数なので、大量のバケモノが侵入したことになる。


 カオス・グループ。


 無秩序でわがままで身勝手で、統率など取る気がない己の道をいく各々のカオスグループが、野生の感覚を頼りに、足首まで達している水を掻き分け、走り出した。


 すると、先頭を走っているカオスグループの頭が勢い良く地面へめり込んだ。

 頭を上から押され、そのまま地面まで一直線だった。

 ハンターではない。襲ったのは、同じカオスグループだった。


『ギィ、ガ……ッ』


 邪魔だ、という意思が感じられる。

 めり込んだ一体のカオスグループが起き上がり、自分を押した相手を追いかけようとしたが、後ろにいる別のカオスグループの意図的な踏みつけによって、意識が刈り取られた。


 侵入者の一体が、仲間割れによって数を減らす。


 珍しいことではない。カオスグループはいつでもどこでも、こんな感じだ。

 元々、群れることを好む種族バケモノではなく、協力という思考回路さえもない種族だ。


 ではなぜ、共に行動しているのか。


 結局、誰も彼もが隣にいる相手を利用しようとしているのだ。


 たとえば囮に。

 あるいは非常食に。

 信頼関係を作ることなく、

 最初からお前を利用するぞ、と宣言しておきながらつるんでいる集団だ。


 人間とはまた違う。

 人間は信頼関係を構築し、疑われないようにしてから相手を貶める。


 カオスグループは、そういう意味では素直だ。


 だからこそ互いに遠慮もなく、躊躇いもない。



 また一体、カオスグループが沈んでいった。


 先頭にいた一体が、二体のカオスグループから同時に、後頭部に蹴りを入れられたのだ。バランスを崩した一体が転びそうになったところに、追撃で飛び膝蹴り。

 うつ伏せに倒れた頭を踏みつけ、頭蓋を砕く。


 先頭に並ぶ二体のカオスグループが、その場で殴り合いをし始めた。


 混沌だ。


 それぞれの穴から侵入したカオスグループ――、

 住人の目の前に姿を現すのは、二分の一以下になるだろう。


 ―― ――


 なんだこれは。

 どうすればいいんだ。


 助けてくれ。

 逃げ出したい。


 この船を捨てて、今すぐに帰りたい――っ!



 目の前の悲劇を見なかったことにして立ち去ろうとしたアクア99の船長・ヒーロは、そこで足を止める。ある言葉を思い出した。父親からの『任せたぞ』という言葉。

 同時に、気負い過ぎるなよ、というさっき友達になったばかりの少年ギンの言葉。


 船長として、みんなの命を預かっている。

 だからと言ってヒーロがなんでもかんでもしなければいけないわけではない――。


 だが、


 それでも……、


「あがぁあああああああああああああああああああッッ!?」


「ひぃ、やめッ――いた、いたい! 助けて、助けてッ!!」


「いやぁだああああああッ! 待ってくれ! 置いていかないでくれぇええええええッ!」


「――放して! 返してッ! このッ……! ――あぁ、」


 くるぶしまで浸かっている海水の色は、真っ赤だった。

 首がない男性の体。誰かの腕だけが、ぷかぷかと浮いている。

 ……血生臭い。

 壁面には、書き殴ったような血の跡。

 骨を砕く音が、ヒーロの耳に届く。


 二足歩行で立ち、人間を次々と喰らっていく緑色のバケモノ。


 カオス・グループ。

 ただの人間であるヒーロでは、太刀打ちできない。



「……逃げるんじゃない、逃げたら、意味がない……」


 ぶつぶつと呟くヒーロは、恐怖を押し込む。

 しかし完璧に忘れられるわけがない。

 恐怖は残る。足が震える。言葉なんて、まともに口から出てこない。


 ヒーロは自分自身の心だけで、自分の感情を押し殺そうとしていた。

 判定が自分なのだから、甘くなるのは当然だ。


 耳元で囁かれるようなほど近い、自分のもう一つの声。



 逃げちゃえよ。

 逃げてどうする。


 ここは海中だ。

 海へ出たところで、別のバケモノに喰われるだけだ。


 襲撃されているアクア99を、どうにかするしか、生きる道はない。



 ヒーロはギンの顔を思い浮かべる。

 さっきの会話を思い出した。


 あの時は、なんだか心地良かった。


 あのガサツで遠慮がなくて、けれど隣にいると不思議と安心してしまう存在。


 まるで、自分に船長の座を明け渡した、父親と似ているような気がした。



(似てるんだ……)


(親父とギンの考えは、同じなんだ……)



『背負うかどうかは、好きにしろ。ま、あんまり気負うなよ。お前がみんなを助けているんだから、みんなもお前を助ける義務は、あるんだ。

 無理なら頼ればいい。孤高の存在で、みんなの輪の中心にいるやつよりも、輪の中に混じって手を繋ぎ合えるやつの方が、船長としては触れ合いやすいだろ』


 思い出すと同時、

 その時、ギンに包まれた手のことを思い出して、顔が真っ赤になった。


 ぶんぶんっ、と左右に頭を振って、邪念を振り払う。

 そういう感情は、今はいらない。


 ふーっ! と勢い良く息を吐いて、一旦、酸素を全て取り除く。


 そして深呼吸。

 ……よし、落ち着いた。


 冷静に、今できることを考える。


 まずは、残っている住人を避難させることから、始めよう。

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