<4.セイテンのヘキレキ>

 群馬の風は冷たかった。

 国道沿いのだだっ広いコンビニ駐車場に車を停めて、買ったばかりのホットコーヒーをすすりながら今後の方針を話し合う。


「やばいな、空っ風舐めてた。もっと厚着してくりゃよかったよ」


 鼻の頭を赤くした高千穂先輩が、白い息をまき散らしながらぼやく。

「スバル、マフラー貸そうか?」と、慣れたもので佐藤先輩はいつもと変わらぬ口調で対応していた。


「冬に五稜郭の見学行ったときもやばかったけど、群馬もやばいね」


 体を小刻みに揺すり、手をすり合わせながら小町が言った。寒さのせいでテンションは下降気味である。


「この辺りは盆地ですから、特に寒いんでしょうね」


 冷静に分析する早坂のメガネは、息で白く曇っていた。前がよく見えていないのか、声をかけた方向には誰もいない。


「みそパン食べたいなぁ」と、カイロを頬に当てた平沢先輩が、間延びした声でつぶやく。みそパンは群馬の名物という話だ。


「なあ、もうええやん。はよ車に入ろう」


 須間が震えながら急き立てる。普段日焼けサロンで熱を浴びている分、ギャルは寒さに弱いのだろうか。


 とにかく、こんな調子でまとまる様子はなく話し合う余地がない。俺達は場所を変えることにする――と言っても、ただ車内に戻るだけなのだが。

 ドアを閉め、暖房を入れてやっと人心地がついた。シートヒーターのおかげで、冷えた体がじんわりと温まっていく。


「それで、これからどないすんねん」

「とりあえず、麦畑が多い地区に行って情報収集しようと思う。わかっていることは、魔王は死ぬ直前に畑にいたってことだけだ。そういう事例があったなら、誰かおぼえてるかもしれないだろ」

「なんか、あやふやな調査法だな」一同の不安を、高千穂先輩が代弁する。「都合よく、事情通がいる確率は低いんじゃないか?」


 言いたいことはわかる。もし、その地が魔王の故郷だったとしても、それを証明してくれる人物と巡り会う機会がなければ判別できない。

 しかし、確証が何一つない状況だけに、地道に探すしか方法はなかった。


「ダメだったら、次の手を考えます。やるだけやってみましょう」

「まあ、しかたないか……」


 事前に調べておいた農耕地をナビに登録する。平沢先輩がみそパンを食べたいとぐずったが、どうにかなだめすかして車を発進させた。


 市街地を抜けると、車窓を流れる景色は田畑の土色に染まっていった。密集したビニールハウスや食品加工場が増え、道路沿いを彩る店舗は少なくなる。遠目には赤城山の尾根が見えてきた。

 やがて目的地付近に来たことをナビが告げる。目に入った畑では、青いイネの新芽を確認できた。小麦畑だろうか。


「あっ、人がいた!」


 窓にへばりついていた小町が、農道を歩く老婆を見つける。第一村人発見だ。

 近くまで寄って車を停め、俺はドアを開ける。どういうわけかマフラーを借りた高千穂先輩も、いっしょについてきた。


「すみません」と、寒さと緊張で震えた声で呼びかける。

「お婆ちゃん、ちょっと話聞きたいんだけど、いいかな」


 白い息と共に高千穂先輩がつづく。さすがに偉そうな態度は控えていたが、堂々として一切の躊躇がない。まったく物怖じしない姿は心強かった。

 もっそりと振り返った老婆が、しわくちゃな顔で不思議そうに俺達を見る。


「なんだね、どうしたんだい?」


 標準語とは少しイントネーションが違う。上州弁の名残りだろうか。


「えっと、この辺りで農作業……たぶん麦踏みだと思うんですが、その直後に亡くなった人の話を知りませんか。おそらく、かなり昔の話です」

「はあ?」と、老婆は困惑する。


 説明に無理があると自分でも思った。できるかぎり噛み砕いて、何層にも説明を足していくしかない。

 この要領をえない奇妙な話を、老婆は根気強く聞いてくれた。本当に理解してもらえたのかは微妙なところだが、一応は説明を終えると、あっさりとした答えが返ってくる。


「さあ、そんな話聞いたことないねぇ」


 がっかりした気持ちが顔にもれ出ないように我慢して、老婆に礼を言い車に戻る。

 この仕事を三度繰り返した。三度とも、答えは同じだった。


「どうすんの、まだつづける?」


 三度とも付き合ってくれた高千穂先輩は、呆れを顔ににじませていた。

 最初から無理のあるプランだったのだろうか。望みはまるで見えてこない。周辺を一通り回り、早くも声をかける相手がいなくなったことも痛い。

 聞き込む人がいなくては、もうどうしようもなかった。俺は結論を決めかねて言葉に詰まる。


 そのとき、「あの、ちょっといいですか」後ろの席から声が届く。


 身を乗り出してきた早坂が、いきなり手にしたスマホの画面を見せた。そこには役場のホームページが映し出されている。

 意図がわからず、戸惑い首をかしげた。隣の運転席から、妙なタイミングでグウと腹の虫が聞こえる。


「センパイ、そこにいってみませんか」

「役場で聞き込みするのか?」

「それもいいですけど、併設している図書館に行ってみたいんです――」


 他に手立てのない俺は、とりあえず現状を脱却したくて、よくわからないまま早坂案に乗っかることにした。

 役場はすぐ近くで、十分とかからず到着する。図書館は役場の二階にあり、同居する別の施設との兼ね合いでかなりこじんまりとしたものだった。


 早坂は図書館に踏み入ると、まっすぐ受付カウンターに向かい、蔵書の破損チェックに精を出していた司書に声をかける。


「すみません、地元新聞のデジタルアーカイブを閲覧できませんか」

「へっ、地元紙の……」


 顔を上げた司書は、気弱そうなメガネの女性だった。まだ二十代前半といったところ、見た目だけなら高校生に混じっても遜色ない若い顔立ちをしている。

 その印象は、どことなく早坂と重なった。図書に関わる業務をこなす者は、同じような系統になるのだろうか。


「アーカイブはそこのパソコンで見れます。年代はいつ頃ですか」

「えっと……全部で」


 とんでもない要望に理解が追いつかなかったのか、司書はしばらく呆けた後、「ぜ、全部?!」と、メガネをずらす勢いで叫んだ。


 図書館の利用客が、じろりと非難の目を向けてくる。司書は赤面して、メガネを支えながら顔を伏せた。


「あの、使わせてもらいますね」


 司書の失態に図書委員は同情的なやんわりとした笑顔を送り、軽く会釈してパソコンデスクについた。

 小さな図書館だけに、備えつけのパソコンは一台しかない。俺達は後ろに回って、肩を寄せ合いのぞき込む。

 早坂がマウスを操りアーカイブを開いた。地元新聞は明治二十年創刊で、そのデータ量は膨大だ。


「うひー、これを全部調べるの?」と、小町がうんざりした声をもらす。

「さすがに全部は無理だと思うので、ある程度絞って調べてみます」絞ると言っても、だいたいの年月さえも見当がついていない状況だ。気が遠くなる作業であることは変わりない。「他にパソコンもないですし、ここはわたし一人で大丈夫ですよ。みなさんは別の方法で調査してください。何かわかったら、連絡しますので」


 俺達は困り顔を見合わせる。そうは言われても、早坂だけに押しつけるのは申し訳ない。


「俺も残るよ。俺がやらなきゃいけないことなんだ」

「そうね、早坂さんだけに任せるわけにはいかないわ」


 佐藤先輩も同調してくれた。だが、他の面々はどうにも決まりが悪い顔をしている。

 残ったからといって、何ができるわけでもない。ただ後ろで見ていることしかできないのだ。早坂の提案は、合理的な判断と言える――という筋の通った理由からではなく、単純に面倒だと思っているにちがいない。


「じゃあさ、ここは二手にわかれようよ。わたしは外で調べてくる」と、しれっと平沢先輩が言った。

 すかさず須間と小町が手を上げる。


「羽織さん、うちも手伝うよ」

「わたしも、わたしも!」


 そうして図書館組と調査組にわかれることになった。調査組の顔ぶれ的に、あまり期待できそうにない。

 かと言って、図書館組が期待できるかといえばそんなわけもなく、疲労感だけが積もっていく不毛な時間が流れる。ディスプレイとにらめっこすること一時間ほど、なんの成果も出ぬまま、マウスのクリック音をむなしく聞きつづけていた。


「ねえ、ちょっと休憩しない」と、だらけた格好で友人に寄りかかっていた高千穂先輩がうったえる。


「……わたしは、もうちょっとつづけます。みなさんは、遠慮なくどうぞ」


 メガネをはずし、閉じたまぶたの上から眼球をマッサージしながら早坂が答えた。俺は即断即決する。


「ダメだ、早坂も休むぞ。ほら、立った立った――」


 彼女が着ているピーコートの肩部分をつかみ、力任せに引っ張り上げて強引に立たせた。ほうっておくと、いつまでもパソコンにかじりついていそうだ。

 渋る早坂を連れて、一旦図書館を出る。すぐ近くにカップジュースの自販機があったので、カフェオレを買って手に持たせた。

 俺達は設置されていたベンチソファに腰かけて、頭と体をリフレッシュさせる。早坂は不満そうな顔で、ちびちびとカフェオレを舐めていた。


「そうだ、お土産買わなきゃ」ふいに高千穂先輩が言った。「お父さんとお母さんと、ひな子と真澄とイッチーと、それに生徒会の分も」

「いま買っても荷物になるから、帰りのほうがいいんじゃない」


 唐突な話題の発端は、壁際の陳列台にあった。そこには、この地方の名産品が展示されていた。

 これを見て、土産を連想したのだろう。なんとなしに俺も見てみると、こけしやだるま、絹織物に尺八といったものが並んでいる。


 俺の隣に来た早坂が、そのなかの一つ――かるたを手に取った。というらしい。

 まだ不満をくすぶらせた顔で、かるたを一枚一枚めくり、億劫そうに目を通している。別段興味があったわけではないだろう。手持ち無沙汰の解消に、漠然と作業のように行っていたのだと思う。


 だが、その結果、「うえっ!?」早坂の口から奇妙な声がこぼれた。

 俺達は驚き目を丸くし、打って変わって興奮を宿らせた早坂の顔を見た。メガネが斜めにずれている。


「ど、どうしたんだ?」

「センパイ、これを見てください!」


 ぐいっと一枚のかるたを眼前に突きつけられる。近すぎて読めないので、俺は背を反らしてかるたに書かれた文字を見た。

 上毛かるたは、群馬の郷土かるただ。百人一首ではなく、群馬県の歴史や文化を札にしてある。


らいと空っ風、義理人情」と、早坂が手にした札を読みあげた。

「えっと、それで?」


 いきなり言われても戸惑いしかない。俺は困惑を早坂に向ける。


らいです、カミナリです! わたし、ずっと気になっていたんですよ。魔王が唯一おぼえていた前世の記憶は、あまりに牧歌的で死の直前という条件にあっていないように思っていました。死を招く危機的な何かが、まったくなさすぎて不自然と言いますか――」


 言われてみると、『青く芽吹いたイネが連なる畑の中で、山稜から吹き下ろす冷たい風を浴びた』この言葉に死のにおいはない。


「考えてもみなかったけど、あの状況から死ぬとしたら、外的要因はなさそうだし、脳梗塞か心臓発作といったところかしら。死ぬ直前の記憶なら、そっちが残りそうなものよね」


 アゴに手を当てた佐藤先輩が深くうなずく。高千穂先輩はぽかんとしていた。

 俺の死の直前の記憶は、車の強烈なヘッドライトの灯りだった。それを参照すると、確かに魔王の記憶は不自然に感じる。


「もし記憶に残らないほど突発的な死だったとしたら、カミナリはおおいにありえると思いませんか」

「カミナリ、カミナリか!」

「うん、畑のなかでカミナリに打たれて死んだとしたら、絶対にニュースになると思う。新聞に載ってる可能性は高いんじゃないかな」


 俺と早坂と佐藤先輩――まだ事態を飲み込めていない高千穂先輩を除く三人は、顔を見合わせると大急ぎで図書館に戻った。

 早坂は一目散に受付カウンターに駆けていき、メガネの司書に声をかける。


「すみません。新聞記事の文字検索はできないんでしょうか」

「新聞は画像データで残してあるから、日付け以外の検索はできませんね」


 おそらく、この返答を予想していたのだろう。早坂はめげることなく、再びパソコンにかじりついた。

 司書の目には、ある種異様な光景に映ったのかもしれない。抑えきれない不審が表情筋にあらわれている。


「あなた達、いったい何を探しているの?」


 戸惑いと遠慮が混じった小さな声が、こわごわと俺達に投げかけられた。


「畑でカミナリに打たれて死んだ人を探してます。知りませんか?」


 俺は正直に答える。異世界云々を除けば隠す必要はないと思い、さして深く考えずに軽い気持ちで言った。

 すると、「うえっ!?」と、司書が奇妙な声をこぼす。まったく予期していなかった反応だ。


 またもや図書館の利用客に非難の目を向けられ、司書は赤面して顔を伏せた。

 俺達は目線を合わせて、この状況を読解する。あきらかに動揺からくる奇声だった。


「何か心当たりがあるのですか?」と、すかさず佐藤先輩が詰め寄る。

 ずれたメガネを直して、司書は困惑に染まった顔をビクビクしながら持ち上げた。微妙に肩が震えている。


「いえ、似たような話を祖母に聞いたことがあるだけで、あなた達が探している人かどうかは……」

「くわしく話を聞かせなさい!」


 今度は高千穂先輩に詰められて、ますます動揺が広がっている。まるでメデューサと出くわしたかのように、視線が右に左に激しく揺れて、けっして目を合わそうとはしない。

 俺も尋問に加わろうと踏み出すが、ゆるく腕を取られて止められた。佐藤先輩が首を振って、そっと俺の前に出る。任せておけということらしい。


「お婆さんの住所を教えてください。直接話を聞きます」

「えっ、それはちょっと――」


 顔を強張らせて、司書は抵抗した。当たり前だ。いきなり見知らぬ高校生に、身内に会わせろと言われたら誰だって警戒する。

 佐藤先輩らしからぬ、ずいぶんと乱暴な要請に思えた。


「それなら、司書さんが聞いたという話を聞かせてください。お時間いただけませんか?」

「す、少しなら、いいですけど」


 渋々ながら司書が折れる。もっと手こずるかと思ったが、案外すんなりと話が進んだ。

 あとで聞いたことだが、これは『ドア・イン・ザ・フェイス』という心理学を応用した交渉術だという。まず難易度の高い要求をして断らせ、次に難易度の低い要求を伝えることで、心理的ハードルを下げて承諾をえられやすくするテクニックらしい。

 佐藤先輩は得意ので、この状況に誘導したわけだ。


 ここまでくると、もうお手のもので――高千穂先輩と佐藤先輩の生徒会コンビは、司書から根掘り葉掘りと話を聞き出す。アメとムチを巧みに使った交渉で、彼女が知る情報をすべて吐き出させた。どちらがアメを担当し、どちらがムチを担当していたかは、言うまでもないだろう。


 とにもかくにも思わぬところから転がり出てきた手がかりが、時間のかぎられた俺達にとって最後の希望だ。

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