<2.秘密のビジネスセミナー>

「あんた、足のほうはもう大丈夫なん?」


 セリフだけを聞くと心配しているふうだが、関西弁独特のイントネーションで繰られた言葉は心配とはほど遠い響きとなっていた。

 須間はツンと俺の足をつつく。幸いにも左足だったのでよかったが、ケガ人にする行為としては最低の部類だ。


「まあ、どうにか……」

「元気そうでよかった。事故ったって聞いたとき、ちょっとは心配したんやで」俺の背中に隠れていた早坂を見つけて、須間の顔に下品な笑みが浮かぶ。「なんや、うちに彼女を紹介しにきたんか。のろけ話はよそでやりィ」

「違うっての。この子は後輩の早坂。いま抱えてる問題を……その、解決するのを手伝ってもらってるんだ」


 伝えようがない事柄だけに、どうしても曖昧な説明になってしまう。須間のカラコンで大きくなった瞳の奥に、疑念の影がよぎっていた。


「はじめまして、早坂満です」


 深くお辞儀して挨拶する早坂に、須間はネイルがきらめく手を振って応える。


「で、彼女の紹介やなかったら、どういう用件?」

「聞きたいことがあるんだ。ここじゃあなんだし、図書室に行こうか」

「別にええけど、人に聞かれたらやばい話なんか。あんまりめんどうな問題持ってこられても、困るんやけどなぁ」


 そのものズバリ、やばい話だ――とは言えず、俺は微妙な表情でお茶をにごす。イエスともノーとも言わない。

 須間はいぶかしげに俺を見ていたが、短く息をつくだけで拒否することはなかった。


「あの、須間さん」


 図書室までの短い道中、早坂が遠慮がちに声をかける。レンズ越しに、最大限に気をつかう様子が見て取れた。

 須間は苦笑して、若干関西弁のイントネーションをやわらかく調整する。


「千里でええよ、堅苦しいのは苦手や。後輩ちゃんに気をつかわれるような偉い先輩でもないし」

「あれっ、俺は?」

「アホかい、男は別に決まっとるやろ。身内でも彼氏でもない男に名前呼ばれるなんて、キショいだけや」


 早坂とは対照的に、俺にはやけに当たりが強い。たぶん、わざとだろう。

 須間は見た目に反して頭がいい。地頭はもちろん、意外なことに復習を怠らない勤勉さも持ち合わせている。投資家としての側面が、須間の思考形成にかなり影響しているのだと思う。

 そんな須間が、あえて対応に明確な差をつけたのには、きっと意味がある。緊張気味な早坂を、なごませようとしているのかもしれない。


「えっと、千里さん」早坂の固かった表情が、わずかに解けていた。「千里さんは学生なのに、投資をなさっているんですよね。いつからはじめたんですか?」

「まだ大阪におるときやら、中学上がってすぐやったかな。うちのお父ちゃん、いろいろと影響されやすい人で、有名な投資家が子供の頃から投資してたって話を聞いて、うちにやるよう押しつけてきよった。最初は嫌々やったけど、まあ、いまはそこそこ楽しくやってるよ」


 一年の頃に聞いた話では――最初に渡された十万円をすぐに溶かしてしまったことが悔しくて、お年玉から捻出した五万円で再開。一から勉強して、堅実な投資でコツコツと稼いでいったらしい。ギャルに目覚めてからは化粧品関連の株を買い、優待券でコスメを集めるようになったと自慢げに言っていた。


「いま、どれくらい資産があるんだ?」

「それ聞くかぁ?」直接的な質問に、須間は呆れて笑う。「まだ全然。ようやっと八桁になった程度やな」


 指折って桁を確認して、俺は愕然とする。学生が持っていて、いい額じゃない。

 制服を着崩したチャラい風体が、このときだけは金ピカに輝いて見えた。


「言っとくけど、あくまで資産額で、それをそのまま使えるわけやないんやで。金貸してくれ言われても、貸さへんからな」

「安心してくれ。ほしいのは金じゃない」


 金儲けが目的であるが、ここから異世界には送金できない、貸してもらえたとしても意味がなかった。ほしいのは、須間の知恵だ。


 図書室に到着すると、先導するように早坂が扉を開けて招き入れる。

 珍しいことに、数人の生徒が先客でいた。読書目的ではなく、雑談の場所として利用しているようだ。長テーブルにお菓子を広げて囲んでいる。図書室は飲食が禁止されていることもあって、図書委員の早坂はいい顔をしなかったが、注意するまでにはいたらなかった。


「どうしよう、他を探すか?」

「……あ、そうだ。こっちに来てください」


 そう言って早坂が案内したのは受付所だ。カウンター型の記入台の奥、壁際に扉が設置されていた。なかは、スチールラックと事務机が置かれている。

 どうやら物置き兼図書委員用の休憩室として使われているようだ。


「少しせまいですけど、ここなら誰にも聞かれないと思います」


 早坂が部屋にあった唯一のイスを俺に回してくれる。右足が痛むので、遠慮なく座らせてもらうことにした。

 須間は事務机に腰を下ろす。ちょうど俺の顔の高さと、組んだ足がぴったりと重なった。短いスカートから伸びた足は……ちょっぴり太めだった。


「さて、そろそろなんの話が教えてくれてもええんちゃう?」


 俺は早坂と目配せして、息を整えてから改まって告げる。


「須間に金の稼ぎ方を教わりたい。どうしても百八十万を二千万まで増やさなきゃいけないんだ」

「ハア?」と、これ以上ないほどわかりやすく、須間は困惑をあらわした。綺麗に整えた眉が、波打つように歪んでいる。


 突然こんなことを言われては、彼女でなくとも戸惑うだけだろう。よけい怪しまれると理解しているので、事情を説明することができずもどかしい。


「ようわからんけど、株でもはじめたいん?」

「そういうことじゃなくて、とにかく金を増やす方法を知りたいんだ。投資の世界に精通している須間なら、何かうまいやり方を知ってるんじゃないかと思ってさ」

「アホか。そんなもん、あるわけないやろ!」


 真正面から、怒られた。

 うろたえた俺に代わり、早坂が質問を引き継ぐ。


「もし千里さんが、同じ条件で稼ぐとしたらどうしますか?」

「百八十万を二千万かぁ。期間は?」

「できるだけ早く。現金化したいので、そのあたりも考慮してほしいです」


 うまい言い回しだ。やっぱり早坂は頼りなる。

 組んだ足をブラブラ揺らしながら、須間は天井を仰いで思索にふけた。への字に曲げた口元から、かすかなうなり声がもれ聞こえる。


「ドカンと稼ぎたいんなら、リスクはでかいけど先物がええんちゃうかなぁ。ただ現金化となると、ちょっと考えなあかんね」


 先物取引というやつか。くわしく知っているわけではないが、漠然とハイリスク・ハイリターンのイメージがある。

 短期間で大金をえるためには、やはりリスクなしというわけにはいかない。その点は陽介も覚悟していると思う。

 問題は、異世界の経済事情だ。異世界に先物取引が存在しているのだろうか。もっと原始的で直接的な金儲けの手段を、模索する必要をおぼえる。


「他に稼げそうな方法はないかな。株とか先物みたいな現代的な稼ぎ方じゃなくて、そういうのがない古い時代でも通用する稼ぎ方で」


 須間は怪訝そうに眉根をよせた。あまりに力が入りすぎて、つけまつ毛がズレそうになっている。


「どういう状況やねん。あんたはどこで、何をしようとしとるんや」


 思わず俺と早坂は顔を見合わせる。そのあたりをつっこまれると、なんとも言えない。転生や異世界をぼかして、説明できる気がしなかった。


「ゲ、ゲーム」必死に震えを抑え込んだ声で、おずおずと早坂が言った。「ファンタジー世界で大金を稼ぐ方法を考察する――そんな思考力を試すゲームが、インターネットにあったんです。それをどうしてもクリアしたくて、千里さんを頼りました」


 かなり無理のある設定だが、一応は筋の通った理由をでっちあげた。早坂がいなかったら、俺にはどうにもできなかった。

 須間はにらみつけるように俺と早坂の顔を交互に見て、わざとらしい大きなため息をつく。


「こんなとこで隠れて話さなあかん説明にならへんけど……まあ、ええわ。そこは、株も先物もない世界なんやな」


 あきらかに怪しんでいるが、意外なことに須間は乗っかってくれた。なんでも言ってみるものだ。

 再び思索にふけた須間は、鼻先にふれながら天井を見上げる。その視線が下りてくるのに、一分ほど要した。


「ゲームの話なら、無茶してもええよな。いまやったらお縄になるようなあくどいことでも、ゲームなら捕まる心配はない」

「程度によるとは思うけど……どんなことだ」

「インサイダー取引」と、どや顔で須間は言った。


 ニュースなどで時おり耳にする言葉だ。同じ高校生の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 インサイダー取引は、未公表の内部情報を利用して有利に証券取引を行うこと――と、俺は認識している。これがどこまであっているかは、正直よくわからない。ただ解決策として、そぐわないことはわかる。


「そのインサイダーってのは、投資の犯罪じゃないのか?」

「そうやけど、問題の本質部分を抜き取れば、ゲームのけったいな条件化でも使えるんちゃうかな。たとえば将来的に品薄になることが確定しとる商品の情報を、誰よりも先に知りえたら大儲けできると思わへん。情報が出回る前に買い占めて、それを転売する。他にはないんやから、多少高額でも買うしかない」


 予想だにしなかった経路をたどり、須間は奇策を導き出した。俺は思わずひざを打つ。


「な、なるほど、そんな手があるのか」

「現代でやったら、ひんしゅくもんやけどな」


 確かに転売は褒められた行為じゃない。もし転売のせいでほしいものが手に入らなかったら、俺はきっと怒り狂う。


「勇者がやっていいのかな……」と、早坂はぼそりとつぶやいた。


 早坂が不安がるのもわかる。勇者という立場的に、転売行為に走れば信用を失う危険性はあった。

 でも、先に無茶ぶりしてきたのは陽介のほうだ。これくらいの泥はかぶってもらわなければ困る。


「こんなとこでええか。たぶん、うまくいくんちゃう、知らんけど」

「ありがとう、助かった。須間の案を提案してみる」


 とりあえず一つの道筋をえたことで、心が少し軽くなった。それが実現可能な方法であるか確認するまでは、まだ完全解決というわけにはいかないが、何もアイデアのない空っぽの状態を脱したことは、素直に喜ばしかった。


 残すは、いつ連絡がくるかという問題だが――思いのほか早く、スマホの通知画面に文字化けした記号が並ぶ。

 放課後となり、帰り支度をしている途中に陽介から連絡がきた。俺は通話ボタンを押しながら、慌てて教室を飛び出す。


『兄貴、なんかいい方法見つかったか?』


 こちらの事情などおかまいなしの、腹立たしいのんきな声が耳に届く。


「お、おい待て。ここだとまずい!」


 俺は帰宅する生徒の群れをかき分けて、痛む足を引きずり廊下を進む。

 今日は早坂が図書委員の当番曜日ではない。ややこしくなりそうな説明を話さなければならない通達の際は、彼女にも同席してほしかったので、まだ帰宅していないことを願って一年の教室棟へ向かう。

 その途中、ばったり須間と出くわした。スマホを眺めながら歩いていたのに、すれ違う瞬間、須間はふいと顔を上げたのだ。運の悪いことに、しっかりと目があう。


「よお、倉本。そんな慌ててどないしたん?」

「えっ、いや、ちょっと野暮用――」


 怪訝そうな須間の視線を、曖昧に笑ってごまかす。ごまかしきれていないことは、一層険しくなった顔を見れば一目瞭然だった。


『兄貴、まだかー。早くしないと魔力マナが尽きちまうよ』と、スマホがよけいなことをしゃべり出す。

「急いでんだ、じゃあな!」


 俺は強引に話を打ち切り、大きく足を踏み出した。ギシギシとボルトの入った足首が軋む。

 痛いなんてことは言っていられなかった。これはリハビリだと自分に言い聞かせて、我慢して歩きつづける。

 校舎の二年棟と一年棟をつなぐ渡り廊下を通り抜けると、ちょうど友人を連れ立って教室から出てきた早坂を発見した。


「あれ、センパイ?!」


 俺を見つけた早坂は、目を丸くして駆けよってくる。あまり運動が得意とは思えないドタバタした走りの振動で、微妙にメガネがズレていた。


「よかった、まだいた……」

「センパイ、どうかしたんですか?」


 スマホの通知画面をちらりと見せる。文字化けした記号をレンズに反射させた早坂は、くるっと反転して友人の元に行き、すぐにドタバタと戻ってきた。

 どうやら、いっしょに帰る約束をキャンセルしたようだ。早坂の友人は軽く手を振り、一人で歩き出した。去り際に「ミチル、あとで報告しろよー」と告げた顔は、どこか楽しげだった。


 強張った笑顔で視線を泳がせる早坂は、俺の制服の袖を遠慮がちにつまみ、近くの扉に引っ張り込む。俺も一年の頃は同じ棟ですごしていたので、そこが何か理解している。

 理科室と併設した準備室だ。薬品のにおいが染みついた小さな部屋には、壁際に資料や器具が詰まった棚が並び、都合よく机と二脚のイスが置かれていた。


「ここなら、誰も来ません」


 俺はスマホを机に置いて、イスに腰かける。体重がかかったことで、足下のキャスターが悲鳴のような甲高い音を立てた。


『おーい、兄貴。そろそろいいかー』


 陽介の急かす声に、ため息がかぶさる。うんざりしながら俺は、早坂に目配せした。

 彼女は苦笑しながら、俺と向き合うように座る。これで準備は整った、ビジネスセミナーのはじまりだ。

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