第13話 柔潤

 狼の遠吠え。

 はぐれ狼が仲間を呼び寄せている。

 しかし、ここはピジョンの草原だ。陽のあるうちは低級の魔物しか出てこない。どれだけ集まろうが烏合の衆。直ぐに襲いかかってくる猛者などおらず、互いにけしかけ合うだけだろう。

 つまり。物質構成変革クラスチェンジするに余裕がある。


「ゆっくりで、大丈夫」

 勇者は従者に向かって言った。必要充分にして、有無を云わせぬ指示。

 びくんと、娘の肩は跳ねた。


 先ほどのレッスンで。

 身体中、濡れて。


―― ど、どうしよう・・・ ――

 


 勇者は前に出て位置を取る。魔物らを警戒しながら、同時に従者を眺めることができる場所。

 勇者は、黙って見詰める。

 娘は、おずおずと弓を置いた。


 汗か。・・そうではないものか。

 自分でも、分からない。


「身体は身体。リンちゃんはリンちゃんだ。先程それを会得したように見えました。・・僕はその双方を、全力で受け止めたい。それが僕の喜びなのです。リンちゃんと、リンちゃんの身体。その二つが僕の中で交わって、僕を強くするのです」


 勇者の言葉は、娘の頭には届かない。しかし、その心には響いた。喜び。受け入れ受け止めることが、喜びだと。

 あり得ぬほどに恥ずかしい。

 だが。有るが儘に、受け止めると・・

 狼の遠吠えが気掛かりで。

 長引けば長引くほど、事態は悪化する。羞恥は深まる。思考はぐるぐると渦を巻く。

 

 全てを閉ざし。

 素早く、済ませてしまおうか・・


 しかし。


「今日は、なに色?」

 娘の決意を削ぐように勇者が言う。


「・・・な、何が?」

「・・なに色、なの?」

 冷たいくらいの眼差しで、切り込むように勇者は言う。

「な、何で、・・そんなことっ・・」

 質問内容は分かったが、質問の意図が解らない。

 ・・すぐに判ること、だろうに。


「リンちゃんの口から、聴きたい」

 つまり。儀式の形骸化は許さない、しっかり羞恥を噛み締めて欲しい、というわけか。

 娘は唇を一文字に結び、勇者を睨む。

 勇者は真摯な顔で受けとめた。


 恥ずかしければ恥ずかしいほどに。深淵に近付き、力を得る。


―― そんなこと、あるの・・? ――


 従者の感覚、今までの経験則からすれば当然に生ずる疑問だ。しかし、いくつかの事象がその疑問に明確な答えを示してきた。



 真実は。いつだって狂気や荒唐無稽の中に隠されている。

 なぜなら。

 真実とは、生命を未踏の地へと導くものだから。いや、正しくは『今回の未踏』か。

 回帰の中で、線は楕円を螺旋を描く。円の変容こそが世界の広がりだ。

 生命はより多くの事象に触れようと、その軌道を変える。縦横無尽に廻ろうと試みる。

 その発意は、狂気や荒唐無稽の中にこそ生じる。眼前の当たり前な事象ではなく。一見するとあり得ない、あってはならないようなものの中に隠れている。

 それを得たとき。我々は『真理』をまた見出だすのだ。



「なに色、なの?」


 飛び込むのは、よし。

 閉ざすことは許すまじ。


 娘は唇を噛み締める。憎らしいくらいに平然と聴く勇者。

 しかし。乗り越えねばならない。


「・・・しろ・・」

「聞こえません。大きな声で」

「・・・白ですっ」

「そう。・・ふふ。楽しみです」

 にやりと口の端だけ吊り上げ、冷酷な笑みを演出する勇者。従者は、それが勇者による『儀式』の一部だと気づく。しかし、演じられた姿であったと知っても、背中にひやりとしたものを感じてしまう。ぞくりとする。


―― ・・早く。

 いつもの勇者さまに戻ってほしいっ

 ・・なんだか、こわいよっ ――


 得体の知れない恐怖に身を竦める従者。

 こわいのは、勇者の態度か。

 それとも。



「さあ」

 勇者が、ずいっと手を伸ばした。


 二度目は、辛い。

 自分を知ってしまったら、余計に。


 娘は勇者が見ている前で、身体を屈める。それだけでも充分恥ずかしいのに、顔を上げてこちらを見よと、勇者は要求する。

 狼の遠吠えだけでなく、雑多な魔獣の叫び声が聞こえている。焦る。しかし、やらなければ先に進めない。

 火照って重くなった顔を懸命に上げて、勇者を睨むように見上げる。途端に突き刺すような視線を浴びて、慌てて俯く。かっと身体が熱くなる。叱責。視界が滲む。唇を噛み締め、見上げる。・・観られている。


 大きく息を吐き、前屈みになりながらスカートに手を入れる。

 あろうことか。勇者は娘の前にしゃがみこんだ。

「や、やめてっ!!」

「さすがに、急いだ方がいい」

「だったらっ!」

「僕は、観るよ。・・じっくりと」

「っ!・・・・」


 何を言っても無駄。そんな空気が場を支配している。ぎゅっと目を瞑り、あれに手を掛ける。途端に声が飛んでくる。

「こっちを見て」

 なんで、こんなことを。なんでこんな責め苦を受けているのかと、娘は混乱する。受け入れるつもりなど、ないのに。


 スカートは長い。脚をあれから抜くときでさえ、そうそう見えるものではない。

 しかし、眼前にしゃがみこまれて。下から覗き込まれて。核心部分を注視されている。

 それを認めた上で、脱ぐだなんて・・


―― 有り得ない。

 やっぱり、無理よ。


 ・・でも、どうしたら・・ ――


 心臓は痛いほど高鳴り、息苦しく。身体は熱く頭は朦朧とする。苦しみなのか哀しみなのか、瞳に涙が溢れては零れていく。懸命に目をしばたたき、勇者の姿を求める。


 勇者の瞳に優しい光が見えた。

 身体がぶるりと震えた。


―― 早く終わりにして。

 早く、・・・支えてほしい・・ ――



 力を込めて、引き下ろす。

 脚が震える。勇者がしゃがんだまま体を前に出し、肩を差し出す。その肩に手を置き、もう一方の手であれを掴み脚を抜く。腰が抜けたようになってしまい、勇者の前に膝をつく。勇者は娘を抱き締めて、その手を取り優しく言った。

「ありがとうっ!よく頑張ってくれた!今はここまでっ! 休んでいてっ」


 あれを掴んだ勇者は、駆け出した。





 目映い閃光。


 世界が、白光した。







 光が収まると従者は涙をぬぐい、懸命に立ち上がった。



 ぽてりと潤いあるそれは、いつも以上に濃密な高香に満ちている。高貴な甘さと純潔な爽やかさ。

 吸い込むと、身体がばらばらに弾けそうな快楽。身体の筋々がぴんと張り詰める。

 堪らず勇者は脚を止めた。

 世界が、目映い。



―― やはり。

 ・・とんでもない力だ ――



 身体を翻弄する快楽は、光が収まるのと共に引いていった。同時に、漲る力を感じた。

 手にする白金の棍棒プラチナメイスはいつも以上に輝いているようだった。



 狼の声がした方へ走る。突っ込む。はぐれ狼を中心にして、雑多な魔物が群れている。ざっと二十頭。

 光に圧倒された一群は硬直していた。

 しかし、聖騎士勇者ホーリーナイト・ブレイブが姿を見せると、その殆んどが遁走する。

 僅かに残るのは、はぐれ狼と周囲の数頭。

 掲げた旗は下ろせない。・・意地、か。

 勇者は恥じて心の中で謝罪した。低級などと侮った。違う。

 生命の偉大さは、窮地に臨む心意気で決まる。絶望のなかでも前に道を求めた彼らの七魄は、強き命を紡ぐだろう。


 勇者は眼を凝らす。強者つわものたちに敬意を表し、力の限りを出し尽くさん。

 勇者の髪の毛がぶわっと吹き上がる。

 灼熱の闘志オーラを浴びて、はぐれ狼らは圧し潰されそうになる。それでも彼らは懸命に立っていた。

 勇者は眼を細める。

 すっと白金の棍棒プラチナメイスを動かす。


 そのとき。

 突然、背後からの攻撃。

 完全に殺気を消した矢の飛来。

 避けられず。後頭部に被弾。

 従者の叫び声。


―― しまった!手練れは後ろかっ!――


 疾風のごとく眼前の勇士らを屠り、従者の元へ馳せる。

 

「大丈夫かっ!リンちゃんっ!!」


 従者は弓を手に立っている。勇者は安堵する。怪我は無さそうだ。素早く周囲を見渡すも、魔物の気配はない。去ったのか?

 従者は、血の気の引いた顔をして立っていた。勇者を見上げると泣きそうな顔をした。いや、ひくひくと肩を揺らして泣き出した。

「ど、どうしたリンちゃんっ!」

「・・うう・・ごめんなさいーっ」

「へ?」

 ひくひくと嗚咽しながらつっかえつっかえ語る従者を抱き締めて、勇者は頷きながらその背中を優しく撫でる。

 ・・どうやら、彼女は戦闘に参加しようとしたらしい。



―― おい、あの矢。リンちゃんかよ! ――



 勇者は後頭部に手を回す。たんこぶが出来ていた。流石は聖騎士勇者ホーリーナイト・ブレイブ。矢が当たっても瘤で済む。


「そうだったんだね。いや、僕が悪かった。実際弓を放つとどうなるか、まだ教えていなかった。そのまま射ると、大きく右に逸れてしまうんだ」

「・・ごめんなさい」

「大丈夫。リンちゃんの力で聖騎士勇者ホーリーナイト・ブレイブになっているから。たんこぶが出来ただけさ」

 勇者はあははと笑った。従者はほっとした顔つきで勇者を見上げると、その胸に顔を埋めた。そしてごめんなさいと繰り返した。

 従者を抱き締めていた勇者の形状フォルムが崩れ始めた。


「あ、あっ、あいででーっっ!!!」


 勇者、絶叫。


 物質構成変革クラスチェンジが解けた途端、猛烈な痛みが勇者を襲ったようだ。


「だ、大丈夫ですかっ!!」

「あ痛たたたたっっ!!!」

「大変っ!すぐ回復魔法を掛けますっ!」

「いだだだだっっっ!!!」

「ホスピン!」

「いでいでっいででっ」

「ホスピンっ!!」

「う、ううっ・・」


 従者は背を伸ばし、勇者の頭に手を当てて回復魔法を唱えた。勇者の叫びは収まった。

「横になれますか?手当てしますね」

 従者は勇者の頭を抱えるようにしながら、ゆっくりとしゃがみ込んだ。手助けしながら勇者に体を横たえるよう促す。勇者の頭は、正座した従者の腿の上に収まった。


 草原のなか。勇者を膝枕した従者が、その頭に手をおいて優しい声音で静かに囁く。子守唄のようだ。苦悶の表情を浮かべていた勇者の顔がほどけていく。


 優しい風が吹く。

 楽しげに小鳥が歌う。


 勇者の目が、ぱちりと開いた。



―― こ、これは・・


 もしやこれはっ!

 世に聞く『膝枕』というものでは?


 い、いや!

 単なる『膝枕』にあらずっ!

 『うずめ型』だっ!! ――


 説明しよう。

 『膝枕』とは、正座した一方の腿の上に、他方が頭をのせて横たわる体位である。精神的な癒しを注入する、高等体技であると主張する輩も多い。

 この『膝枕』には派生的体位が存在する。

 通常の『膝枕』は腿の上に頭をのせる際、側面すなわち耳が腿に付くようにして、顔が外を向くようにする。一方、顔を内側、膝枕者の腹部側に向ければ派生体位『内包型』となる。包まれるような安寧を得られよう。

 更に顔を上に向ければ『対面型』となる。膝枕者と被膝枕者とが見つめ合う体位であり、精神的な結合が最も強くなる。

 これに対して、顔を逆向きにする、つまり顔面を腿に密着させるのが『うずめ型』だ。肉体的な接合が最も強く、これを許された被膝枕者は膝枕者に対し『何をしたってOK !』と思い込む。精神的体戯から肉体的体戯へと移行しやすい型といえる。


 従者は勇者を手当てするために膝枕者となった。患部が後頭部であったため『埋め型』となった。

 従者には、それ以上の意図などない。


 しかし。


―― う、埋め型・・

 埋め型だぞっっ!

 し、しかも。


 『あれ』はまだ僕の手に。



 ・・つまり。


 

 All OK ?


 Are you ready?




 Yes We Can!!!――


 

(つづく)

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