その少女は⑥



 溜まった湯舟に少女を放り投げ、その脱衣所の所でゆっくりと腰を下ろした。

 タオルや洗髪剤や石鹸も水桶に入れて投げているから、適当に綺麗にしてくれるだろう。


「……はぁ」


 脱衣所にいる理由は『監視』というには仰々しいが、出会って数日の異性の……それも少女だ。何をされるか分からない。


 ここを退くのだから暴れられても構いはしないが、せめて綺麗な状態で出て行ってやりたい。

 雨風を感じずに寝れる日々をくれた家なのだから、それくらいの思い入れはあった。


 うはー! と気持ちよさそうに湯舟に使っている少女の声が反響をするのを聞き、脱衣所でエレはふっと息をついた。

 


「お前、家は」


「ないヨ?」


「今までどうしてきた」


「教会に言って泊めてもらってタ」


 だけど――と言って、バシャバシャとなっていた水音が止んで。



「エレの家が分かってからは、近くで寝てタ!」


「近く……って、お前……」


 出てきそうな言葉を喉の奥に引っ込めた。

 ようやく、彼女が頭の上に枯れ葉を乗っけていた理由が分かったのだ。




 エレの家は街中にはなく、山の中に構えている。

 買うのだから、大きく、住み心地のいい場所が良い。

 その思いで建てたのが、街はずれのこの家だ。


 街の中央にある教会との距離は歩いて十キロ以上はある。

 エレは山中を自由に走り回れるだけの運動能力を持っているから「冒険に行く前の準備運動だ」と難なく数分で到達はできるが……。

 少女がその距離を――神官衣という動きにくい衣類に身を包んで移動するには、到底一時間では足りない。



 上り坂などを考慮すれば、四、五時間はかかるとみていい。



 それに、こんな早朝だ。

 この家に来るためには夜中に教会を出なければならない。

 夜中の山登りはそりゃあ恐ろしい。

 迷子にもなるし、気温は低いし、道を誤れば後日に死体になってさようならだ。



「――――そうか。だからか」



 頭や肩に枯れ葉を乗せていた理由……。


 寒空の下、

 防寒具もなく、

 身を縮めて寝ていたら、

 衣類のそこかしこに地面に落ちている枯れ葉が付いてくるに決まっている。


 一応は払ってはみたのだろうが、そのし忘れが乗っていたらしい。



 ――全ては、一度、自分の後ろをついてきて来るのには時間がかかると踏んだから――

 


「馬鹿だな、お前。外で寝てたんだろ」


「うン」


「凍え死ぬぞ」


「エレと早く会いたいから、寒くても平気ダ」


「そーいう訳じゃねぇーっての」


「そーゆー訳なノ! 五年間も頑張ったんだから、一秒も我慢したくないんダ」


 再びバシャバシャと遊ぶような音が聞こえて、エレはポケットに入れていた懐中時計に目をやる。


「……」


 街中では、そろそろ広報紙が配られだしている頃か。


 今日の紙面に載っているとの確証はない。

 が、二日も猶予をくれたのだから、もうじき、遅くても明日にはエレの行いが様々な尾ひれがついて広まっていることだろう。


 今日が出ていくのに最善の日には間違いない。

 


「――なぁ」



「――ネ」



 二人の声が重なり「あ」と間が抜けた声が二人からこぼれる。

 アレッタが譲るように黙り込んだが、エレが「いいから話してみろ」と言ってアレッタに発言権を譲る。


「あの荷物、どうするノ?」


 ちゃぷっ、と手で掬った水が湯舟の元へ返る音が響く。

 

「悩み中」


「エ?」


「とりあえずはこの街からは出ていくつもりだ。東に行くと俺の生まれ故郷がある……そこなら居心地も悪くはないと思ってる」


「ふーン」


 全く興味のない話への相槌のようだった。


 エレの頭の中で、一つの疑問が浮かぶ。

 五年ぶり。

 この土地に帰ってきたのはそんな年月では換算できないほど、大きな時間が経過している。 


 この少女――アレッタは、この土地の神官ではない。


 どういう訳か、勇者の一党が王国に帰ったタイミングで。

 エレが滞在すると決めた街に、

 飛び込むように駆け付け、

 人探しをするように名前を出したのだろう。


 エレっていう人を知りませんか、と。


 

「――――でも、ワタシはエレの仲間だから関係なイ!」



 バシャリと水音が聞こえる。

 すりガラスに見えるのは、ぼやけた細くすらりと伸びた肢体だった。

 ――湯舟から上がる。

 そう思って、脱衣所から出ようとしたエレよりも早くアレッタは濡れたまま、エレの体に抱き着いた。


「おい、濡れるだろ」


「どこの街に行くノ? 遠い所だったら嬉しいかもしれナイ! その時間ずっとエレとお話できるかラ! ウヒヒ」


 あくまでも付いてくるつもりのアレッタに、引きはがそうとしていた手を止めた。


「…………なぁ、一ついいか」


「ナニ?」


「なんで、俺にここまでする? 最初あった時に言ったろ。君のことは覚えていないって」


「思い出すから、いいもン」


 ぎゅっと抱き着かれ、今朝干していたばかりの衣類が濡れる。

 じんわりとした温もりが、衣類の下の包帯にまで届き、湿らせた。


 思い出さなかったら、どうするんだ。


 アレッタが五年もの間、何をしていたかは分からないが、それまでの期間でエレは毎日毎日を精神をすり減らして勇者一党の先鋒であったのだ。


 助けてきた人も、

 訪れた街も、

 両手では何度往復しても数え切れない。


 そんな中で『おそらく何らかの形で触れ合った神官を一人思い出せ』と言われても難しい。


「……」


 やっぱり、ダメだ。

 この少女を連れて行くと、辛い思いをさせる。



「アレッタ。聞け、いいか?」



 抱き着いているまま、こくと頷いたのを感じて話し始めた。


「俺は人より頑丈だから、傷が治りにくい。アレッタの力でも治せない」


「治せル」


「治せなかったろ?」


「治せるようになル」


「……まぁ、そうなったと仮定して、俺はここ数日で一気に国民から嫌われ者になる。その仲間になったら、お前が大変な思いをする」


「大変な思いなら、もうたくさんしてきタ」


「だから……そういう、なぁ……」


 どうしたものか、と言葉を探そうとしたところ、抱き着く力が強まったのを感じた。

 白い肌を震わせていた。

 寒さで震えている――訳ではないようだ。

 


「ワタシを置いて、どこかにいかないデ。……どこかに行くなら、つれていっテ」



 ぽたぽたと蜜柑色の瞳から流れてきたのは涙。

 エレが自分を仲間に入れずにどこかに行ってしまうと感じ取ったのだろう。



「一人にしないデ……役に立つかラ」



 顔を埋めるように裸体の少女にそう言われて、エレは困ったように天井を見上げた。


 こんな勇者一党の外れくじ相手に、何泣いてるんだか。


 自分の顔も名前も覚えていない相手に、ここまでする理由はなんだ。



「…………」



 おそらく……まだ聞けていない……話そうにも話しにくいような特別な事情があるのだと考えた。


 母親がどうとか、父親がどうとか。

 五年間の間に、何かがあって、何かを感じて。

 自分をここまで追いかけてくれる理由となる何かが。


 これを突っぱねるのは、もはや、人のすることじゃないか。

 アレッタの髪を梳くようにして、頬に触れた。



「幸せにはならんぞ」


「……イイ」


「その場だけの返事なら、あとで後悔する」


「今が幸せだから、それでいいもン」


 白髪の髪は濡れ、水滴を滴らせる。

 その中で、マリーゴールドの頭髪が水滴によって宝石のような輝きを放っていた。


 綺麗だ、と感じた。


 妖精が森の奥にひっそりと隠してしまいそうな、

 綺麗で、美しく、儚げな。

 その下。首筋や肩、細い腕にはいくつもの傷が見えた。

 手首にはどこかで見たような気がする文字が刻まれているが、そこにも上から潰すように傷がかかっている。


 だが、それらは裂傷や打撲ではない。

 小さな火傷のような痕だ。



「この傷――」



 そうすると、ハッと小さな体は飛び退き、首筋を手で覆うようにして隠した。



「アハハ……これ、昔の傷だかラ。今は傷治せるヨ? 安心しテ!」



 同じというか、同種のような気がして、気が付くとエレはその小さな体をぐいと持ち上げていた。


「ウァ」


 強く持ち上げたことで、指を包む、ふにっとした柔らかい皮膚の感触が伝わってきた。

 寒い外気にあてられているというのに、少女の体は温かく、熱を持っている。

 


「エレ……? どうしたノ……?」

 


 こてん、と首を傾げた少女の髪からは水滴がぽたぽたと落ちてきた。

 湯船から上がったばかりなのだから当然だ。

 早く服を着させないと、風邪を引いてしまうかもしれない。


 ――と考えていたが、すっかりと内側に凹んでいる腹部にもいくつか火傷痕が見えた。脇下にも、脹脛にも。


 少女らしいふっくらとした桜色の乳房が目の前に迫った。エレが腕を畳んで、顔を寄せたのだ。

 


「……この傷は……なんだ?」



「なんでもないヨ? 今は痛くないシ」



「嘘をつくな」



「嘘はつかないヨォ……本当だっテ」



 親からされた虐待が頭に浮かんだ。それから助けを求めるように、エレの元まで駆け付けたのだと。


 神官に虐待をする、親だと?

 アレッタもアレッタだ。神官ならば、治せるはずだろう。


 エレは濡れたままの少女をゆっくりと降ろして、タオルを頭に被せて、頭の水滴を丁寧に拭いた。


「――神官衣はとりあえず洗濯する」


「オ?」


「それまでは俺の服を貸す。少しは大きいが、着替えを持ってないだろ」


「エレ?」


 体を拭き終わったアレッタに、服を投げて脱衣所を後にしようとして立ち止まった。


「…………」


 天秤が揺れる。

 この子を連れて行ったら、不幸になる。

 が、このままここに置いていても、不幸になる。

 どちらにせよ不幸になるのだったら――


 一度瞑目し、開く。


 腰を下ろし、しっかりとアレッタの赤らんだ綺麗な蜜柑色の瞳を見据えて。



「っ~……はぁー……。アレッタ。俺と一緒に来るか?」



 再度の問いかけ。

 エレのぶかぶかの服を着たアレッタは「まってました!」と言わんばかりの表情で。



「うん! 一緒に行ク!」



 力強い返事にエレも頷こうとしたが、まだ完全に水滴を拭けていないことに気が付いて、髪にタオルをわしゃわしゃと走らせた。


 不幸になるのなら、まだ自分の手が行き届く場所での不幸がいい。

 そして、自分がいるせいで不幸になるとアレッタが気づくと、その時に別れよう。


 こうして、エレの旅路のお供が一人増えた。

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