3章 病室

時間を忘れ趣味に興じていた朱美が一区切りついて時計を見ると23時を回っていた。妹は電話から2時間も経つと言うのに未だに帰宅しない、また連絡すらないことに不安を覚えた朱美は警察に捜索願を出すことにした。要請を受けた警察では朱美からの証言よりスーパーからの帰り道の途中で事件もしくは事故に遭遇したのではと推測、一連の事件との関連性も疑われるために大がかりな捜索が行われた。遊歩道で倒れているのが発見されたのはそれから1時間後のことで奈津子は顔に裂傷を負って大量の出血をしていた。重症の奈津子は朱美の勤め先でもある総合病院へと運び込まれ緊急手術が行われた。生命の危機,感染症の心配はなくなったものの頬に残された傷跡を完全に消し去ることはできなかった。捜査の進展具合については現場から犯人に繋がる物的な証拠や有力な不審者の目撃情報などは得られておらず、今も懸命な捜査が続けられている。報道については一連の連続殺人事件と関連付けた通り魔による女子高生への傷害事件として伝えられ、被害者の奈津子については重傷で入院中とだけ伝えられていた。頬に受けた傷については本人への心身を考慮して関係者以外には伏せられこととなった。


佐伯奈津子は潜在意識と顕在意識の狭間を彷徨っていた。人によって表現は様々であろうが、そこは一面真っ白な情景が続き,水平線の彼方まで視界を遮る物が何もなかった。足元には1度嵌まれば2度と上がってこられないような底の見えない暗い闇が広がっている。まるで海の真ん中を漂流しているような状況に似ていて、宛もなく漂っているとドコからともなく奈津子を呼ぶ声が聞こえてきた。誘われるようにして声のする方へと近づいていく奈津子の周囲にはあたたかい光が広がりだして、次第に意識が遠のいていった。


奈津子が目を覚ますと目の前には真っ白な天井が広がっていた。少しずつ意識がはっきりしていき、周囲を見渡すと自分はドコか知らない一室で身体中にチューブや機械のリード線が付けられてベッドに寝かされている。この状況から推測するとここは病院の一室で点滴のチューブや心電図波形モニター用のリード線等を付けられているのであろう。なぜ自分はこんな所で・・・ハッ!思い出した。自分はバイトからの帰宅の際中に通り魔に襲われ顔に大きな傷を!!!口を開けようとした瞬間忘れていた激しい痛みが奈津子に襲いかかってきた。悪夢のようなでき事が現実であったと再認識させられた。


奈津子の病室は入院患者やその家族との接触を避ける意味合いで3階の1番端、個室を充てがわれていた。暫くの間は家族以外との面会謝絶、更には病室から出ることも禁じられている。個室には浴室と洗面所が設置されていて、最低限困ることにない環境が備わっているのだが、部屋に設置されるテレビや洗面台にガギ掛けられ使用不可になっていることが気がかりであった。顔の傷について姉が受けた説明によると骨までは達していないために治りが早く、今の所は後遺症の心配もないとのこと。確かに3日も経過すると痛みが和らぎ、奈津子自身の気持ちにも余裕が生まれていた。しかし口元が包帯で覆われている現実からか不安が完全に払拭された訳ではなく、未だに傷跡を見せてもらえないことから不信感に似た感情も芽生えだしていた。

「佐伯奈津子さん、おはようございます。体調はどうですか」

大怪我を負ったのが恋人の妹さんということで主治医の先生は必要以上に献身的で出勤日には朝一番で奈津子の病室に訪れ回診(経過観察)が行われていた。

「おはようございます。少しずつですが痛みが治まりつつあります・・・先生1つお聞きしたいのですが、私の顔の傷はどうなっているんでしょうか。そしていつになったら見せてもらえるんでしょうか」

不安を少しでも払拭するべく奈津子は直接主治医に回復具合を尋ねることにした。

「あ、ああっ、焦る気持ちはよく分かるけど焦って治そうすると回復までにも時間がかかってしまう。それに女性にとって顔はとても大切な部分だから特に注意が必要なんだ。形成外科の先生と相談をしていて、傷跡がより目立たなくする処置(瘢痕形成術)を行う方向で進めているから傷跡が目立たないようになってから佐伯さん本人にも確認してもらうつもりだよ。君は僕の恋人である朱美の妹さん、必ず君の顔を元通りに治してみせるから今は先生達を信用して任せてくれないかなぁ」

「・・・はい、分かりました。どうかよろしくお願いします」


昼からは事件を担当している警察官が病室に訪れ、事情聴取が行われることになっている。奈津子の体調を考慮して今日は30分程度と決められていた。

「トントントン、スーッ」

突然病室の扉をノックする音が聞こえて、主治医の先生と看護師さんが2人の見知らぬ男性と伴に部屋に入ってきた。

「初めまして、今回佐伯さんの事件を担当させてもらいます夏目浩史巡査部長です」

「今回は災難な事件に遭遇されたね。初めまして私の方は連続通り魔事件全体の捜査を取り仕切っている白鳥士郎警部補です」

「刑事さん、くれぐれも佐伯さんの体調を考えて時間厳守でお願いしますね」

「分かっています。今日は佐伯さんのお見舞いも兼ねていますので無理はさせません」

今日の所は犯行状況,犯人像の推測,連続殺人事件との関連性に限定した聞き取りが行われ、警察側は犯行の立証や犯人の特定に有力な情報を得ることができた。手口や特徴からすると今回の事件は一連の連続殺人事件と同一犯で間違いないなさそうである。しかしこれまでとは異なり自ら顔を曝したと言うのに被害者に大怪我を負わせたものの殺害には至っていない。今後被害者の証言から犯人が追いつめられる危険性があると言うのに・・・大きな疑問である。

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