05 日魚子、服を選ぶ。

 日曜の朝である。

「そうちゃん、おねがい!」

 ベランダに布団を干す爽を追いかけ、日魚子はせっついた。

 洗濯バサミがじゃらじゃらついている角ハンガーに洗濯物を吊るし、シャツをかけたハンガーも外に出すと、爽は室内に戻って掃除機をオンにする。ぶぉん、とサイクロンが日魚子の声をかき消す勢いで回る。

「そうちゃんってば!」

 聞いてない。というか掃除機の音で聞こえていない。

 部屋を掃除する爽にカルガモのようにくっついて、日魚子は「そうちゃん」を連呼する。我ながらしつこいと思うが、爽のスルースキルも半端ない。お互いつきあいが長いぶん、相手の手のうちは見えている。もはや我慢比べである。

「……なに?」

 爽が返事をしたのは、部屋の掃除がけを隅々まで終えたあとだった。

 すでに日魚子が爽の部屋を訪問してから三十分以上が経過している。ふたつみっつ文句を言いたくなったが、そこはぐっとこらえて日魚子は咳ばらいをする。それから、数か月まえにできたばかりのアウトレットモールが映ったスマホを爽に見せた。

「今日さ、ここ行かない?」

 とたんに爽は怪訝そうな顔をした。

「なんで俺がひなと買いものに行くんだよ」

「いいじゃんたまには。このまえのお礼でランチおごるよ」

「ふーん……」

「ほら、ペット用品店も入ってるし。キャットフード、そろそろ切れそうだったでしょ」

「で、なに。目的は」

 楽しい買いもの気分を演出したのだが、爽は引っかからない。さすが爽。

 取り繕うのをあきらめ、日魚子は爽に向き直った。

「先輩、お願いです。大地さんとごはん行くときに着ていく服を選びたいのでつきあってください」

「素直でよろしい」

 爽の声が軟化したので、日魚子はぱっと笑顔になる。

「じゃあ――」

「んなもん、ひとりで行けよ。ばーかばーか」

 ばーかばーかって。

 中学生か。こんな男によく世の女子たちは軒並み落ちるな、しょせん顔か。

 つい悪態をつきそうになるが、今日は爽の懐柔が不可欠である。

「そう言わずに、そうちゃんも買いもの行きたいでしょ。わたし運転するし」

「今日は約束があるから」

「だれと?」

「きなこと」

「きなこは約束しないでしょ!」

 爽と日魚子のあいだに挟まれたきなこは、不機嫌そうに低い声で鳴いた。安眠を妨害するな、ということらしい。きなこには甘い爽は、お気に入りのクッションのうえで丸まりなおしたお猫さまから離れ、先ほどより声のトーンを落とした。

「服くらい自分で選べよ。餓鬼かよ」

「そうちゃんのニュートラルな意見が聞きたいんだよ。やりすぎてドン引かれたら困るでしょ」

「レース禁止ピンク禁止透けるの禁止。これでいいだろ」

「もうすこし実地をまじえてお願いします」

 ずいと迫って手を合わせる。

 見つめ合うこと数秒。先に根負けして視線をそらしたのは爽だった。

「じゃあ、猫用じゃらし」

 きなこ用の玩具らしき名前をぽつっと告げる。

「スペア含めて二本。次は絶対無し」

 瞬きをしてから、日魚子はよし!とこぶしを握る。

 爽は結局、最後は困っている日魚子を放っておかない。

 そこまで見通している日魚子の勝利である。


 数か月まえにできたばかりとあって、休日のアウトレットモールは人出が多い。

 人気の服飾ブランドが出店していることに加え、子どもたちが遊べる噴水広場や公園、飲食店も入っている。五月の爽風が吹き抜ける木製のデッキは、歩いていると心地よかった。空はからっと晴れていて、デート日和である。日魚子の場合は、デートと言い張りたい食事のための服選びだが。

 まだ眠たげな顔でとなりを歩く男に日魚子は目を向けた。

 爽はモカベージュのコーディガンにシャツとチノパンをあわせている。普段はスーツか、反対にパーカーでくつろいでいる姿しか見ないので、私服の爽というのは新鮮だ。爽は仕事以外では時計をつけない主義らしい。まだ日に焼けていない骨ばった手は指が長くて、きれいだった。日魚子は爽の手を見ているのがすきだ。つなぎたいとは思わないけれど。

「あっ、ここ! 入っていい?」

 事前にチェックしていたブランドを見つけて、爽の服の裾を引く。

 爽はさっそく嫌そうな顔をした。

「全体的にレースでピンクで花柄なんだけど」

「似合うかもしれないでしょ」

 と言って無理やり中に爽を連れ込む。

 店内を見て回りつつ、ワンピースをいくつか見繕う。淡いピンクのシフォン生地を使っていて、大きめのベルトがかわいい。姿見のまえであててみていると、「うーん」と横からのぞいた爽が首をひねった。

「それ自分で似合うと思ってる?」

 微妙な言葉だ。

「でもかわいくない? ピンクのワンピース……」

「って言ったの、社会人になってから一番目の彼氏? 二番目の彼氏?」

「……三番目の不倫してた奴です」

 爽の視線が冷える。ぜったい前の彼氏の趣味なんて持ち込みやがってこいつ、と呆れている。しかし、しかしである。

「ワンピースは鉄板だよ。ベタかもしれないけど、鉄板は強いんだよ!」

「世の七割の女子はそうかもしれないけど、ひなは似合わない。というか、ワンピースほんとにすき? 私服で見たことないんだけど」

 言われてみれば、今日の日魚子はナイロン地のカーキのオーバーオールに七分丈のシャツをあわせている。クローゼットを思い浮かべても、パンツかロングスカートが多い。いや半年前までは清楚系のワンピースをたくさん持っていたはずだ、と思い出し、でもそれは三番目の彼氏が日魚子のワンピース姿がかわいいって言うから、なんとなくそれに合わせて買い込んでいたのだった。あのときは彼氏の好みに合わせて、パステルカラーのワンピースばかり着ていたし、メイクも甘めだった。それで、不倫にきづいて別れたときに、ワンピースもぜんぶ売り払ったのだ。

「確かに、わたしパンツのほうがすきかも」

 むしろ、ワンピースの思い出が不倫男である。

「なら、こないだはいてたガウチョでいいじゃん」

「えー。新しい服買いに来たのに……」

 不満げに唇を尖らせると、爽はそばにあったガラスケースを軽く指で叩いた。コットンパールに紺のビジューをあわせたピアスが飾られている。

「髪型変えて何かつけたら? 雰囲気変わると思うけど」

「な、なるほど」

 そういう考え方もあるか、と思い、店員さんを呼んでピアスを出してもらう。

 爽は適当に選んだように見えたけれど、耳元に合わせてみると意外といい。

「彼氏さん、センスいいですね」

 店員の女性ににこやかに話しかけられ、「いえ、彼氏じゃないです」と律義に訂正する。彼氏になりたいひととのランチのために今、彼氏じゃないひととコーディネート中です。

 爽はもう用は済んだとばかりに店の外に出ていった。ピアスと気に入ったカーディガンも買って、お会計を済ます。さらに別の店で新色のネイルを見つけ、ペット用品店では爽が所望した「猫用じゃらし」をスペアも含めてふたつ買った。同じ店で爽はキャットフードと夏に向けた冷却マットを買っていた。自分のものではなく、きなこのものばかり選んでいるところが爽らしい。

「そういえば、土屋さんとは続いているの?」

 おおかたの買いものを終える頃には、ランチの時間になっていた。

 店はどこもまだひとが並んでいたので、ラップサンドとレモネードをテイクアウトして、散策路のベンチで昼ごはんを済ます。爽は牛肉のエスニック風のラップサンドにアイスコーヒーだった。ラップサンドの包み紙をめくりつつ、「まれに飲みに行く程度だけど」と言う。つまり、つきあいはまだ続いているらしい。すぐにとっかえひっかえする爽にしてはめずらしい。

「わたしが言うのもナンだけど、そうちゃん女の子の趣味変じゃない?」

「ほんとおまえが言うなだよ」

「土屋さんすきなの?」

「うーん」

 それは好きの「うーん」なのか、どちらでもない「うーん」なのか。

「そうちゃんがいいなら、何でもいいけどさ」

 サンダルを振って、日魚子は食べ終えたラップサンドの包み紙を畳んだ。

 スマホをタップした爽が、顔をしかめてスマホをまたしまい直す。どうしたのだろう。それきり無言で、組んだ脚に頬杖をつき、日魚子とは別の方向に目を向ける。飲み干したレモネードをベンチに置いて、日魚子はおなじように組んだ脚に頬杖をついて爽を眺めた。さすがに視線にきづいたらしく、爽が眉をひそめる。

「なに?」

「イケメンは絵になりますね、深木くん」

「見物料とりますよ、芹澤さん。――で、なに?」

「いや、なにかあった?」

「なんで?」

「最近、悩んでるっぽく見えたから」

 日魚子のほうが背が低いので、おなじ恰好をすると自然と下からのぞきこむような形になる。

 爽は意外そうに瞬きをした。爽は鉄壁武装に自信があるらしいが、日魚子からするといろいろ駄々漏れである。ここまで来るあいだも、助手席で口あけて寝ていたし。寝不足らしい。

「愚痴なら聞くよー。わたし、そうちゃんには結構お世話になっているからね」

「ほんとにな」

「そこはしみじみと言わなくていいよ」

 日魚子はなにかと問題を起こしては爽の世話になっているが、爽は昔から自分のことは自分でどうにかする性格なので、日魚子に相談したり愚痴ったりはしない。不機嫌だと八つ当たりしてくることはあるけれど。

「……来週の土曜って、大地と飯食うんだっけ?」

「そうだけど。どうかした?」

「いや」

 すこし考え込むようにしてから、爽は組んでいた脚を解いた。

「まあ、がんばって。コーンクリームコロッケ」

 猫用じゃらしとキャットフードが入った袋を取って立ち上がると、「ん」と手を差し伸べる。

 なんだ、いきなり紳士か?

 深く考えずに手をのせると、爽は顔をしかめた。

「じゃなくて、車の鍵」

「あ、運転してくれるの?」

「帰り、スーパー寄りたいんだけど」

「いいよー。何買うの?」

「肉」

 ポケットから取り出した車のキーを爽の手にのせる。

 歩きだした爽を追いかけて立ち上がり、結局なにに悩んでいるか聞かずじまいだった、ときづく。というか、わりとあからさまに話をそらされた気がする。

 ――来週の土曜日。

 爽にも何かあったのだろうか?

「そうちゃん」

 となりに追いつき、日魚子は爽を見上げた。

「土曜、なにかあるならつきあうよ?」

 大地とのランチは楽しみだし、現状何をおいても優先させたい予定だけど、爽に何かあるなら話は別だ。もともといくつかの候補日から来週の土曜に決めたから、ほかの日にも変えられると思うし、大地はそういうことで機嫌を損ねるタイプではないだろう。そう思って申し出たのだが、爽は呆れたように鼻でわらった。

「そういや、大地って犬飼ってたかも」

「え、そうなの?」

 思わず反応したあとに、この男また話をそらしたな、ときづく。

 日魚子の不満をなだめるかのように、空色のポンコツ車がちかちかとロック解除のランプを点滅させた。

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