十二 大内

 大永四年七月三日。

 佐東銀山城に籠城していた武田光和は、城外へ出て、大内軍に決戦を挑んだ。

 光和は怪力を誇る男であり、足軽たちと共に陣頭に立ち、自ら刀を取って戦ったと言われている。

 この戦いは朝に始まり、夕暮れまで戦ったとされているが、それでも勝敗はつかず、結局引き分けのまま終わる。

 大将自ら突撃してくるほどの必死な武田軍と、大事な御曹司・大内義隆を傷つけまいとする陶興房が、微妙な均衡状態を生み出し、さしもの光和も体力の限界により撤退に至ったものと思われる。

 対するや、事実上の大内軍の指揮官である陶興房も神経をすり減らし、かえって大内義隆から気を遣われて、休むように言われる始末である。

 だが、その陶興房の耳に、一大事が報じられた。


「尼子軍、来たる」


 ついに伯耆戦線に決着をつけた尼子経久は、出雲の飯石郡まで戻り、軍中から五千を分け、牛尾幸清ならびに亀井秀綱に預けて、安芸へと向かわせたのである。

 牛尾及び亀井は、安芸へ至り、尼子方の国人を糾合し、第一陣から第三陣まで形成できるまでの軍勢を集めた。


「どうするか」


 緒戦では息巻いていた杉と問田が、今度は逆に動揺して軍議の場でああでもないこうでもないと言い出すのを見て、興房は呆れた。隣を見ると、大内義隆が冷めた目で両名を見つめていた。


「気を引き締めよ」


 興房は大喝した。

 義隆は少し驚いた顔をして興房を見たが、しかし怒る様子はなく、むしろ頷いてみせるくらいであった。


「興房の言や良し」


 義隆もまた、杉と問田の朝駆けの失敗や、武田光和との引き分けに対し、忸怩たるものはあったのだろう。そのため、素直に興房に献策を求めた。


「いかがする」


「されば」


 興房は、伯耆から尼子経久本人が来たわけではなく、配下の牛尾幸清と亀井秀綱であることに着目した。


「雲州の狼がお出ましとあらば、若には悪いが退き陣もやむを得ぬと思うた……思うたが、何のことは無い、尼子久幸ですらなく、牛尾。それに亀井。これはもう……その場しのぎで出したとしか思えぬ」


 興房は説明する。

 尼子軍の第一級の将兵は今も伯耆にあって、伯耆における尼子の支配を確立させるべく動いている。そのため、いわば二級以下の将兵を出して来ただけだ。それも、中途半端に五千だけを。


「牛尾幸清、これは確かに船岡山でも戦っておった。おったが、戦っていただけじゃ。尼子経久の采配の下でな」


 自らの頭で考えて、合戦をするような将ではない。

 興房はそう言い切った。


「爺よ。では、ひるがえって、亀井秀綱はどうか」


 義隆のその当然ともいえる質問に、興房は得たりかしこしと頷く。


「亀井。これは尼子の安芸への取次をしてきたから居る、と思われて候」


 そもそも、謀臣としての才を買われて尼子経久の幕下にいる男である。


「牛尾には戦を、というか突っ込ませておいて、亀井は安芸の国人どもを取り仕切る……そんなところかと」


 牛尾の下に、尼子直属兵の下に、安芸の国人を寄せ集め、それを以て大内軍へ突っ込む。

 そんなところであろうというのが、興房の予測である。


「……そんな安易なやり方を、あの尼子経久が」


 義隆としては、父・大内義興に匹敵する傑物というのが、経久に対する評価である。

 興房はその見解を否定せず、むしろ合っていると称揚した。


「尼子経久のねらいは、若、若自身でござる」


「躬が?」


「かの牛尾、確かに突撃は見るものがあり申した。されば、大軍でわれらに突撃して、若の御身大切と思うわれらに、退き陣を誘うつもりかと」


「……そうか」


 義隆は別に怒るでもなく、興房の分析を受け入れた。

 伸びやかに育った貴公子であり、滅多なことでは怒らない義隆は、舐められているとも取れるその分析だが、正しいものであると認めた。

 そしてまた、義隆は聡明でもあった。


「……で、爺としては、何か策があるのであろう」


「ご明察」


 興房は恭しく頭を下げ、そして並み居る諸将に向かって、これからの策を開陳した。



 一方で、安芸に着陣した牛尾幸清は、僚将である亀井秀綱を疎ましく思い始めていた。

 幸清としては、自身がこの尼子の安芸方面軍の大将であるという自負がある。


「それを、あやつは」


 秀綱は尼子経久から、なにがしかの指示をもらっているらしく、何かにつけてはしたり顔で幸清に対してつべこべ言ってきており、それが疎ましくて仕方ないのである。

 今日もまた、何かを言いたいらしく、幸清の陣にやって来ていた。


「卒爾ながら、牛尾どの」


 何が卒爾ながらだ、気取るなと幸清は思ったが、押し黙ってこらえた。


「……安芸の国人の扱いについてでござるが」


 秀綱は、安芸の国人のうち、親尼子派の者たちを第三陣にし、日和見や中立だった者たちを第一陣、最前線に立たせるよう言った。


「しかるのちに、牛尾どのと拙者は第二陣、真ん中において、全体を監視し、督戦するわけでござる」


 それが尼子経久の指示であった。伯耆侵略を終え、尼子はまた一歩、天下に近づいた。その天下盗りの野望のため、尼子直属の兵は、一兵たりとも惜しい。

 そのため、尼子への繋がりが薄い者たちから犠牲を強いるようにという策であった。

 秀綱がそれを告げようとする前に、幸清は立ち上がった。


「亀井どの」


「は」


「……戦についてはこの牛尾幸清に一任されるというのが、お館さまの言であった」


「いやそれは」


 実際の、刀を取っての戦いについては、それはそのとおりだろうと秀綱も考えていた。

 だが幸清にとっては、この弁が立つのを鼻にかける僚将を(秀綱はそんなつもりは無かったが)、黙らせてやりたくてしょうがなかったのである。

 なぜなら。


「この牛尾幸清! お館様に付き従って、幾星霜! 京の船岡山でも、あの血で血を洗う激戦においても、一軍を率いて戦ってきた! それをおぬしは、なんじゃ?」


「なんじゃ、とは……」


「安芸の国人に繋がりがあり、知恵が回るとて、いちいちいちいちああだこうだと! 国人を集め寄騎にするまでは良かろう! だが、そこから先は、わしの領分じゃ! 口出し無用! 手出し無用!」


 その名の牛の如くに息巻いてにらみつける牛尾幸清。

 対するや、亀井秀綱は、しくじったと頭を抱えた。安芸の国人たちへ向けた弁を、働かせた頭を、なぜ幸清に向けなかったのかと己を恥じた。そうしておけば、ここまで頑なに幸清は吠えなかったであろう。


「…………」


 沈黙する秀綱に、ようやく気を良くしたのか、幸清は尼子直属兵を第一陣にして突っ込むという方針を述べた。


「別段、安芸の者どもの手を借りずとも、われら尼子の衆だけで充分! 一朝にして屠ってみせよう!」


 幸清としては、伯耆の方で燎原の火の如く攻め立てている同僚たちに負けていられないという意地と功名心がある。

 ここで大内を、しかも初陣の大内義隆を討ち取れば、その大功は随一のものとして、尼子経久から激賞されるものとなるだろう。

 秀綱には、その幸清の虚栄心が透けて見えた。そして同時に、一刻も早く、経久に書状を書いて、幸清を止めるように仕向けなくてはと焦燥感を募らせていった。

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