第17話 噓だったら

【暮葉side】



 日曜日。

 自室にファブリーズを振りまいている彼を──かい君を、これでもかとばかりに凝視していた。


 もちろん、私の部屋のカーテンは閉じたまま。

 ただし、その小さな隙間に顔を押しつけて様子をうかがっている状態。


 ……いや、ストーカーやん。

 仮にそうじゃなくてもメンヘラやん。


 不審者然とした私を、冷静にバッサリとってくるもう一人の私。

 そんな私に抗議するため、スマホを取り出して「メンヘラじゃないもん!」というボカロ曲を小音で流し始める。


 音楽を聞いて心を落ち着けた私は、ほうっと息をつき──またカーテンに顔を押し付けた。メンヘラじゃないもん。


 そうこうしているうちに、かい君が部屋を出ていった。どうやら目黒さんが到着したらしい。

 しばらくした後、お盆を抱えたかい君と目黒さんがやって来た。

 二人は楽しそうに談笑していて……正直なところ目黒さんが羨ましい。


 でも二人が楽しいならそれが一番だなと思い、私は頬を緩めた。

 かい君、色んな人と交流があるみたいだから、その一面を覗けただけで少し嬉しいのかも。


 私は余裕を持って二人を眺めていた。

 ……なんたって、かい君は私のことをベッドで抱きしめてくれたんだもん。


 流石に脈ありだよね!?


 興奮冷めやらぬ私。

 思わず枕にダイブして保健室での出来事を思い出す。

 ヤバい、ニヤニヤが止まらん……。

 に、にへへへ……。


「にへへ……にへ?」


 ふと、部屋の鏡が目に入った。だらしない顔した女子が一名、映り込んでいる。

 なんだこいつ、勝手に妄想を膨らまして興奮してる……きもいな。


 こほん、と体裁をつくろい(誰も見てないのに)、改めて向こうの様子を窺う。

 二人は勉強を開始したようで、机上に目線を落とし、集中しているみたいだった。


 その様子を見て触発された私は、なんとなく勉強机に向かう。

 二人が頑張ってるんだし、私も勉強しようかな。

 そう思って、英語の参考書を広げた。


         * * *


『Who the fuck is this bitch!? (一体誰なのよこのアマ!?)』

『No way! Why are you here!? (なんてことだ! どうしてここに!?)』

『You are a cheater, George! Go to hell! (ジョージの浮気者! 死にさらせ!)』

『No, You have a misunderstanding! (違う、誤解なんだ!)』


{このように『No way!』は、予期せぬ出来事に遭遇した時などに使います}




 酷い……例文が酷すぎるよ……。


 思わずこめかみを押さえて、そっと参考書を閉じた。

 ふぅ、今日は文法やるのやめとこ。……いつ使うのか分からない例文しか乗ってないし。


 英語は英語でも、参考書から教科書に切り替えて、予習を始めることにする。


「──あれ、この部分の文法って……?」


 難しい文章にぶつかってしまった。まだ習ってないのかな……?

 さっきまで使ってた文法書に手を伸ばし──いや、駄目だ。この本を頼ってはいけない気がする。


 あ、そうだ。もしかしたら授業ノートに何かヒントがメモしてあるかもしれない。

 通学用の鞄をガサゴソと探ってみるが……。


「学校に忘れてきたっぽい……」


 しょうがない。ここは一旦、保留にしておこう。

 学校でノートを確認しながらやれば……いや、ここはえて、かい君に聞こう。そしたらついでに、雑談くらいはできるはず……にへへ。

 そのページに付箋ふせんを貼ってから、教科書を閉じた。


 そして私は席を立ち、休憩がてら、かい君の部屋を窺う。


 ──すると。


「んあ!?」


 驚いて声が出てしまった。

 まさかのまさか。目黒さんが、かい君に抱きついてる!?


「……いやいや、かい君のことだから、きっとスマートに断るでしょ」


 半分は自分に言い聞かせるつもりで言った。

 しかし、目黒さんが立ち上がったかと思いきや、彼女はこちらを一瞥して、カーテンを閉めてしまった。


 ……え、なに今の意味深な目線!? わざと!?


 体中から冷や汗が吹き出てくる。


 ……かい君が取られちゃう! 目黒さんに!


 私は慌てふためいて、辺りをウロウロする。歩き回って、歩き回って……それでも不安は拭えない。


 放っておいたらどうなってしまうのか。

 きっと二人は…………嫌だ、考えたくもない。


 止めに行こう、と思った。

 私はもう学んだのだ。行動しなければ状況を打開することはできないと。

 自分から変えようとする必要があるのだと。


 私は部屋を出ようとして……その前に、英語の教科書を引っ掴んだ。

 なんで急に来たのと聞かれたら、分からないところがあるから教えてほしくて、と答えればいい。


 廊下に飛び出て、階段を駆け下りる。

 靴を履くのも面倒で、転がっていたサンダルにつま先をつっかけてドアを開けた。


 呼び鈴を鳴らすことすら忘れて、かい君の家の扉を開ける。

 ──かい君、鍵かけるの忘れてたみたい。


 玄関でサンダルを脱ぎ捨て、二階にある部屋へ。

 「かい君の家、久しぶりに来たな」とか、そんなことを考える余裕もなかった。

 ただ前を向いて、急ぎ足で階段を上る。


 ……でも、この時の私は、心のどこかで「なんとかなる」と思っていた。

 今までも何度か危機は訪れたものの、なんだかんだ上手くいくことが多かったからだ。


 だから、私がその扉を開けた時──


「えっ、噓……?」


 目の前の光景を、信じることが出来なかった。

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