37 現実です。

 今回転移した先はすでに神殿を出たところだった。

 やはり今度も二人の巫女に手をとられ、水の神殿から船着場まで続くゆるい下り坂の参道を、船へ向かってゆっくりと歩いていた。

 参拝に集まった人々が参道の両脇にずらりと並んで、私たちの道行きを見守っている。


 今歩いている参道からは川に浮かべられた幾つもの長い船と、その上から男女が一組になって花を投げ入れる姿がよく見えている。ほがらかに笑いながら、そして歌いながら、美しい衣装を身にまとった男女が手にした籠から気持ちよく沢山の花の蕾を投げ入れていた。

 川の水面を埋め尽くすような沢山の大きな睡蓮のような蕾と、そこから立ち上がる微かな花の香りに誘われて、幾度となく見た夢の記憶が鮮やかに呼び起こされてくる。


 私は今日、ここで殺されたのだ。


 胸の奥が抑えきれない焦燥しょうそうと恐怖、そして興奮でジリジリと焼けついた。


「祭女様どうかされましたか?」


 立ち止まりそうになる私を不審に思ったらしく、手を取る巫女に尋ねられて慌てて前に向きなおった。


「いえ、なんでもありません。沢山の方がいらしていると思って」


 私の言葉に年若い巫女がほころぶような笑顔で返事を返す。


「本当に。ここしばらくこんなに人が集まることもありませんでしたから本当に宜しゅうございます」


 彼女の言葉にはまるで邪気がない。多分、彼女たちは今回の件には直接関係ないのだろう。


 ふっと思い出してマルテスを目で探すけれどどこにも見当たらない。


 前回は足止めをされていたって言ってたけどなんで今回も私と一緒にいないの?

 サターニの計画を本当に潰せていたのならば、もうこちらにいていいはずなんだけど。


 周りに視線を配りながらも歩みを進めていくと、あっという間に船着場についてしまった。

 船に乗り込むとメルクリ総督とソリス皇太子殿下がそろって出迎えてくれる。記憶の通り、こちらに手を振るジュディスの姿もすぐ後ろに見えた。


「祭女様。本日は本当にいいお天気に恵まれ最高の祭祀日和となりましたこと、お祝い申し上げます」


 少しは見栄えのする海軍の総督服を着こんだメルクリ総督が、儀礼通りの挨拶と儀礼的な立礼をして見せる。


 これが私を陥れようと悪だくみをしている人の態度なの?


 こちらが戸惑うほど、真摯に見えるのが余計怖い。


「フレイヤ殿、本日もお美しい。本日は滞りなく祭祀が行われることを祈ろう」


 続けて偉そうだけれどそれなりに敬意のこもった挨拶をソリス皇太子殿下がすれば、船上で私の乗船を待っていた他の参列客も全員そろってその場でこうべれた。


「ご挨拶をありがとうございます。それでは皆様、祭祀を始めさせて頂きたいのでどうぞお席にお戻りください」


 挨拶を返しながらも、私の視線は船上を隅々まで舐めまわしてマルテスの姿を探していた。


 どうしちゃったんだろう。

 邪魔が入ると分かっていたはずなのにあのマルテスがまさか同じ罠にかかって遅れる、なんてことはないと思うんだけど。

 かと言って祭祀を遅らすことはもちろん出来ない。

 正体の見えぬ不安を押し殺して静々しずしぐと前へ進み、巫女を従えて船首へと向かった。


 この船の舳先へさきは高く立ち上がり、先端には私の背ほどもある女神像が飾られていた。私が祝福を行うのはすぐその横、今離れた岸とは反対の右舷うげんだ。

 私が祝詞をあげる場所にはちゃんと踏み台が置かれていて、私が川に祝福を送りやすいように準備されている。


 私は大きく息を吸いあげて、全ての雑念を払い除け、神へと捧げる声をあげた。


「♪~♪」


 私が言葉にならない祝詞のりとうたいあげ始めると、自然に沈黙が下りて船上のみならず川岸に詰めかけている人々が静まり返った。風の音だけが舞う川面を、私の詠声うたごえだけがすべっていく。


 うたいながらも、ちゃんと気づいていた。

 夢でも見たからまさかとは思ってたけど、川面に流された蕾が全くほころばない。ちゃんと大量の虹が流れだしている実感はあるのに、花が一輪もほころばないのだ。


 普段の祝福でうたうことはないのだが、神へ祝福を捧げる神事の今日は特別で、正にこの日この月、私の誕生した時。私の祝福の力が最も高まったこの時を選んでうたうのだ。

 祝福を宿やどしたうたは水面いっぱいに響いて、私の祝福をどこまでも広げてくれているはずなのに。


 ちょっと待って!

 そう言えば夢の中で私、すごく不安になってたはずだ。

 マルテスとしちゃったからって……!


 しまった、殺害の場面ばかり気になってすっかり忘れてた。

 突然あの時夢で見たマルテスの濃厚な口づけを思い出して顔から火が出そうになる。


 ダメ!

 今こんなことを思い出してちゃ絶対駄目!

 大切な祝福が失敗してしまう。


 私は不安を押し殺して再度祝詞に集中した。

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