12. お礼

「くそ……マジでいけすけねぇ野郎だな。あいつ」


 半ば強制的に美琴によって会長室から連れ出された颯空は、イライラを隠す事無く廊下を大股で歩いていた。


「生徒会長がどれほど偉いんだよ。何様のつもりだ、ったく」


 メガネをかけたその顔立ちは女子から甘いマスクと囁かれるほどに整っているが、そんな事は颯空には何の関係もない。むしろ、常にこちらを見下したようなその表情に一発拳をめり込ませたいくらいであった。


「次舐めた事抜かしやがったらお前が止めても俺はいくからな。五発はぶん殴らねぇと気がすまねぇ」


 パァン、と手の平に自分の拳を打ちつける。だが、その言葉に反応する者はいない。強いて言うなら、颯空が手の平を殴りつけた音に何人かがビクッと身を震わせていたぐらいだ。不思議に思った颯空は後ろへ振り返る。


「おい、聞いてんのか……って、あれ?」


 そこには後ろを歩いているはずの美琴の姿がなかった。ついさっきまで一緒に会長室から歩いてきたというのに、一体どこに行ってしまったというのか。


「先に教室に戻ったのか?」


 強引に会長室に連れて行き、強引に会長室から連れ出しておきながらなんとも勝手な話ではあるが、あの女なら想像に難くない。とりあえず颯空も教室に戻ってみる事にする。


「…………いねぇ」


 まばらに人はいるものの、教室に美琴の姿はなかった。もう帰ってしまったというのか? 一応美琴の席を確認してみる。


「鞄はあるな。って、事はまだ校内にいんのか?」


 突然姿を消した美琴。なんとなくデジャヴを感じる。これと似たような経験を昨日の放課後に体験したような……。


「……んなバカな」


 頭ではないと思いつつ、体はその場所に向かっていた。昨日、二手に分かれて校則違反を探していた時に、待ち合わせ場所に来なかった彼女がいた場所。中央校舎の三階端の階段から行くことができる、生徒立ち入り禁止の秘密基地。


「まじか……」


 屋上に出ると、すぐに巨大なダンゴムシを見つけた。颯空はゆっくりと近づいていき、昨日と同様、丸くなっている美琴の横に腰を下ろす。


「……悪いんだけどさ。お前が落ち込んでいる理由、一ミリも分かんねぇわ」

「……無神経ヤンキーにはわからないわよ」


 自分の膝に顔を埋めたまま、美琴が鼻声で答えた。あまりに覇気がないその声に、颯空は盛大にため息を吐く。


「……なによ?」

「お前って強いのか弱いのかよくわかんねぇな。こんな所でめそめそ泣いてるかと思えば、あの生徒会長くそ野郎にバシッと言ったり……」

「それよっ!!」


 突然、奮起したかのように美琴は立ち上がった。


「久我山君を生徒会に入れて、私の手足となって働いてもらう事で神宮司会長の評価を上げるつもりだったのにぃ!」

「本音駄々洩れじゃねぇか」

「会長の課題を達成できなかったうえに、あろう事か会長に反論してしまうなんて……どうしてくれるのよっ!?」

「いや、俺のせいじゃねぇだろ」

「いいえ、あんたのせいよ! あんたがこう……背中叩いてそれっぽい雰囲気にしたからじゃない!」

「んな、むちゃくちゃな……」


 どう考えても八つ当たりなのだが、目を真っ赤に腫らしている美琴に颯空はあまり強く出る事ができない。


「はぁぁぁぁ……もう最っ悪。絶対嫌われたぁぁぁ……」


 階段室の壁をずるずると滑りながら、美琴が元のダンゴムシに戻っていく。なんという感情の起伏が激しい女なのだろうか。颯空がこれまで会ってきたどの女性よりも、美琴は浮き沈みの落差がすさまじかった。


「別に嫌われてもいいだろ、あんな野郎」

「あんたねぇ……もう少し神宮司会長に敬意を払いなさいよ。さっきだってあの人に殴りかかろうとしてたでしょ? ありえないわ」

「あそこまで見下されたら俺じゃなくたってムカつくだろうが」

「見下しているんじゃなくて、人の上に立つカリスマ性が半端じゃないのよ」

「はっ、どうだか」


 颯空が不機嫌そうに鼻を鳴らす。初めて会長室に行った時から直感的に感じていた。自分と誠は水と油。混ざり合うことなどなく、混ざろうという気すらおこらない。


「まぁ、いいじゃねぇか。あいつもまたチャンスをくれるって言ってたし、次は生徒会に入ってやるよ」

「……随分と協力的になったわね」

「お前のためじゃねぇ、自分の名誉のためだ。生徒会に入らねぇと俺の秘密をバラされるだろうが」

「そうね。そういえばそんな話だったわね」

「そんな話ってお前……」


 顔をしかめて文句を言おうとした颯空だったが、体を縮こませ完全な球体になりかけている美琴を見て言葉を切った。恐らく、今の彼女に何を言っても無駄な気がする。


 バタンッ!


 颯空がしばらく無言でぼーっと空を眺めていると、唐突に屋上の扉が開いた。二人が同時に目を向けると、そこには見覚えのある男子生徒が屋上の入り口で息を切らせている。


「はぁはぁ……やっと見つけた……!!」


 男子生徒は二人に目をやり、嬉しそうな顔をしながら膝に手をつき呼吸を整えた。


「他の奴に聞いたら久我山は屋上に行ったって聞いたから来てみたけど、渚さんもいたんだね。ちょうどよかった」

「お前は……タコ夫?」

「武夫だ! 佐藤武夫!」

「佐藤君、私達に何か用かしら?」


 颯空は隣に目を向け、ギョッとした表情を浮かべた。先程までうじうじくよくよいじけまくっていた美琴が見事にシャキッと立っている。少しだけ目は赤いが、泣いていた面影は一切ない。人間、一瞬でここまで変われるものなのだろうか。


「あ、えっと……ちょっと伝えたいことが……」


 そう言うと、武夫はおもむろに頭を下げた。これには颯空も美琴も目を丸くする。


「ありがとう! 半分くらい諦めてたけど、本当に良かった!」

「……全然意味がわからねぇんだけど」

「ちょ、ちょっと佐藤君! ちゃんと説明してもらってもいい?」

「え?」


 全く状況が把握できていたい二人を見て、武夫は首をかしげた。


「二人が神宮寺会長に直談判してくれたんだろ? さっき会長が俺のところにやってきてこれをくれたぞ?」


 そう言って武夫は一枚の紙を取り出す。頭を突き合わせてそれを見た颯空と美琴は驚愕に目を見開いた。


「はぁ!?」

「なにこれ!?」


 その紙にはでかでかと『アルバイト許可証』と書かれていた。他にも細かく何かが書かれているが、その文字だけでこの紙の用途を二人は十二分に知ることができる。


「生徒会長の印も押してあるって事は本物……!?」

「ちゃんと本物さ。俺の家の事情を考慮して会長が特別に許可してくれたんだ。会長が直接話しかけてきた時はかなり緊張したけどね」


 嬉しそうに武夫が話す中、状況が全く把握できない二人。先程、会長室で誠と話している時に佐藤武夫の名前は一度も出してないはず。つまり、あの男は最初からすべてお見通しだったわけだ。


「学業に影響が出てきたら即刻その許可を取り消すって言われちゃったけどさ。それでも嬉しいよ。家のためとはいえ校則を破っているのは後ろめたさがあったんだ。だから、昨日二人に見つかった時はやばいって思ったけど、同時にどこかホッとしたんだよな」

「佐藤君……」

「でも、これで堂々とアルバイトをすることができる。本当に二人には感謝してるよ。ありがとう」


 真正面から感謝の言葉を告げられ、何とも歯がゆい気持ちになる美琴。ただ、不思議と嫌な気分ではなかった。どこかすっきりした顔の武夫だったが、少しだけ真面目な顔になると颯空の方に向き直る。


「特に久我山。あんたには世話になったよ。まさか久我山に俺の身の上話をするとは思っていなかったけど、それであの会長に話をつけてくれたんだろ?」

「…………」

「俺、久我山の事を誤解してたわ。正直、どうしようもない不良で関わりたくないとか思ってたけど……いい奴なんだな、あんた」

「……の……ろ……」

「え?」


 俯き加減で颯空が何かを呟いた。よく聞こえなかった武夫が耳を近づけると、勢いよく颯空が顔を上げる。


「あの野郎ぉぉぉ!! コケにしやがってぇぇぇ!!」


 そして、怒声を上げるや否や屋上から校舎へ走って行った。一瞬呆気にとられた美琴だったが、颯空が会長室へ向かったことに気がつきその後を慌てて追おうとする。だが、その腕を武夫が掴んだ。


「佐藤君!?」

「ごめん渚さん。俺もよくわからないんだけど、俺が二人にお礼を言いに行ったら久我山が一人で会長室に向かうだろうからそのままにして欲しい、って会長に言われてさ。おまけに、渚さんは来なくていいとも言われているんだ」

「そ、そうなの?」


 誠に来なくていい、と言われてしまえば、美琴は行くことができない。武夫からこの話を聞けばあの短気な颯空が誠のもとに向かうのは必然と言ってもいい。それを見越していたのは別に驚くようなことではない。ただ一つ、異様に性格の合わない誠に対し、"狂犬"と呼ばれたあの男が問題を起こす事だけが美琴の不安事項であった。

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