第18話 崩落、真実の愛の末路 ①

 王宮に招聘され、クラーラ・エヴァット侯爵夫人と令嬢への裁可を見届けてから数日後。

 

「何か……すごい久しぶりな気がする」

「そうねぇ、三週間ぐらいお休みしていたものね」


 リィンは、学園へ復帰していた。

 

 全てはまだ片付いていないので今もオールボート公爵家で客人として滞在している状況で、学園への送迎はララがドリューウェット伯爵家からオールボート公爵家へと迎えに来てくれる、ということになっていた。

 アストリー・オールボート公爵令息は、時間をずらして一人で馬車で学園へ送迎されている。


 何とも無駄手間の多いやり方ではあるが、アストリーとリィンが同じ馬車で公爵邸からの送迎ともなれば、妙な噂になるのは目に見えている。

 リィンが体調不良による療養という名目で学園にいなかった間にも、やはり姉レリアはスペンサー侯爵令息をはじめとする複数の高位貴族の令息らに擦り寄っており、これでリィンがアストリーに近付いているなどとなれば大変なことになるだろう。

 リィンとララが親しいことは知られているが、それでも噂はどうなるか分からない。用心するに越したことはなかった。

 

「もう少しで、全部終わるみたいなんだけどね……」

「わたしは細かいことは聞いてないけれど……ねぇ、リィン、あなた……」


「あら、リィンじゃない?」


 ララが何かを問いかけようとした時、不意に響いたのは姉レリアの声だった。

 

 そちらに視線を向ければ、可憐な容姿でにこやかに微笑む姉の姿があった。

 相変わらずランドルフ・スペンサー侯爵令息に付きまとい、今やまるで恋人同士であるかのように振る舞っていると聞いていたが、その傍らにいるのは彼ではなく見たこともない令息であった。

 

「最近は、色々はべらせてるみたいなの」


 こっそりと、ララが背後から囁くような声で教えてくれた。

 リィンは、露骨な嫌悪に眉を寄せる。

 

 これまで姉に感じていたのは、どちらかと言えば無関心に近く、敢えて言うならば「鬱陶しい」という感情が主だった。

 事あるごとに絡んできては、自分がどれほど両親から愛されているのか、リィンがどれほど愛されていないのか、それを繰り返してくるような姉だったのだから、好意的になど見れるはずもない。


 だが、好意的には見ていなくても、ここまで露骨に嫌悪感を感じたこともなかったはずだった。

 鬱陶しいけれど、血の繋がった姉には違いないと思っていたから。

 

 けれど、今はもう、違っていたらしい。沸き起こるのは、こんな相手と血が繋がっているのかという、絶望にも似た感情だった。

 

「最近、帰ってきてないでしょう? お父さまとお母さまも心配しているのよ」

「……そうですか」


 兄から、事情があってしばらくオールボート家に滞在することになると、連絡は行っているはずなのだけれど。

 

 リィンが学園内で攫われてから、既に二週間と数日。もうすぐ三週間にもなろうとしている。

 その間、兄妹を気遣う素振りなどウィルコール男爵夫妻からは一切なかったのだが。

 ちなみに、祖父である前グラフトン侯爵にも同様の連絡は行ってるはずだが、それもまた何ら反応はない。

 

 心配してるなら、手紙のひとつぐらいありそうだけどね。

 

 冷めた眼差しで淡々と応じたリィンに、レリアはふるりと身を震わせ、傍らの令息に縋り付いた。

 

「怖い……そんな目で見るなんて。やっぱり、リィンはわたくしが邪魔なのね……?」

「そんなこと言ってませんが」


 母に瓜二つのヘーゼルの瞳が、ふるふると涙に濡れる。

 そういえばこの人、自由に涙操れたな、昔から、などと、リィンは場違いなことを思った。

 

「大丈夫かい、レリア? 可哀想に、こんなに震えて」


 自由自在に操れる涙だが、釣られる男はやはりいるらしい。

 リィンにしがみつかれていた令息が、宥めるように彼女の髪を撫でた。

 

 どう見ても、婚姻前の貴族子女にあるまじき距離感である。大丈夫なのだろうか、この人たち。

 

「ポール様……わたくし、怖いのです……」


 その呼びかけを聞いて、背後でララが、あぁ、と呟いた。

 

「ポール・ヒギンズ伯爵令息だわ」


 その名前にリィンは聞き覚えがあるようなないような、といった程度ではあったが、伯爵令息ならば男爵家からすればなかなかに高位貴族である。

 ランドルフ・スペンサー侯爵令息との関係がどうなったのか知らないが、どうやら姉は順調に高位貴族の令息を誑かしているらしい。両親が唆した、その通りに。

 

 嫌悪感を通り越して気分が悪くなりそうだが、今はまだ関わるべきではない。

 そう判断したリィンは、そのまま何やら二人の世界に突入しそうな姉と伯爵令息を放置して、その場を立ち去ろうとララを促して踵を返そうとしたのだが。

 

「いつもそうなの……リィンはわたくしが邪魔だから、意地悪なことばかりで。わたくしの侍従も、リィンに奪われてしまったのですわ」

「……は?」


 聞き逃し難い言葉を聞いて、思わず低い声と共に足を止め、姉を振り返ってしまった。

 その視線の先で、伯爵令息に肩を抱きかかえられながら顔を伏せたレリアが、小さく口角を上げて笑うのを、確かにリィンは見たのだった。

 

 

 ***

 

 

 元々、姉レリアは常日頃からそういったところはあった。

 幼い頃から別々に育てられていた上に、リィンがウィルコール男爵邸に戻ってからも交流が深いとは言い難かったので、それほど機会があった訳ではないけれど。

 

 ただ、リィンにはさっぱり心当たりのないことで両親から叱責を受けることは、確かに幾度もあった。

 そういった時には大体、レリアが両親にありもしない何らかの事柄を吹き込み、リィンのせいでつらい思いをしたと訴えた時だった。

 

 あの両親なので、当然彼らはレリアの言うことしか信じない。

 最初の頃はリィンも両親のことを理解していなかったので反論を試み、信じてもらえない事実に泣きもしたけれど、幾度も繰り返されるうちに心境は簡単に変化していった。

 

 もうどうでもいい、と。

 

 そう心境が変化したとき、たぶんリィンは諦めたのだ。

 両親や姉と、家族でいることを。

 だから、その後は何を言われても聞き流すようにしていた。レリアの訴えも、両親からの叱責も。

 家族は、兄がいてくれればそれでいい、とさえ思っていた。

 

 家族はどうでもいい。姉にも両親にも、もう期待なんてしていない。けれど。

 

「お姉さま、何を勘違いしているのか知りませんが、マティスはわたしの侍従であってお姉さまの侍従を奪った訳ではありませんよ」

「形式はそうだけれど、マティスはわたくしの侍従でいたいと言っていたわ! 貴女がそれを邪魔してるんじゃないの!」

「邪魔なんてしてませんし、マティスがそのようなことを言うはずもありません」

「そうやって決めつけてマティスを縛り付けて……酷いわ、リィン。貴女には思いやりがないの?」


 ヘーゼルの瞳が涙に濡れて、くるりとカールした睫毛が雫に濡れながらふるふると震える。

 その様子は確かに憐憫を誘う光景で、それだけを見ればリィンがレリアを糾弾しているようにしか見えないだろう。

 

「ああ……レリア、可哀想に。君はこうやって妹から虐げられて来たんだね。もう大丈夫、私が守ってあげるから」


 そして、簡単に騙される訳だ。


「マティスはウィルコール家の使用人ではありません。グラフトン侯爵家に雇われた、わたしの侍従です」

「そうやってお祖父さまの権力を使って、マティスを縛り付けて……マティスが可哀想だわ、わたくしは彼を解放してあげたいの!」


 全くもって、言葉が通じない。込み上げてくる頭痛に、思わずリィンはこめかみを押さえた。

 隣で、同情の色を浮かべた眼差しのララがこちらを見ている。同情されるような身内というのは情けないが、それも仕方ないか……などと思う。

 

「マティスがお姉さまの侍従になりたいと、いつ言ったのです? 誰がそれを聞いたのです? ああ、証人はマティスを欲しくて堪らないらしいヨハンナ以外にしてくださいね。彼女は、マティスとどうしても恋仲になりたいようですから」

「わたくしの侍女まで悪く言うの? 貴女がそんなだから、マティスは貴女から解放されたがっているのよ?」

「だから、いつマティスがそのような意思を示したのか、教えてくださいと言っているのです」

「貴女のような酷い人に、彼が仕えたい訳ないじゃない! マティスを解放してあげて、お願い、リィン!」


 ついに、ヘーゼルの瞳から涙が一粒ほろりと零れ落ちた。

 

 可憐な容貌と華奢な身体。

 震えながら、堰を切ったようにぽろぽろと涙を流し始めたレリアを、ポール・ヒギンズ伯爵令息がそっと抱き寄せる。

 悪辣な妹に仕えさせられる不遇の使用人を解放しようと、勇気を振り絞って立ち向かう可憐な令嬢と、それを守る頼りになる恋人といったところだろうか。

 

 これはもう、立派な悪役扱いね……。

 

 苦々しい思いが、口の端が引き攣るような笑いを作り出す。

 それはますます悪役っぽい様子だな、と思う。けれど、リィンは引き下がれない。

 

「何と言われようと、わたしはマティスの口から直接聞くまで信じませんし、お姉さまにとやかく言われる筋合いなどありません」


 両親も、姉も。

 

 家族なんてどうでもいいし、ウィルコール男爵家だって、何だったらグラフトン侯爵家だってどうでもいい。

 リィンにとって、血の繋がりは兄のアルベルク以外、あろうがなかろうがどうでもいいし、何がどうなろうと知ったことでもない。

 両親からの愛情だろうが何だろうが、好きに持っていけば良い。それで優越に浸ろうが何をしようが、知ったことでもない。

 

 ただ、彼だけは。

 

「マティスはわたしの侍従です!」


 きっぱりと、声を張り上げてリィンは言い放った。

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