第2話 入学式、出会いは常に定番で

 晴れ晴れとした空の下、待ちに待った学園の入学式。

 

 男爵令嬢は、慣れない学園内の様子に戸惑い、余所見をしながら歩いていて同じ新入生の男子生徒にぶつかってしまう。

 勢いで転んだ令嬢に、男子生徒はそっと手を差し伸べ助け起こす。

 輝かんばかりの美貌の彼はこの国の王子殿下で、男爵令嬢はひと目で彼に恋をしてしまう。

 だが、実は王子殿下の方も男爵令嬢の可憐な風貌と、他の令嬢たちと比べて取り澄ましたところもなく素直に礼を言う純朴なところに興味を持ち、心中では恋の予感が芽生えていたのである……。

 

 うん、聞いたことある。どっかでそれ見た。

 どっかって、自室の本棚だわ。この前読んだ恋愛小説の冒頭シーンだわ。

 

 ――――まさか、現実に見るとは思ってなかったけどね!!

 

 しかも配役が、男爵令嬢は実の姉。王子殿下は、紛うことなく本物の王子殿下。

 つまり昨夜、高位貴族の子息を誑かせというとんでもないことを言い出した父に対し、姉が更にとんでもないことに標的に定めた相手。


 この国の第一王子殿下に、あろうことか激突してすっ転んでくださったのである。あの姉は!

 

「ちょっと待って、どうしよう……まだ何にも対策してないのに……」


 兄との相談にもならない相談の結果は、まずは王子の婚約者であるジョゼット・ル・ナンに何とかしていい感じに接触し、恥を忍んで男爵家の実情を晒し、レリアの行動にリィンや兄アルベルクは無関係であり、何とかしたいのだけれど何とも出来ないのだと理解してもらう、というのが最初の一歩であった。

 

 だが、最初の一歩を踏み出すどころか、学園に一歩二歩踏み入れただけの段階が、現在である。 

 送迎の馬車を降り、暫し歩いて校門をくぐり、あぁこれが学園か、と学び舎を見上げた、そのすぐ後なのである。今現在が。

 

 こんなに早く行動に起こすなんて、誰が想像しようか。

 というか、その行動力を別な方向に向けられなかったのか、姉。方向性を間違えなければ、その行動力で玉の輿に乗るよりも確実な立身出世があったかもしれなくてよ、姉。

 

「ごめんなさい……足を挫いてしまったみたいで……」


 現実から逃避したくて、思考を飛ばしそうになっていたリィンは、弱々しい姉の声にはっと我に返る。

 レリアは、ぶつかって転び、地面に座り込んだ体勢のまま、第一王子に助けを求めるかのように見上げていた。

 

 何だ、その弱々しい声は。

 さっき馬車の中で、昨夜の色々のせいで眠れずにしっかりと隈をこしらえてしまったリィンに対し「学園ではわたくしに近付かないでね。そんなみっともない顔で、妹なのだと名乗られたくないわ」なんて、きっぱりと言い切っていた嫌味ったらしい声はどこにいった。

 

 どうやらレリアは、相手が第一王子殿下だと知らない態でいきたいらしかった。

 迷わずにぶつかって行って転んだ時点で絶対に相手が誰なのか分かっているはずなのだが。

 知らないままにぶつかってしまった、偶然の出会いを演出したいのだろうか。

 

「へぇ……君は、僕のことを知らないのかい?」

「ごめんなさい、こんな素敵な方、お会いしたことなくて……」


 第一王子の目が、そっと眇められる。

 

 あ……これはマズい。

 

 子どもたちの行動範囲や交友関係などは、学園に入るまでは確かにひどく狭いものであるが、それでも普通の貴族子女であれば当たり前のように王族の顔ぐらい認識しているものである。

 王族だけでなく、高位貴族で覚えておくべき家柄の人々についても、家庭教師から各家について教わるし、可能な限り絵姿などで容貌も確認する。

 そうやって、決して無礼を働いてはならない相手を刷り込んでおくのが一般的で、当然リィンもそうやって覚えてきたのだが。

 

 第一王子殿下という、この国でも屈指の「覚えるべき顔」を覚えていないということは、最低限の教育さえも行き届いていないという証明になる。

 そして、その教育を施すべきなのは、家。親が手配する、家庭教師の役目なのだ。

 つまり、このままだとウィルコール男爵家は、令嬢に最低限の教育さえも施すことの出来ない家である、と見做されるということで。

 

 いや、実際施せていないのだけれど。

 本当は第一王子の顔ぐらい姉も分かっているだろうが、そもそも教育がちゃんと施されていれば、父の口車になんて乗らないだろうし。

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 何とかしなきゃ。何とかってどうやって???

 

 あぁ、せめて兄が学園にまだ在学中であったなら、何とか出来たかもしれないのに……何故、兄は入れ違いで卒業してしまったのか……ッ!

  

 いや、もしかしたらいたとしても、おろおろするばかりで何も出来なかったかもしれない、と一瞬頭をよぎらなくはないけれど。


 

 全く予想だにしないほどのスピード感で定番の出会いを演出しようとした姉レリアの行動に、リィンは頭を抱えたい思いを堪えながら必死で打開策を絞り出そうとしていた。

 

 だが、そんなレリアやリィンを他所に、王子はふぅと息を吐くとレリアを一瞥してからくるりと踵を返した。

 

「あ、あのっ、わたくしレリアと申します……ッ」

「あぁ、いらない。覚える必要もない名だ。そこの君、レディが怪我をしたらしいので対応を頼む」

「はっ。畏まりました」


 王子が言葉を向けたのは、そこに控えていた警備兵だった。

 

 怪我をした、と主張する令嬢を放置しないのは、紳士として最低限の対応。

 だが、自ら手を差し伸べることは、王族として、また傍らに婚約者であるジョゼット・ル・ナン公爵令嬢を伴う身として、避けるべき対応。

 

 ブラッドリー・ユナ・ガルド第一王子は卒なく対応をこなすと、足を挫いたと主張して座り込んだままのレリアを振り返ることもなく、公爵令嬢を伴ってその場を立ち去った。

 その足取りまでも優雅に見えた気がした。

 

 必死に何とか打開策を絞り出そうとしていたリィンだったが、思わず惚けてその後ろ姿を見送る。

 何だろう、王者の貫禄というか何というか、全く自分とは違う次元に存在する生き物を見た気分だった。

 

 王子が立ち去り、様子を見守るかのように周囲に集まっていた新入学生たちも、それぞれ軽く顔を見合わせたり、レリアを奇妙なものを見る目で眺めたりしながら、ぱらぱらと立ち去っていく。

 

「もしかして……ぎりぎり大丈夫、だった……かしら?」


 まさか、入学式が始まるよりも前、それも学園に入って数歩、という段階で仕出かしてくれるとは思ってもいなかったが、そこまでは大きな騒ぎにはならなかった、と考えてもこれは大丈夫なのだろうか。

 

 姉レリアの行動は、下手をすれば王家に叛意あり、と見做されてもおかしくはない行動だったのだと、リィンは思う。

 しかも、レリア個人ではなく、ウィルコール男爵家そのものが。

 

 何せ、たとえ成人前であろうと貴族であることは変わらない身で、忠誠を誓うべき王家の、しかも次代を担う可能性が非常に高い第一王子を相手に「あなたが誰なのかなんて知りません」と言ってのけたようなものなのだ。

 それは、王家に忠義を示す必要などないと教育を施した男爵家は考えている、とされても何も不自然はなかった。

 

 だが、王子は特に何も言わなかった。

 それはぎりぎり大丈夫だったから、なのだろうか。

 

「でもまだ、後から調べて沙汰を……って可能性もあるし……」


 ぶつぶつ呟きながら、リィンは歩き出す。

 レリアは警備兵の運んできた担架に乗せられて救護室へ向かうようだが、学園内で近付くなと言われていたので、付き添いなどは無視することにした。

 

 それよりも、あの姉の無駄な行動力を考えると、迅速に何らかの対策をあらかじめ取っておく必要があり、どうやって兄の言うようにル・ナン公爵令嬢に話をするか、が非常に重要な課題になる。

 難易度的に、ル・ナン公爵令嬢に接触するのと、第一王子殿下に接触するのとでは、大差ないような気もしなくはないが。

 

 リィンは、考えながら歩いていた。ゆえに、余り前を見ていなかった。

 代わりに、少しうつむき加減で歩いていた。

 

 だから、ふと目に入った。

 

「あら?」


 足元に落ちた、白いハンカチ。

 光沢のある絹生地に、美しく青の糸で蔦模様が刺繍されている。

 

「あの、もし。ハンカチ落とされませんでしたか?」


 如何にも高級そうなそれを拾い上げ、目の前の背中に問いかける。

 周囲と同じく、真新しい制服に身を包んだ男子生徒だった。

 

「ん? あ、あぁ、ありがとう。すまない、落としたのに気付かなかったようだ」


 ふいっと振り返った男性生徒は、見事なプラチナブランドだった。

 白皙の顔の中で、まるで紫水晶アメジストのような双眸が微笑む。

 

 ――――オールボート公爵令息……!?

 

 家庭教師の指導の下、絵姿で確認した「決して無礼を働いてはならない相手」のうちの一人、ル・ナン公爵家と同じく王家から連なる高貴な血筋を持ち、格式と権威のどちらも併せ持つ大貴族の子息が、目の前で微笑んでいた。

 

「あ、えっと……も、申し訳ございません。わたしなどがお声がけをしてしまいまして……」


 下位の者から上位の者へ、許可なく声を掛けてはなりません。それだけで無礼に当たります。

 家庭教師のミセス・ウラリーの声が、咄嗟に脳内を駆け巡る。

 

 慌てて、しかし余り慌ただしくならないように注意しながら頭を下げ、教え込まれた礼の姿勢を取ったリィンの耳に、くすくすという公爵令息の笑い声が届く。

 

「声を掛けてもらわなければ、僕は気付けなかったよ。気にしないでくれ」


 爽やかな微笑みが、まるで煌めいているかのようだ。

 

「僕は、アストリー・オールボート。名前を聞いても良いかな、レディ?」

「名乗りもせず、申し訳ございません。リィン・ウィルコールと申します」


 下位の者が上位の者に先に名乗らせるなど、それもまた礼を失した行為である。

 内心で冷や汗をかきながら、平伏したい気持ちを堪えつつ、リィンは目線を伏せて謝意を示す。

 

 再び、くすくすという笑い声が響いた。

 

「幾ら学園であろうと、そこまで畏まらなくても良いさ。むしろ、拾ってくれてありがとうと僕が御礼を言う立場なのだから」


 楽しげに笑いながら軽く首を傾げたオールボート公爵令息の頬に、さらりとプラチナブロンドの髪が流れる。

 まるで、陽光を紡いだかのような金糸の髪だった。

 

「ありがとう、レディ・ウィルコール。それでは、また」


 ハンカチを受け取り、踵を返して歩き出す後ろ姿は、先ほど見た第一王子殿下やル・ナン公爵令嬢と同じく、ただ歩いている姿であっても優雅に見えた。

 

 あら、でもこれって、どこかで見たシチュエーションのような……?

 

 再びぼうっと惚けてその後ろ姿を眺めていたリィンは、ふと気付く。

 

 王子様がハンカチを落とし、それを偶然そこにいた少女が拾い、声をかける。

 本来ならば声をかけて良いような身分差ではないにも関わらず、親切心で勇気を出して声をかけ、恐縮する少女の優しさと可憐な風貌に王子様は心を揺らし、やがて偶然を重ねるうちに少女へと惹かれていく……。

 

 ――――このシチュエーションも読んだわ! 本棚にあるわ!!

 

 どうやら、小説の出会いシチュエーションを再現しようとした姉レリアではなく、何故か偶然、リィンが別の小説の出会いシチュエーションを再現してしまっていたようだった。

 

 何があっても、レリアには知られないようにしよう……。

 単なる偶然でしかないし、小説のようにこの先にも偶然が重なるようなこともないだろうが、知られたらロクなことにならない気がする。

 

 何か疲れた……。

 

 まだ入学式も始まっていないというのに、やけに疲れた心持ちでぐったりとしながら、リィンは改めて入学式の始まる講堂へと足を向けたのだった。

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