第36話Side:クナイ3


 ハンナが居なくなった日のことは、今でも鮮明に覚えている。


 その日も当たり前のように生け垣を抜けてハンナの家の庭に俺は入っていった。


 いつもならその時間にはハンナは庭で遊んでいるか、庭に面した縁側で本を読んでいるかのどちらかだと思っていたのに、なぜか縁側のガラス窓は全て閉じられ、家はひっそりと静まり返っていた。


 全ての窓が閉じられていることになんだか違和感があったので、玄関に廻って呼び鈴を鳴らしてみるが、誰も出てくる気配がない。いつもなら家政婦もいる時間なのに、おかしいなと思って家に戻り母親に訊ねていると、外が騒がしくなり、ガシャンガシャンとガラスが割れる音が響き、驚いて外見ると、軍服の男たちがハンナの家を破壊して中へと踏み込んでいた。

 驚いて声をあげそうになった俺を母親が羽交い絞めにして口をふさぎ、急いで部屋の中に入り明かりを全て消して、俺をきつく抱いて座り込んでしまった。


 何がなんだかわからないまま、時が過ぎるのを待つしかできなかった。母親にいくら訪ねても、黙っていろと言われるだけでなにひとつ教えてはくれなかった。


 ハンナの家に何が起きたのかを知ったのは、ずいぶん後になってからだ。ハンナは父親とともに敵国へ亡命したんだと父親から教えられ、ハンナのことは誰に聞かれても決して口にするなときつく言い渡された。


 ハンナの父親は国家機密を持って敵国へ亡命した大罪人だった。

 その事実は、俺が十四歳になって父親の仕事を手伝うようになってから詳しく知ることとなる。ハンナの父親は暗殺対象の最重要人物だった。

 父は魔術師だったが、俺は父が呪い殺す相手の情報を集めてくる諜報部員として働かされていたため、父親とハンナが今どこでどうしているのか情報が入ってきていた。


ハンナの父親には、何度も殺害命令が出されて、何度も暗殺部隊が送り込まれていたが、あちらもそれを見越して厳重に護られていて、こちらの手の内を知っている相手に呪詛も効くはずもなく、何度人を送り込んでも失敗に終わっている。


 そのうち、小競り合いが続いていた敵国との関係が悪化し、人材を暗殺に割くだけの余裕がなくなり、国は本格的に戦争へ傾倒していった。


 俺は年若い上に、隠遁系の魔術に長けていたので、色々な役目で敵国へ送り込まれていた。


 敵国に何度も潜入していた俺は、自国との国力の違いをよく分かっていた。敵国は肥沃な土地と高い技術力を有し、俺の国とは資本力が桁違いで、他国から新しい武器をいくつも仕入れ、来るべき戦争に備えている状態であるため、魔術に頼りきりでろくな火器もそろえていない我が国では勝てる見込みもないと分かっていた。

負けが目に見えていると分かっていても、上層部は魔力と呪詛を持つ我が国が無能者の国に負けるわけがないという旧態依然の考えを変えようともしなかった。


潜入部隊の上官が、『現状のままでは我が国に勝ちの目はない』と馬鹿正直に報告をあげたら、敵国の思想に染まった反逆者と言われ、見せしめに処刑されてしまうほど、上層部の目は曇っていて、手の施しようがないと痛感させられた。


俺と父は上官の処刑を遠くから眺めながら、父は『お前は分かっているな?』とだけ言った。

 父も敵国と戦争になったら負けることは分かっていたのだろう。

 この国の行く末を憂いても、もう止めることはできないのだと理解し、破滅に進んでいても口をつぐむと決めた。


父はハンナの家族と仲が良かった。亡命後も他の者のように彼らを裏切り者と呼んだことはなかった。根拠はないが、父はハンナの家が亡命することを知っていたのではないだろうか。少なくとも、察していても気づかないふりを続けたのではと思っている。

 実際、父は国への忠誠よりも俺が生き残ることを最優先に行動してくれていた。


 父がハンナの父のように亡命という選択肢を取らないのは、魔術師は国に縛られて逃げ出せないようになっているからだ。

 術師は皆、皇族や領主と契約を交わし、呪術で命を縛られている。国外に術師が流出しないように、魔力の才能がある者は皆子どもの頃にこの契約をさせられるので、逃れようがない。

 息子の俺が魔術師でなく、隠密なのは、魔力が少ないので術師に向かないと認定されたからだが、おそらくこれは父がなにがしか手をまわした結果だと考えている。

しかし、父は魔術師でない俺にひそかに魔術を教え込んでいた。そして自分が術を使えることを決して人に話すなと厳命しながら、扱いの難しい危険な呪詛までも俺に全て叩き込んだ。


 父はおそらく、この国が終わる時のことを考えて、俺が生き残る術を叩き込んでくれたのだ。

 だから父は俺を魔術師にしなかった。国が亡ぶときは自分も死ぬと分かっているから、俺に己の知る魔術を全て俺に引継ぎ、国そのものが無くなっても俺が別の地でも生きていけるように、国外を知れる隠密の仕事につかせたのだ。


 事実、国の滅亡とともに父は死んだ。

 父だけでなく、戦争が終わった時には、自国の総人口は半数以下に落ちていた。

敗戦を受けいれられない軍や皇族が、国のために女子どもにも戦いに加われと言い出した結果、無為にたくさんの民が死んでいった。


 戦争が始まる前からすでに国内は慢性的に食糧不足で、一部の上流階級以外は皆飢えて痩せていた。戦争による死者と同じくらい、餓死した者も多かったくらいで、敵国の豊かさを知る俺は、自国との落差に絶望していた。

 戦争に突き進んだ上層部はおろかだとしか言いようがないが、国の崩壊を速めたのはむしろ良かったのではないかと思える。事実、敵国の統治下に入ってからは餓死する民はいなくなったのだから、敵国に感謝すら覚える。




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