第34話Side:クナイ1

ずいぶんあいだが空いてしまいましたが、クナイ視点のお話を更新します。

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 露店が並ぶ大通りを歩いていると、南から潮の香りを含んだ風が吹いてくる。


その香りに誘われるように、隣を歩くハンナが通りの向こうに見える海に顔を向けると、眩しそうに目を細めた。

 海を見るのは初めてなのか、ハンナはこの町に来てからずっと物珍しそうに周囲を見回している。口にはださないが、キョロキョロと目線を動かし、巨大な商船や屋台に並ぶ珍しい色味の魚を見ては目を丸くしている。



 ここは様々な国の者が行きかう港町。食も、品も、人も、多種多様で、容姿も特別目を引くことはない。先ほども変わった民族衣装の一段とすれ違ったが、誰もそれを珍しそうにじろじろ見たりしない。


 活気にあふれていて、色々な文化が混ざり合った不思議な町だ。

 南の地方は気候も人も明るく陽気だというが、実際その通りで、道行く人が気安く声をかけてきて、見知らぬ者同士でも挨拶をかわすのが当たり前のようだった。


 定住するつもりはないが、しばらくここで暮らすのも悪くないな、と思った。



 この地に来たのは特に理由はない。ただあの国から離れて、しがらみのない土地を求めて流れ着いただけだった。


 ハンナは『どこへ行くの?』とも『これからどうするの?』とも俺に訊ねてはこない。ただ俺の行く先へ黙ってついてくるだけだ。そこにハンナの意思はない。恐らくどうしたいかを聞いても、自分の要望など無いと言う気がしたので、訊ねたことはない。


 もし今俺が『どこかへ行ってしまえ』と告げれば、ハンナは黙ってその指示に従い、どんな見知らぬ危険な土地であってもその場で俺から離れていくのだろうな、と思う。

 ハンナはただ、賭けで負けたから俺に従っているにすぎないのだから。



 本当は、賭けが終わった時点で、彼女を解放すべきだったのかもしれない。


 俺は賭けに勝ってなどいない。俺は自分の本当(・・)の(・)賭けには負けたのだ。


 でもそうして突き放してしてしまったら、ハンナはきっと死んでしまうと思った。

あの時の彼女には、生きる理由なんてなにひとつ残っていなかった。俺のものになるという条件があったから、ハンナは食事を摂り、眠り、歩き、俺の指示に従っている。

そこに生きる喜びのようなものはひとつもない。



 もし、あの賭けを持ちかけた俺の本当の意図を知ったら、彼女はどんな反応をするだろうか。

彼女から大切なものをなにもかも奪った張本人が俺だと知ったら……どんな顔をするだろうか。


 殺してやりたいと言うだろうか。

 鬼畜だと罵るだろうか。


……いや、きっとハンナは『そう』と言って、泣きもせず笑いもせずただ静かに俯くだけのような気がする。


 あの夜から、ハンナの心は死んでしまった。俺が殺した。


 こんな結果を望んでいたわけじゃない。


 笑うことをしなくなったハンナの横顔をそっと盗み見ながら、俺は重いため息をついた。




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