第5話




最近家を空けがちだったので、深夜ではあったが寝顔だけでもみたいと思いそっと寝室の扉を開く。


すると夫は暗い部屋の中、ソファに座り何をするでもなく起きていた。


「レイ、こんな夜中に起きていたの?ひょっとして待っていてくれたのかしら。ごめんなさい、遅くなって」


「君は毎日毎日忙しそうだな。俺はもう人と会う事も叶わないから君が羨ましいよ……」


自嘲気味に夫が私に言う。家から出ることもままならない彼にとって、外の空気を纏って帰ってくる私が恨めしいのかもしれない。


だがそれもあと少しの辛抱だ。私はようやく目的のものを得ることが出来たのだ。この地獄から夫を解放してあげることが出来る。


「レイ、私が毎夜出かけていたのは、呪術師の生き残りがどこかに居ないか探していたからなの」


呪術師、と聞いて夫は怒りで目を吊り上げた。非難の言葉を吐こうとする夫の口を押しとどめて私は呪術師から得た情報を彼に伝えた。



「その男から呪いからあなたを解放出来る呪術を教えてもらえることが出来た。そのための呪符も手に入ったわ。あとは実行するだけ」


「ほ、本当か?!呪いを祓うことなど不可能だと皆に言われたじゃないか!」


「ええ、祓うことは出来ない。呪いを解くのはそれをかけた高位の魔術師だけ。この方法はあなたが受けた呪いを他の人に『移す』のよ。そうすることであなたは呪いから解放される」




男が教えてくれた方法は『呪いを人に移動させる』というものだった。

祓うことも出来ない、抑え込むことも難しい。だが私に呪いを『移す』ことは可能だろうと言った。

魔力をわずかでも持つ私であればその術を行使することが出来る筈だと言って、移すための呪文とその媒体となる呪符を私に授けてくれた。


呪いを私に移せば夫は呪いから解放される。だが呪いを受け取った私は、今の夫のような見た目になってしまうだろう。


それを夫に伝えると彼は期待と絶望の入り混じった複雑な表情をしていた。



「……君を犠牲にする方法など……そんな非道なこと、できるわけがない」


「いいのよ、あなたは国に必要な人間なのよ?あなたが職務に復帰することを隊の方々も同期の方も待ち望んでいるわ。私は、あなたが居ればそれだけでいいの。呪いを受けてもあなたが傍に居てくれるならどんな姿になっても構わないわ」


それに探し続ければいつか祓う方法も見つかるかもしれない、それまでの間呪いを引き受けるだけだと夫を説得すると、彼は逡巡しながらも了承してくれた。







「本当にいいのか?見た目だけでなく、痛みも酷いんだ。これをハンナに引き受けさせるなんて……」


夫はまだ迷っているようだが、私は呪いを移す準備を始める。

呪いを移す儀式はとても単純だ。

繋いだ手に術式がかかれた呪符を貼り付け、呪詛を唱えるだけだ。

呪術に詳しいわけではないので、術式の構成はほとんど分からないが、呪符を受け取った時、非常に高度な術だと一目見て思った。こんな術を組めるのは、相当な高位の呪術師なのではという考えがふと頭をよぎったが、口には出さなかった。


高位魔術師は全て掃討されたということになっているのだから、そのことに触れたらその場で私は消されてしまうだろうと思ったからだ。


このことを黙っているのは、国を裏切る行為かもしれない。だが私は、何を犠牲にしてもレイを助けたかった。


「……私ね、愛するあなたのために私が出来る事が見つかって嬉しいの。見た目が変わっても、痛みが辛くても、あなたが今まで通り私の夫でいてくれて愛してくれるなら、なんだって耐えられるわ」


ためらう夫の手を握り、呪符を貼りつけた。呪符が私と夫をつなぎ、呪いを受け渡す媒体となる。


魔力を込めて男に教わった呪詛を唱えると呪符が光り出した。





ズル……ズルズル……。


呪詛の文言が進むのと連動して、夫の身体に染みこむ呪いがじわじわと私に入り込んでくるのを感じた。


呪いがうつった箇所から刺すような激しい痛みが私を襲う。


「ぐうっ……」


痛みで呻き声がもれてしまうが、私は必死に呪詛を唱え続けた。

もう少し、もう少しだ。呪詛が言い終われば身体から呪いを全て引きずり出せる。




完全に呪いが私に移動した時、パァーン!と呪符が弾け飛んだ。痛みと衝撃で私は床に崩れ落ちた。




「はあッ……はあッ……!」




痛い。体中が痛い。内側から燃えるような痛みが湧きおこり、呪いが私の身体を蝕んでいくのが分かる。ボコボコと体の表面がうねる感覚がして、自分の腕を見下ろすとそこには夫の体にあったような赤黒いこぶがいくつも浮きはじめていた。


……ああ、成功だ。



涙が滲む瞳で、蹲る夫を見ると、ちゃんと呪いから解放されたことが一目でわかった。


軍人らしからぬ端正な容姿。

細身ながらしなやかな筋肉に覆われ均整のとれたその肢体。

失われたはずの、懐かしい夫の姿がそこにあった。


夫は呪いを受ける前の姿を取り戻していた。


「ああ……レイ。良かった……良かった……」


「ありがとう、ハンナのおかげだよ……まさか呪いから解放される日が来るとは思っていなかった。ありがとうハンナ……ああ……愛しているよ」


夫も歓喜の涙を流している。


それが嬉しくて嬉しくて、私も泣きながら夫に微笑みかけると、彼はそっと私から目を逸らした。




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