記憶を失くした瑠美

 やはり瑠美は記憶を失っているようだ。とにかく現状を分からせないと。


 俺は枕元に置いてあるスマホを手に取り、ニュースサイトを検索した。


「これ、ちょっと読んでみろよ」


 スキンクリアのニュースを探し、スマホを瑠美に渡した。


「なによ、これ……」


 瑠美は戸惑いながらも、ニュース記事を読みだした。


「どういう事なの……」

「お前、三年間の記憶を失ってしまったんだよ」

「まさか……嘘でしょ?」


 青い顔をして、微かに震える瑠美を俺は抱きしめる。だが、瑠美は身を固くしたままで、抵抗こそしないが、心は開いていない。昨晩あれほど愛し合った瑠美と同じ人間とは思えないくらいだ。


「大丈夫、俺が付いているから」


 俺自身もどうしていいか分からず、内心は動揺している。だが、今は瑠美の気持ちを落ち着かせないといけない。


「私達、どうして一緒に居るの?」

「この三年間で俺たちは結婚して一緒に暮らしているんだ。ほら」


 俺は瑠美の左手を掴み、俺の左手と並べる。お互いの薬指には、シンプルな金の同じリングがはまっている。


「これは……」


 自分の左手のリングを不思議そうに眺める瑠美を布団に残し、俺はリビングから写真立てを取ってきた。中の写真には、純白のタキシード姿の俺と、同じく純白のドレスに身を包んだ瑠美が笑顔で写っている。結婚式で撮った写真だ。


「ほら、この写真も見ろよ」

「……どうして?」


 瑠美は喜びでも悲しみでも怒りでもない、動揺した表情で写真を眺めている。


「二年半ほど前、瑠美はお見合いをしようとしていたんだ」

「えっ? 私がお見合い?」

「そう、瑠美の両親は俺から引き離そうと見合い話をお前に勧めたんだ。でも、俺は瑠美を失いそうになって改心した。就職して真面目になって瑠美やお義父さん達に認めてもらったんだよ……」


 瑠美は何も言わずに俺の話を聞いている。続けて、俺が見合いの話を聞いた日から今までの事を詳しく瑠美に話して聞かせた。


 話し終わった後でも、瑠美の瞳はうつろで、どこまで俺の話を信じているのか分からない。


「これから私はどうすれば良いんだろう……」


 瑠美は独り言のように呟いた。


「どうすればって、俺が付いてるから心配しなくても大丈夫だよ」


 俺がそう言っても、瑠美の反応は薄い。冷たい目で俺を見つめるだけだ。


「愛佳ちゃんとはもう別れたの?」

「もちろんだよ。だって俺は瑠美と結婚しているんだぜ」


 俺は結婚という言葉を特に強調した。


「それに、愛佳は浩司と結婚したんだよ。二人も幸せにやってるよ」

「ええっ! 浩司君と愛佳ちゃん結婚したんだ……」

「そう、浩司は俺と別れた後の愛佳を支えて、二人は付き合いだして結婚したんだよ」

「そうか……浩司君、ずっと抱いてた想いを叶えたんだね……」


 瑠美はそう言って、微かな笑みを浮かべた。


「幸せそうな顔をしてるね」


 瑠美はもう一度、結婚式の写真を手に取り呟いた。


「そうだよ。俺は瑠美を幸せにする為に変わったんだ。昨日だって、瑠美は良い旦那さんだって言ってたんだぜ」

「そう言われても、すぐには信じられないわ。隠れて誰かと付き合ってたりするんじゃないの?」

「なんだよ、信用無いな。誰とも付き合って……」


 頭に今ラインでやりとりしているバイトのユミの顔が浮かんだ。


 いや、別にラインしているだけだ。体の関係がある訳じゃない。瑠美と結婚してからは、絶対に体の浮気はしていない。


「……うん、誰とも付き合っていないよ」

「どうして途中で止まるの? なんか怪しい」

「いや、怪しくなんか無いって、ほんとに」


 自業自得とは言え、三年前の俺って、本当に信用されていない。


「あっ、そうだ、病院で記憶障害の認定してくれるみたいだから行こうよ」


 俺はこれ以上怪しまれない為に、話題を変えた。


「今日は何曜日なの?」

「土曜日。二人とも休みだから、俺も一緒に行くよ」

「ありがとう、お願いするわ……。それから、私の三年間の事を知っているだけでも構わないから教えてくれないかな……あと、他に何をすれば良いんだろう……」


 瑠美は不安そうに呟く。かなりショックを受けているようだ。


「大丈夫心配すんなよ。俺達がどれだけ仲良くやってきたか詳しく説明するよ」


 俺は意識的に明るくそう返した。せっかくここまで上手くやってきた俺達なのに、どうなっちまうんだよ。とにかく、瑠美をしっかりと支えないといけないな。


 

 俺達は朝食を済ませ、午前中のうちに病院に向かった。


 想像以上に多くの人が来ていたが、問診だけで済んだので、昼過ぎには登録を受けて病院を出る事が出来た。だが、登録してもらったからと言って、瑠美の症状には何かの変化がある訳じゃない。記憶は三年前のままだし、表情も沈んでいる。元気づけようと言う、俺のジョークも空回りするだけだった。


「ありがとう。義人が居てくれて心強かったよ」


 昼食を食べようと入ったファミレスで、注文が終わると瑠美はぎこちない笑顔でそう言った。その表情から、まだ不安の色は消えていない。


「そんな他人行儀に、礼なんか言わなくても良いよ。俺達は夫婦なんだからさ。可愛い奥さんの為だったら当たり前だよ」


 俺がそう言って笑うと、瑠美もさっきよりは少し自然な笑顔になる。


「ごめんね。こんなによくしてくれているのに、私が記憶を失っちゃって……信用していない訳じゃ無いけど、気持ちがついて行かなくて……」

「いや、瑠美の所為じゃないだろ。大丈夫、すぐに記憶が戻って、義人大好きってなるから」


 内心辛かったが、瑠美を不安にさせたくなかったので、わざと明るくそう言った。


 昼食が終わって家に帰ると、俺は瑠美に三年間の事を知っている限り教えた。聞いている瑠美の表情も少し和らいできたようだ。


 晩御飯も楽しい雰囲気で食べ終わり、俺は今お風呂に入っている。瑠美も一緒に入ろうと誘ったが断わられた。まあでも、心配していたより馴染んでいけそうだ。「スキンクリア」の製薬会社も原因を調べているし、すぐに元に戻れるだろう。


 俺は今日の騒動の疲れを取るように、ゆっくり湯船に浸かって安らいだ。


「お先にー」


 俺は風呂から上がり、リビングに居る瑠美に声を掛けた。


「あれ? なにしてるの?」


 瑠美はリビングに客人用の予備の布団を敷いていた。


「お風呂あがったのね。じゃあ、私もお風呂に入るわ」

「えっ、いや、どうしてここに布団を敷いているの?」

「えっ、私はここで寝ようと思って……」


 瑠美は俺の質問の意味が分からないと言うようにキョトンとしている。


「ええっ……俺たちはいつも寝室で一緒の布団で寝ているのに」

「それは分かっているけど、でも……」


 瑠美は困ったように言葉を濁した。


「分かったよ」


 不満はあったが、瑠美の困った顔を見ているとそれ以上は何も言えなかった。


「ごめん……」


 悲しそうな目で見る瑠美の顔が、過去の記憶に重なる。


 俺は何も言わずに、少し不貞腐れて寝室に向かう。寝室にはいつも寝ているダブルの布団が敷いてあった。瑠美が敷いてくれたんだろう。俺は一人では大き過ぎる布団に寝転んだ。

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