第1話……エピソードⅥ……冬営地ジェンド(jend)

★中央アジアの人々のことわざ

馬は飛ばしすぎて駄目になる、若者は無謀な乗馬で駄目になる。

1364年1月中旬の月曜日午後3時……冬営地ジェンドjend

 アドリアンはここに木製の固定住宅を建てたが地下なので

安定性に欠ける。

ももう少し堅牢な材料を開発することを考えた。

現在で云うところのコンクリートだ。

 まずセメントを作成する。

セメント1tを生産するには通常,石灰石1.2t,粘土0.2t,

鉱滓0.3t,ケイ石0.6t,石膏せっこう0.4tを使用する。

石灰岩も石膏せっこうもウスチユルト台地でいくらでも採れるし、

鉱滓こうさいも製鉄工場で幾らでも貰える。

ケイ石はアラル海の海沙、粘土もアラル海でいくらでも採れる。

次にコンクリートだ。コンクリートは、砂や砂利、水などをセメントで

混合・結合させたものだ。砂や砂利はキジルクム砂漠で井戸を掘る時に

でたものを使えば良い。今あるものを使おう。


★コンクリートの作り方

 先ず、セメントと水を混ぜ合わせます。

これを「セメントペースト」といい、これに砂を混ぜ合わせたものを

「モルタル」、さらにモルタルに砂利を混ぜ合わせたものを

コンクリートといいます。砂を細骨材、砂利を粗骨材といいます。

コンクリートは、セメントの中に含まれる化学物質と水とが化学反応

して、セメント粒子間を相互に硬く結合する「セメント水和物」と

呼ばれる岩石状の硬い物質がつくられるものです。ですから、私たちは

「コンクリートは乾いて固まる」と思いがちですが、実は「水分と結合

して固まる」のです。

★説明終わり


 今回は部下にアラル海とウスチユルト台地に行かせて、

必要な材料を採取してこよう。

俺はヒヴァでエカチェリーナと会う約束をしている。


1月中旬の木曜日午前10時……ヒヴァの市場

 毛皮と蜂蜜はちみつろう、木タールなどを

半分だけ売却し、金のインゴット1,000枚を得た。魚油を1トン購入した。

大金貨10枚支払った。ここでエカチェリーナに会い、

お腹が目立ってきたので急遽きゅうきょテレングト部族

のところに避難させることにした。

弟2人を付けて送らせた。あとの事は出産してから考えれば良い。


 アドリアンもジェンドjendに向かった。ジェンドまで片道5日必要だ。

部下に命じて海岸で海砂を120トン、粘土を100トン、砂利を100トン採取し、

ラクダと馬車でジェンドjendまで運ばせた。


 ウスチユルト台地で石灰石120トンと硫黄100トン及び石膏を100トン採取し、

ラクダと馬車でジェンドjendまで運ばせた。


★トナカイ遊牧民の生活……場所と種族によって違う

北から南に掛けてバイト族、シビル族、ドゥーヴァ族を

順に紹介していく。

バイト族

ツンドラ地帯に住むトナカイ遊牧民は、草や苔、また、害虫の少ない

寒冷地を求めて、時には1千キロ近く移動する。

 ロシアの先住民族の1つとして有名なエネツ族やネネツ族は、

当時森の民バイト族と呼ばれ、西は白海から東はエニセイ川までの

ツンドラ地帯に遊牧していた。

トナカイ飼養を主とし、副業として漁撈ぎょろう、狩猟に

従事していた。

トナカイは普通200~300頭を1群として、犬を助手として遊牧していた。

春3月には、夏の雲霞うんかのような蚊やブヨを避けて北の北氷洋岸

へ移動し、8月になると風の少ない森林地帯の近くまで南下する。

トナカイは冬の間、俗にトナカイゴケ

「ロシア語でヤゲリ、バイト語でニャディ」と呼ばれるものを雪を掘って食し、

夏になるとこの他に草、灌木かんぼくの葉、きのこなども加えられる。

バイト族の放牧の距離は500~800km、時には1,000kmにまで達している。

バイト族の氏族の特徴は,次の4点にまとめられる。

i)氏族内での結婚は禁じられている。つまり、外婚制をもつ。

ii}氏族の出自は父系的である。子供は父親の氏族に属し,

相応の名前をもらう。父処婚である。

iii)各氏族は次のものを所有する。

a)独自の名称

b)固有の土地「漁場,猟場,牧地」

c)供犠祭場,墓地

iv)氏族内での相互扶助

 森の民シビル族……ハンテ人やマンシ人「今のハンティ族、マンシ族」

現在のシベリアCибирьの語源となった言葉である。

イスラーム圏の史料ではイビル・シビルなど、シビル単独では

あまり表れない。シビル(カシリク、イスケルとも言う)という町

はモンゴル帝国時代以前からあった。

シビルはハザールを含むサビルという部族集団に由来するとの説があり、

サビルはすでに6世紀にはビザンツ帝国の歴史家によって記録されている。

西シベリアにはハンテ人やマンシ人といったマジャル語「ハンガリー語」

の近縁のウラル語系話者や、シベリア・タタール人のようなテュルク語

話者化した先住民が現存している。


 13世紀初めに、チンギス・カンのモンゴル帝国は、シベリアの諸部族を征服した。

地元の支配者の一人、タイブガは、自分の土地の生活と幸福を犠牲にして、

チンギス・カンに服従することに同意した。

 タイブガは、自領でチンギス・カンのために貢物を集め始めるとともに、

都市チンギ・トゥラを築いた。チンギ・トゥラは、チュメニ・ハン国の首都だ。

チュメニ・ハン国は、我々の知る限り、シベリア最初の国家である。


 チンギス・カンは、亡くなる少し前の1224年に、

自分の所有物を息子たちに分けた。

将来のジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の領域は、

未来のチュメニ・ハン国の地を含めて、「ウルス」として、

つまり貢物を得る土地として、チンギス・カンの長男ジョチに与えられた。

ジョチの死後は、チンギス・カンの孫でジョチの五男シバンに与えられる。

シバンはシバン・ウルスを興し、支配した。

ジョチ・ウルス期にはトボル河とイルティシュ河の合流地点周辺に都市が建設され、

なかでもトゥラ河畔に建てられた中心都市チンギ・トゥラはチュメン

「万の意。ロシア語ではチュメニと発音される」とも呼ばれた。

すなわち、西シベリアには万人隊が設置され、この中心地自体が

万と呼称されたのである。ジョチ・ウルス期にテュルク化・イスラーム化が進むが、

都市に造幣所が置かれることはなかった。


 ジョチ・ウルスはオビ河流域のコダ「ハンテ人・マンシ人」や

ペガヤ・オルダПегаяОрдаのような集団

「セリクープ人やケット人にあたるとされる」

から毛皮を取り立てていた。ジョチ・ウルス時代のチュメンは

毛皮の集積地、交易拠点として栄えていたと考えられる。


 13世紀末に強大なウズベク・ハンがジョチ・ウルスの権力を握った。

このとき、ウズベク・ハンはこのウルスに

――それは既にチュメニと呼ばれていた――独立と自治を安堵した。


 トゥーヴァ族「現在のトゥーヴァ共和国」は、夏は標高の高い所に、

冬は標高の低い森に移動する。

移動の回数は、その年の気候によつて違うが、

だいたい6回から10回移動する。

移動する距離・範囲は,トゥーヴァの人たちは、

半径約150キロ、1回の移動距離は、

家畜の頭にもよるが20~30キロぐらいである。


★年間スケジュール

9月~11月はじめ……1才トナカイの去勢,トナカイの交尾

11月~2月中旬……狩りをする「獲物の種類によっては1年を通して」

2月……特別な仕事はない

3月~4月……自然に落ちた角拾い

5月……トナカイの出産「5月15日~6月10日頃まで」

6月~7月……乳製品を作る

6月中旬~7月……トナカイの角切り

8月……特別な仕事はない

搾乳6月~7月,1日2~4回搾乳,1頭につき1回約200g

8月~9月,1日1~2回搾乳,1頭につき1回約100g

 狩りによく出かける人は、飼養トナカイが少ない森の人と、

村に住む狩り専門の人たちである。

その人たちは、1年中狩りをして、生計を立てている。

主な獲物は、クロテン、マヌルネコ、クマ、リス、シカ、

カワウソ、ヘラジカ、トナカイ、イノシシ、ノロジカ、川魚である。

黒貂くろてんの皮1枚で1家族が1ヶ月生活できる。

リスなら100枚必要になる。トナカイ遊牧専門の人たちの場合は

1家族が1ヶ月生活するためにはトナカイが40頭必要だと言われている。

★アドリアン14歳

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