冬の恋

 週に五日、同じ電車に乗る。会社にはヒステリックに怒鳴る上司や、上の指示がないと動こうとしない部下が私を待っている。電車の窓からは、ビルがひしめき合って窮屈そうだ。そんな私の代わり映えのない日々。しかしそれは唐突に終わりを迎えることとなった。熊のような大男が電車に乗り込んできたのだ。黒のロングコートを着て、肩は雪が溶けて湿っていた。日本には珍しく体格のいい男に、周囲はそっと距離を置く。それでも男は申し訳なさそうに眉を下げると鞄を両手で抱え、身を小さくした。か、可愛い……。それは初めての感情だった。身長は190㎝を超える大男に可愛いという感情を抱くとは思わなかった。私は、居心地の悪そうに縮こまる大男にくぎ付けになってしまった。

 男はどうやら毎朝同じ電車に乗るようだった。彼の身体に見合わない小さな鞄にはタグが付けられており、彼が『熊田 一郎』という名前だと知った。熊田さんは今日も身を縮めるように乗車する。乗車時間は約三十分。その間ずっと外を眺めていた。そのつぶらな瞳をキラキラとさせて。最近上京してきたのだろうか?このビルの森を見て何が楽しいのだろう。私も彼を見習って窓を見てみる。雪が降っていること以外は相変わらずの景色がそこに広がっていた。






「くま〇ン!」


 某九州にある県のゆるキャラの名前が呼ばれる。何事かと思って声の方を見ると、背の小さな男性が熊田さんの背中を叩いた。熊田さんは振り返って、いたいよ宇佐見、と眉を下げた。どうやら知り合いのようだ。それにしても、くま○ンとは。彼に似合いすぎる渾名だなあと心の中で笑った。

 熊田さんは知人の宇佐見さんと楽しそうに話している。その時、熊田さんの笑顔を初めて見た。目尻に皺ができて、くしゃっとした笑顔。私の胸がぎゅっと一掴みされた。私は熊田さんのことが好きになっていたのだった。けれど、臆病な私は見ていることしかできなかった。

 熊田さんをこっそりと車内で見つめる日々が続いた。そうこうしているうちに、寒い冬が終わって春がやって来た。熊田さんの黒のコートが春用のベージュのコートへと変わっていた。いつも手袋をしていた彼の手が露わになる。ごつごつと骨張った男らしい指。そして薬指に輝く指輪。

 春の穏やかな陽の光を浴びて光っているそれは、熊田さんの瞳と重なった。彼は、窓の外を眺めながら愛しい人を思い出していたのだろうか。毎日毎日、飽きることなく……。

 帰り道、桜並木を通る。散っていく桜の花びら。私の恋心も散ってしまったよ。あーあ、誰かいい人いないかなあ。友達にいい人紹介してもらおうか。そんなことを思いながら帰路に着くのだった。


Fin.

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