通り魔を今ぶん殴れ

 小路。狭路。隘路。溢れんばかりの商品が詰め込まれた棚の壁はどこまで行っても際限なく続き、能天気なBGMと悪趣味な色合いの照明は影を濃くするばかりで何の気休めにも目印にもならない。通り魔は愚直かつ確実に工藤たちを追い、背後で八つ当たりのように叩き落される商品の落下音が迫りくる脅威をまざまざと認識させる。


 角を曲がろうとして、目前に唐突に表れた人影に抱えられた生首がひゅッと息を呑んだ。回り込まれたか第三者かまた違う種類の厄介かと追い詰められた脳が躊躇した一瞬が致命的だった。もつれた足と視界を見誤った頭は当然のようにバランスを崩して、人影に突っ込むようにして工藤とエンは勢いよく転んだ。


「にん――人形とかふざけんなよクソ店! 潰れろ!」


 下敷きにした人影の正体――安っぽいメイド衣装のマネキンに対して凄まじい声でエンが悪態を叫ぶが、あまりの勢いと追い詰められた状況からすっ転んだせいで工藤もエンの胴体ももろに衝撃を受けて立ち上がれずにいる。胴体はそれでも最後の悪あがきのように最低限突っ込めるように構えているが、肝心の頭を抱えた工藤が完全に息を切らしているせいで立ち直れていない。辛うじて頭が追手の方を向いてこそいるが、頭を掲げたまま、工藤は吐き戻す寸前のような咳き込み方をしている。

 異形は角に蹲ったまま動こうとしない工藤たちを認識してもなお駆け寄ろうともせずに――しかしそれでも確実に距離を縮めながら、景気づけのように棚の商品を薙ぎ落としてゆっくりと近づいてくる。


 あと数歩。落とされた商品が跳ね転がって工藤の手元に届く。ぶんと脅すように振られた刃の音が喧しいBGMの中でも浮き上がって聞こえる。構えられた大鉈のぎらつきと猥雑な色の照明で塗り潰された辻斬りの顔に、笑みのような歪みが浮かんでいるのが見て取れる距離まで踏み込まれた。


 鈍い打撃音が響き、辻斬りの頭が真横に傾く。そのままその体全体が一瞬よろめく。


「エン!」


 聞き覚えのある声がした。瞬間弾かれたように首の無い胴体が突進し、真正面から辻斬りに激突する。再び正面から鳩尾に胴体を丸ごと叩き込まれた辻斬りが動きを止めた一瞬、その肩口に背後からぬうと手と酒瓶が掛かって一気に床に引き倒される。

 そのまま倒れた辻斬りの上に、肩口をきっちりと両膝で突き砕くようにしてエンが飛び乗る。ぼぐんと鈍くて嫌な音が聞こえて、工藤は耳を塞ごうとするも両手が生首を抱えていることを思い出して泣きそうな顔になる。

 エンは馬乗りになったまま闇雲に辻斬りの頭部あたりを殴りつけているようで、時折いい当たり方をするのか、いやに重い音が聞こえる。カガはビール瓶――先程背後から辻斬りの脳天を殴り倒した凶器――を片腕に提げて、面白くもなさそうな顔で大鉈を握ったままの辻斬りの右肘を思い切り踏みつける。水気のある鈍い音がして、痙攣するように震えた掌が開いて大鉈が床に落ちた。カガは浮かれた柄シャツの胸元から一枚の札のようなものを取り出して、転がった鉈に重ねてから爪先で踏み躙るようにして貼り付けた。


「止めない――止めないんですか、カガさん」

「嫌だね。危ねえもんこの状態でちょっかい出すの」


 すげえ面してるぞと生首を見るカガの視線に気づいて、工藤は先程から唸るような呼吸をしている頭部の表情だけは絶対に視界に入らないように姿勢を正す。カガはのそりと空になった商品棚に寄り掛かりながら、手品のように取り出した煙草を咥えて火を点ける。そのまま盛大に煙を噴き上げて、つまらなそうに片目を眇めた。


「……いいんですか店内で喫煙」

「それどころじゃねえだろこの状況じゃあ……一応済んだからよ、一服ぐらいはいれてもバチ当たんねえだろ」


 店の連中も気付いたみてえだしと顔を顰めてカガが呟いて、その言葉に工藤はふと周囲がひどく騒々しくなっていることに気付く。


「札貼ったからよ、アレ辻斬りが何かしてたかもしれねえがチャラになったんだろ。ようよう店の連中がお出ましだ」


 喧しいBGMを掻き消すように鳴り響くベルの音。ばたばたと慌ただしく複数の足音が怒号交じりに近づいてくる。

 工藤はひたすらに喧しい状況を理解するのを諦めて、立ち上る煙草の煙を眺めた。

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