第19話  最強のパートナー



土門は、江上の元を訪れたその夜に、遥子に会うべくマンションを訪れた。

あの、遥子から告白を受けた夜からやり直すつもりだった。

自分が間違えていたとしたら、あの時だ。

悲しい告白をしてくれた彼女を抱きしめてあげることすらせずに、立ち去ってしまった。


遥子のマンション前の公園横にバイクを止めて、遥子の帰りを待った。

事務所の明かりが消えていたのは確認してきた。

遥子の部屋の見当はついているが、まだ明かりが灯っていない。

なので、ここで彼女を待つことにした。

11月も中を過ぎると夜の冷え込みが強くなる。

土門は、ダウンのジャケットのポケットに両手を突っ込みバイクに寄りかかりながら遥子を待った。


三十分ほど待っていると、公園の向こうの国道方向から見覚えのあるシルエットがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

モカベージュのキルト仕立てのコートに黒いパンツ、ショートブーツでコツコツと歩いて来た遥子に、バイクから離れると、声をかける。

「こんばんは。お疲れ様です。」

「……こんばんは。」

遥子は土門を見ることなく、挨拶だけを告げて、横を通り過ぎて行く。

冷たくあしらわれるだろうとの予想はしていたが、視線すら投げてくれなかったことに土門は慌てて追いかける。

「遥子さん!!」

だが、遥子は振り返るどころか歩みを止める気配もなかった。

土門は遥子を追い越し、強引に彼女の前に回り込んだ。

「待って下さい!!お願いだから、待って!」

無理矢理歩みを止められ、立ち塞がれた遥子は、土門を見ることなく

「……どいて。」

感情の無い声でそう言った。

土門は、想像以上に冷たい彼女の態度に天を仰いだ。

そして、後ろへ一歩下がると、深々と頭を下げた。

「ごめん!本当にごめん!」

遥子は、そんな土門を睨むわけでもなく、冷めた表情で見つめた後、

「気が済んだ?もういいかしら?」

そう告げると、再び歩き出した。

土門は横をすり抜けようとした遥子の腕を慌てて掴んだ。

「遥子さん!僕はどうすればいい!?」

片腕を掴まれ、無理矢理動きを止められた遥子は、初めて土門を睨んだ。

「……何もしなくていい。このままここから去って。」

「去れるわけがない!貴女に会いに来たんだから。」

遥子は掴まれている腕をゆっくり引き抜くと、

「私は、個人的には二度と会いたくないわ。会うのは事務所だけでいい。貴方が1日も早く仕事をマスターしてくれればそれで十分よ。」

淡々とそう答えた。

土門はあまりにも頑なな遥子の態度に頭をかきむしった。

「無茶苦茶なことばっかり言う人だなぁ!!何を勝手に一人で終わらそうとしてるんだ!?」

「……終わらすですって?何を?始まってもないものを終わらせるわけないでしょう?」

土門は、あらためて遥子の両肩に手を置いて顔を覗き込む。

「僕は遥子さんが好きで、遥子さんも僕を好きだと言ってくれた。キスも交わした。両想いかと聞いた時も貴女はそうだと言ってくれた。何を以て始まっていないと?」

遥子は、間近で覗き込む土門の目線から顔を背けた。

「……後悔してるわ。貴方を好きになったことを……悔やんでる。痛い目にあってわかっていたはずなのに、また心を許そうとしたことを、心底悔やんでるのよ!」

遥子の声は小さく震えた。

土門は、ゆっくりとした動作で優しく遥子を抱き寄せた。

抗おうとする彼女を優しい強さでしっかりと抱きしめると、髪に口を寄せ、その強張っている背中をポンポンと叩く。

「大丈夫、悔やまなくていい。僕はどこにもいかない。貴女を好きなこの想いは消えはしない。何があっても傍にいる。」

「嘘つき!!」

「嘘はついてない。」

土門は首を振りながら遥子の顔を見ると、今にも泣きそうな悲しげな顔と出会った。

「嘘つきは嫌い!!貴方は私を傷つけないって約束したじゃない!でも!私は傷ついたわ!私が過去を告白したとたん……貴方は距離を空けた……」

そこで遥子の声が大きく震えた。

土門は遥子の頭ごとぐしゃっと抱きしめた。

「あぁ……そうじゃない!そうじゃないんだ。でも、僕が浅はかだった、ごめん。あの時にこうして抱きしめるべきだったのに……」

遥子を抱きしめたまま、土門はゆっくり語り始める。

「遥子さん、聞いて。あの時、遥子さんの過去の話を聞いて、おそらく僕の中に当時の遥子さんの痛みや悔しさ、怒り、悲しみ……そういう感情が入り込んできて、抑えようのない怒りに僕は動揺した。貴女は長い時間を掛けて必死に乗り越えてきたというのに……僕には受け止める器がなくて、のみ込まれてしまった……」

土門の言葉を受けて、強張っていた遥子の体から力が抜けていく。

「当時の遥子さんの感情に同化したんだと……思う。その動揺と怒りを貴女に向けないようにすることに必死だった。それこそ、貴女を傷つけたくなくて必死だったんだ。」

あの夜を境に始まったギクシャクの真意を悟り、遥子はためらいがちに土門の腰に手を回し、そっと自ら抱きついた。

抱きついた途端に、堪えていた涙が溢れる。

「……遥子、ごめん。」

土門が初めて自分の名前を呼び捨てで呼んだ。

「……馬鹿!駿平の…馬鹿!」

「うん、馬鹿だった。ごめんよ」

「駿平が……何に怒ってるのかわからなかった。きっと……引かれたんだと……とんでもない女に関わったと……」

声を詰まらせ、泣きながら話す遥子を軽く揺すった。

「そんなわけない!遥子をそんな風に思うはずがない!むしろ、自分の最愛の人を苦しめた全ての人間に復讐したいくらいの怒りだったんだから……」

「……駿平……」

遥子が土門の顔を見つめた。

「私は、もう大丈夫。誰も恨んでないし、誰にも怒ってないの。だから、貴方が私の為の怒りに苦しんで欲しくない。お願いだから……」

土門は、優しく微笑み、頷いた。

「うん、わかってる。怒りはちゃんと解放出来たよ、もう大丈夫。君の中に残る痛みも後悔も、丸ごと引き受けるよ。ずっと一緒だ。」

遥子は、腰に回していた手でゆっくり土門の両頬をそっと包んだ。

「……愛してるわ、駿平……」

唇、眼、鼻とゆっくり愛おしげに触れていく。

「最初は、とても似ていると思った。驚いたし、避けたかったし、関わるのは危険だと思ったの。でも……駿平は駿平だってすぐに気づいた。口唇も、鼻も、違ってた。眼だって、貴方は奥二重で、僅かに茶色でまつ毛も長くて……」

ポロポロと涙を零しながら切ない瞳で見つめる遥子に、土門の瞳まで吊られて潤み出した。

「……いつ、気づいてくれたんだい?僕が僕だって……」

「たぶん……初めて駿平に抱きしめられた時かな……」

「それからずっと……僕は僕として見ていてくれたの?」

遥子は、頷きながら、少し困ったように笑った。

「でも、それからがとても困ったの。貴方は貴方だと認めた瞬間から……駿平の距離感の詰め方や、迷いの無い視線とか、ストレート過ぎる物の言い方とか、どんどん苦手意識が増えたわ。」

土門は遥子の鼻の頭に小さくキスをした。

「それはきっと、僕を好きにならない為の葛藤だったんだね?」

「今から思えば、そうだったんでしょうね。もう二度と誰かを好きになるとは思ってなかったから……」

「でも、なった。こんなに好きになってくれた。」

土門はこの上ない優しい微笑みで遥子の口唇を塞いだ。

遥子もこの数日間の淋しさを埋めるようにキスを返しながら土門の首にしがみついた。

それは、長く辛い呪縛からようやく解放された瞬間でもあった。



「……う……ん……」

翌朝、目覚ましが鳴るかなり前に、いつもと違う違和感で目覚める。

目を開けると、少し丸くなるようにすぐ隣で寝息を立てている土門が目の前に居た。

( うわっ!)

思わず息を飲んだ瞬間に、昨夜の記憶が一気に甦り、遥子は真っ赤になって再び無理矢理目を閉じた。

成るべくして結ばれた二人ではあったが……

身体中に残る生々しい熱い感覚に、全身の血流が音を立てて流れるような感覚に陥った。

もちろん、初めてでもないが……最後に誰かとそうなったことを思い出すのも難しいくらい前のこと過ぎて、戸惑いが強い。

土門の口唇の感触、肌の熱さ、指の感触……甦るほどに顔から火が出るようだ。

「……おはよう…」

固く目を閉じていると、土門がぼそっと囁いた。

遥子は裸の肩を隠すように布団を引っ張り上げながら

「……お、おはよう…」

と返した。恥ずかしくて彼の顔が見れないでいた。

「顔が真っ赤だけど…どうしたの?」

土門が肩肘をつきながら、不思議そうに少し上から覗き込む。

「なんでもない……」

思わず横を向いて答えたが、あっという間に土門に頭の下に腕を差し込まれ、肩を抱かれて向き合わされてしまう。

「……ひょっとして照れてるの?」

うん、と言う代わりに土門の裸の胸に顔を埋めた。

「ヤバイ……遥子、可愛い過ぎる」

土門は遥子の肩にキスをしながら抱きしめる。

「もう一度、始めたくなった……」

土門のキスが首筋に移り熱を帯びたのを感じ取った遥子は、慌てて止めた。

「駄目よ!駄目、二人とも仕事よ!」

土門は昨夜に覚えた遥子の敏感な処を探し当てるように口唇を移動させていく。

そのまま落ちてしまいたくなる感覚を引き剥がすように、遥子は全力で土門のキスを止めた。

「駄目だってば!こらっ!駿平!」

両腕で拒否された土門は恨めしそうに遥子を見た。

「それは、DR命令?」

「そうよ、DR命令よ。」

「……ちぇっ!」

土門は仰向けに倒れぼやいた。

拗ねる土門にクスッと笑いながら、その頬にキスをした。

「これから先、いくらでも時間はあるわ。ずっと一緒なんでしょ?」

「そうだね、ずっと一緒だ。」

土門は嬉しそうな笑みを返した。


遥子主体で、二人は約束事を決めた。

二人の関係性を皆には当面知らせないこと。

事務所ではあくまでもDRと従業員としてけじめを着けること。

今後、喧嘩したりすることがあったとしても、その感情を仕事には持ち込まないように努力すること。


「皆に、一つ報告とお願いがあります。」

ある日、遥子は、皆が揃っている時に集合してもらった。

「年内は、カレンダーやら学校関係のパンフレット作成が主な作業になります。来年度は、もう少し文芸を増やせたらいいと思っています。そして……来年は私も新たな挑戦をしようと考えています。」

岩橋は、少し小首を傾げ、桂木と土門は、軽く頷いた。

「来年は、私自らライターに挑戦します。一応、書きたい物のコンセプトは有るのですが、年明け早々企画会議を開いて皆さんにも案を出して貰おうと思っています。どうか力を貸して下さい!宜しくお願いします。」

遥子が皆に頭を下げると、岩橋が興奮気味に拍手をした。

「凄いです!うちからライター、もしくはエッセイストが誕生するんですね!」

遥子は、嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。でも、成功するもしないも皆の企画力にもかかってくるから、女史も企画案、宜しくね。」

「え?……私もですか?」

岩橋がキョトンと尋ねると、桂木が

「当然!」

と答えた。

遥子も頷きながら、

「来年からは、女史にも企画に関わって貰おうと考えています。」

「そして!」

土門が口を挟んだ。

「エッセイに欠かせない写真は、僕の腕にかかってますね!任せて下さい!!」

得意気に発言した土門に向かって、遥子は目を細めてニヤリと笑った。

「カメラマンは……まだ決めてないわ。ひょっとしたら募集かけるかもしれないし……」

「な、何でですか!?募集って!?有り得ませんよ!!」

慌てて騒ぎだした土門に遥子が笑いを噛み殺していると、桂木が土門の肩を掴んだ。

「小僧、落ち着け!時田DRの冗談だから!」

顔を背けて笑いを堪えている遥子の姿に、土門はムッとして押し黙った。

「大丈夫だよ、お前と時田DRはいいコンビだ。」

桂木のフォローに、岩橋はそうそうと頷いた。

土門は遥子を真っ直ぐ見つめながら、ニヤリと笑う。

「健さん、生ぬるいですよ。僕が目指しているのは、最強のパートナーですから!!」





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