4th Chart:或る航空参謀の寸評

 



「お待ちしておりました!航空参謀!」


 鯱張った敬礼を送る内火艇の艇長に「ご苦労」と必要最低限の答礼を返し、10mに満たないボートに飛び乗る。直後、咳き込んだような音と共にエンジンが回りだし、細かな振動と航跡を残して、『金剛』三号艇は漣を纏いながら桟橋から離れた。


 ――――化石は化石らしく、石になっておれ!


 赤く燃える海から吹き付けてくる海風を頬に浴びながら、先ほど呉鎮守府長官公室に響いた上官――黒島大佐の怒声と、それに付随していた数々の言葉を思い返す。

 正直、主席参謀の抗議それ自体が間違っているとは思えない。

 航空主兵に舵を切った帝国海軍にとって、主力となるのは航空機とそのパイロットだ。コンマ一秒以下の中で生死が別たれる空中戦において、練度は敵に勝利する以前に、生き残るための必要不可欠な要素だ。それと同様に、もしくはそれ以上に搭乗員の士気も無視できない。

 過剰な自信は慢心を産み、慢心は重大な過誤を産む。しかし、かといって自信を失い意気消沈した軍隊など烏合の集にも劣る。重要なのはバランスだ。その点から言えば、昨日の演習は母艦航空隊の搭乗員に対して過剰に過ぎた感が有る。


 しかし―――


 ゆらゆらと左右に揺れる内火艇の甲板で腕を組み、瞑目する。

 脳裏をよぎるのは真っ青な海面に描かれた鮮烈な純白の円弧。

 九九艦爆が白銀の翼を翻し蒼空から紺碧へ逆落としに駆けて行った直後、次々と咲き誇る白の瀑布。海面に目の様な紋様を遺し数十mにまで突き上げられた海水が、重力を思い出したかのように崩れていく。

 海上に出現した白い巨木の林、水雷艇であれば容易に転覆するであろう喧騒を、ずんぐりとした鈍色の艦が我が物顔で蹂躙していく。装甲が張られた甲板に降りかかるのは、名残惜し気な飛沫だけであり、直撃弾の閃光が走ることは無い。

 急降下爆撃隊の襲撃と時を同じくして、波濤の合間をすり抜けながら突入する深緑の九七艦攻の腹からは青白い槍が伸びていく。海中に解き放たれ、二重反転プロペラを駆動させた航空魚雷が、沸き立った海面を縦横に切り裂き迫っていく。

 両舷から同時に投げられた投網に、鈍色の艦は既に対応を終えていた。鋭利なクリッパー型の艦首が不意に振られ、二万トンの艦体に押し潰された波が派手に炸裂し空に打ち上げられる。

主砲塔全てを下ろし不格好な輸送船じみた姿をさらす標的艦が、その一時だけは往時の姿を思い出したかのように、上部構造物を傾けながら急転舵を開始した。

水面下に迫る雷跡の白条、回る艦首が描き出す海上の白刃。訓練用であるため、通常よりもはるかに手前で機関を停止した魚雷が浮かび上がるころには、『摂津』は艦の針路を魚雷と正対させていた。両者の軸線を比較する限り、命中判定を出すことはどう贔屓目に見ても不可能と言う位置関係で。

 参加航空機数、九九式艦上爆撃機25機、九七式艦上攻撃機29機。投下弾数、演習用爆弾53発、訓練用魚雷15本。命中弾、ゼロ。並の戦艦であれば2,3隻は沈むであろう空襲を、ずんぐりとした旧式戦艦が巧みにすり抜けていく様子は出来の悪い冗談のようにも見えたものだ。

 演習の成果を確認するため、九七艦攻に同乗して一部始終を見下ろしていなければ到底信じらず、今回のような行動はとらなかっただろう。

 一航艦の航空参謀の立場も利用して黒島主席参謀の殴り込みに便乗したのは、あの艦の艦長に個人的な興味が沸いたが故だった。


有瀬一春アリセカズトキ海軍中佐、か」


 微かに残すあどけなさの中に強固な意志の通った青年の姿を思い出す。

 並みの若手将校ならば委縮して当然の黒島大佐の叱責を柳に風と受け流したのは、飽和攻撃を受けながらも精緻な操艦に徹しきった豪胆さ故だろうか。

 怒声を飛ばす高級将校を相手に、ピクリとも表情を動かさなかった様が、『黄金仮面』とも揶揄される最近着任した参謀長の姿と重なった。


 ――空母はその性質上、如何しても防御力を犠牲にせねばならない、沈みやすい艦だ。ヤツのような操艦が出来る艦長を一人でも多く引き入れたいが……今更無理な話か


 顎をさすりつつ思案し、たどり着く結論に軽く鼻を鳴らす。

 残念ながら、有瀬中佐は航空派から毛嫌いされている。

 無論、最初からそうであったわけでは無く、むしろ海兵に入学当初、優秀な空母艦長を欲する航空派は積極的なアプローチを掛けていた。

 影に日向に航空派に転向するよう圧力をかけてはいたものの、砲術の道へと進むことを表明した瞬間に手のひら返しをし、期待余って憎さ百倍と言ったところだろう。

 感応金属を利用した艦の掌握には、個人が先天的に備えるが大きくかかわってくる。適正は高い順に【甲】【乙】【丙】【丁】に大別されるが、砲術長や機関長などの各科長に限定すれば、適正はあまり関係が無い。

 この適正が死活問題となるのは艦長だ。

 概ね艦の総トン数が大きくなるにつれ高い適正が必要となり、空母や戦艦などの大型の主力艦を十全に掌握するためには甲種適正が要求される。

 一応、適正以上の艦の掌握も不可能では無いが効率が極端に低下する。自分も一度試したことがあが、一つ上の適性の艦を掌握しようとするときでも酷く反応が鈍く感じた。体感だが、性能の5割も引き出せていなかったに違いない。

 さらに悪いことに、艦長に適性の低いモノを起用してしまうと、他の科長がどれほどその道の名手であっても艦の戦闘能力の低下は避けられなかった。

 よって、帝国海軍では原則として将校を適正外の配置には付けないと定めてはいるが、甲種適正者の絶対数はもとより限られているため、人材の確保が必然問題となってくる。

 資源さえあれば短期間で艦を建造できる遺産工廠をもってしても、有能な艦長は作れない。

 そのため帝国海軍は甲種適正者を血眼になって探し出し、これはという人材を海軍兵学校へ送り込んで英才教育を施していった。

 有瀬中佐のような俗に言う特急士官――卒業と同時に大尉に任官し、翌年には佐官が保証される海軍兵学校特種卒業者はこういった背景を元に産まれたのだ。

 もっとも、若くして佐官を拝命する彼らは出世の本流に居るわけではない。彼らに求められるのは、あくまでも軍艦と言うユニットを戦力として計上させる役割であり、指揮官の手足となって命令を遂行する能力にすぎない。

 故に、特急士官はどれほど武勲を上げようと、艦長と言う枠組みから上に上ることは無い。旗艦の轟沈などにより一時的に指揮を取る場合は有るが、それを本職とすることは無いのだ。

 それを嫌って、特種では無く通常の課程を選択する軍人が圧倒的に多い。むしろ、海軍での栄達に興味が無く、ただ最短で艦長に成りたいという輩自体が稀と言える。

 そして、大型艦の艦長と言う役職が天性の才能に支えられたある種の職人を要する以上、艦長の役職はある意味で航空機搭乗員よりも実力主義の世界だ。艦長一人の技量に数百人、時には千人以上の将兵の命がかかっているのだから当然と言える。

 希少な甲種適正に海軍軍人としての有能さが加わった新進気鋭の若手士官。苦労して花形の連合艦隊、一航艦の艦長に就任した者達にとっては、いつ寝首をかかれるか気が気でなかっただろう。

 有瀬中佐が砲術かつ特急将校としての道を歩むと知って胸を撫でおろしたのは一人や二人ではあるまい。

 鉄砲屋を片端から海軍中枢より追い出した航空派にとって、どれほど有能であっても鉄砲屋の艦長も指揮官も要らない。

 とは言うものの、航空派にとって彼の能力に未練はあったようで任官後の針路へも盛大に干渉した。有瀬中佐が任官直後から最前線の海上護衛総隊へ配属されたのは、そんな生臭い蠢動の結果だ。

 事実上連合艦隊からはじき出され、燻ぶっている砲術畑の将校の姿や、交戦するごとに傷つく海上護衛隊の現状を否と言うほど認識させ。さらには陸上航空隊による一方的な救援を目の前で見せつける。砲術学校を出た後は、爆撃標的艦に送り、航空機に対する艦艇の無力さを実感させようとした。

 一士官に対しては過剰とも言えるほどの干渉の果てが、先日の一航艦の大惨敗だ。

 有瀬中佐を引き入れようとコツコツ頑張ってきた人事局にとっては頭が痛いことこの上ない。今回の件を見る限り、黒島大佐もその一人だったようだ。

 ふと、空気の漏れるような音が耳に届く。はて、と訝し気に思って口元に手をやると微かに口角が上がっていた。


 ――笑っているのか?俺が


 知らず知らずのうちに上がっていたらしい口角は、自身が認識した直後に真一文字に戻る。無意識のうちに微笑を浮かべてしまうとは、と呆れが湧き出したが何故か悪い気はしなかった。

 何処か陰湿さを含んだ人事局のやり口に無意識下で反感を持っていたのかもしれない。悪意をもって降りかかる理不尽を、自分の能力で打ち破った姿に感嘆は有れど不快感が無いのはその証拠だろう。

 旧式艦で、あれ程動けるのであれば、新鋭艦ならどれほどのモノになるのだろう。もし仮に、その新鋭艦が、強固な装甲に身を包んだ戦艦であったのなら。航空攻撃を悉く躱し、運よく当てた数発の直撃弾を無効化する艦――疑似的な不沈艦とすら呼べるのではないか。


「しかし、いずれ貴様も気づくことになる。戦艦など、屑鉄の城塞なのだと」


 それでも自分は戦艦など全て空母に改装するか、解体して工作機械用の鋼材にしてしまえという考えは全く持って変わってはいない。

 先日の演習を経たとしても、水上艦は航空機に対して無力だという確信が揺らぐことは無い。

 柱島泊地に居並び背の高い影を海面に落とす4つの城郭――『長門』『陸奥』『扶桑』『山城』に、再度確認するようにそう宣言した後、航空参謀は正面に見えてきた海鷲たちの巣へ視線を向ける。

 かつては巡洋戦艦として海を駆けた艦上には、長門型のような仏塔パゴダを彷彿とさせるマストは無く、簡素な島型艦橋の他には何もない。


 金剛型航空母艦1番艦『金剛』


 基準排水量 30,100 t、全長 225 m、全幅 31 m、最高速力 31.2 kt。零式艦上戦闘機、九九式艦上爆撃機及び九七式艦上攻撃機を18機ずつ、計54機を常用として搭載し、補用機として12機を備える。連合艦隊最強の第一航空艦隊、第一航空戦隊に所属する文字通りの最精鋭であり、この金剛型4隻の空母への改装を以て帝国海軍は航空主兵へと大きく舵を切った、新時代の象徴的な存在でもある。

 舷側に垂らされたラッタルに第一航空艦隊航空甲参謀――源田稔ゲンダミノル中佐を乗せた内火艇は静かに接近していった。



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