第2話 アーカイブされる日々 episode2

「ご馳走さん。あ――――食ったわぁ。満足満足」


「それは良かった。お茶にする? それとも珈琲がいい?」

「珈琲がいいかな」

「分かった。今淹れるね」


「ああわりぃ」

心地いい。もし、スクーターがあのままとまる事もなく家に帰っていれば、暗く冷え切った家に俺一人がただ存在するだけだっただろう。

誰もいない家。

親父はめったな事がない限り家には帰ってこない。

ずっと俺は一人で暮らしてきた。


疲れ切った躰を引きずるように帰宅して、ほんのりと淡い光が家から差し込むこの安ど感をどこかで憧れていた。


「ねぇ郁美どうすんのよ」

麻奈美は珈琲を入れながら俺に問いかけた。


「どうするって何が?」

「スクーター動かないんでしょ。明日学校、歩いていくの?」

「うっ、しょうがねぇだろ。気が向かなきゃ自主休校にでもするさ」

「自主休校って、それ『さぼり』何でしょ」

「いや、自主休校だ」

「駄目だよそんなの。でなくたって郁美出席日数危ないんでしょ」

無言……返す言葉がございません。


「だったら私迎えに行くよ」

「別にいいよ」

「だぁ―め! なんだかもう明日学校来ないの、目に見えてるもん。何だったら今晩泊っていく?」


「泊まっていく?」 


物凄く魅力的な言葉だ。この温かさに満腹感。

実際もう動きたくはねぇ。

外なんか出たくねぇ。


「……ど、どうしようかな」迷う俺。

幼馴染のクラスメイトの女子の家。


「お布団敷くよ。私の部屋に」

私の部屋に……。


「な、何でお前の部屋なんだよ」

「何か変? 高校入ってから郁美お泊りしなくなったじゃないの。中学の時だって一緒に寝ていたのに」

「だってそれは、そのなんだ。いくら幼馴染だって一応俺たち男と女じゃねぇか。その……。その気がなくたってもしかしてって言う間違いがおこっちまったら」


麻奈美はずんと、俺の顔に自分の顔を近づけ

「ふぅ――ん、郁美そんな事考えていたのぉ?」

「べ、別にそんなじゃねぇけど」

「ふぅ―ン。そうなんだ。郁美もようやっと目覚めて来たってとこなんだ」

「なんだよその目覚めて来たって言うのは」

「私を女として見てくれ始めたって言う事」


女。確かに麻奈美は女だ。だがそれを俺は異性と言う概念から外している。

とはいえ同性だとも思っていない。

幼馴染はいつまでたっても俺の中では変わることのない幼馴染のままだからだ。


「ただいまだぁ!!」

玄関から野太い声が聞こえて来た。


「あ、お父さん帰って来た」

その声の主はそのまま俺たちがいる部屋へとやってきて

「なんだ郁美、来てたのか」

あたかも自分の息子がひょっこり帰っているかの様に、そっけない言葉を俺に向けて言う。


「ちわっす。お邪魔しています」

「珍しいじゃねぇかどうしたんだ。最近あんまり家には入ろうとしねぇ奴がよ。くつろいでしまってやがるとはな」

「あははは」と苦笑いをして返した。


そんな俺を麻奈美はじっと見つめている。

「で、どうしたんだ。なんか俺を待っていた雰囲気ありありなんだが、何か報告でもあるのかお前ら」


「ん、もうお父さんたら、サッシがいいんだから。実はね私、妊娠したのぉ!」


熊の様なガタイに坊主頭。左の頬には鋭い刃物で切られた様な切り傷がある。

一見。何処の誰が見てこりゃヤクザだ。

どこぞの組の親分て呼ばれる存在の様に見える。しかもその眼光は一直線に向けられると、まるでトラにでも睨まれているかのように身動きが取れなくなっちまう。


正直おっかねぇ……。

で、そんなおやっさんに麻奈美はとんでもねぇことを平然と言ってしまった。


「なぁにぃ!! 妊娠しただとぉお!! 相手は郁美お前か」

あの鋭い眼光が俺に向けられる。


「いや、いや……。その、なんだ……」

「うんうん、そうだよ。そうならいいなって言う話なんだけど」

「へっ?」

「なんだ、まだだったのか。まったくよぉ。ぬか喜びさせやがって」

「へっ!」

「ごめんねぇお父さん。まだ努力が足りなくてさァ」


努力って……。何?


「こればかりは授かり物だ。せいぜい頑張るんだな郁美」

「えええええっとおやっさん。俺そんな事……」

その先を言いかけた時、ぐっと麻奈美の睨んだ顔が目に入った。


一体此奴らどんな事をいつも話してんだ。


「ところでいったいどうしたんだ本当に何かあったんだろ」

ようやく本題に入れそうだ。


「ああ、スクーターついに逝ってしまったんだよ」

「そうか逝っちまったか。でもよくもった方だろ」

「そ、そうなんだけど、修理なんて出来ねぇかなぁ」

「なんだまだあれに乗る気でいるのか?」


「出来れば」

「郁美、お前中免(現自動二輪普通免許)は持ってんだからいい加減原付にこだわることはねぇだろ。麻奈美と同じ400クラスのタイプなら格安にしてやるぞ」


別に俺は原付にこだわっている訳じゃねぇ。

「おれ、今は金他の事にかけたくねぇんだよ」

「お前の目標か」

「ああ、そうだ。俺には目標がある。あと少しなんだ。もう目の前に来てるんだ」


「あと少しだもんね。郁美の誕生日」

「後、1週間だ。そうなれば俺は18歳だ」


ニまぁとして麻奈美が言う。

「うんうん、婚姻届け出せるね。私は17歳だし郁美が18歳になれば結婚出来るんだよね」

「そうか、そう言う事か。いやぁめでたい。こりゃめでたい。麻奈美酒だ! 酒もってこい」


おいおい、何か勘違いしてねぇかこの親子。


「そうじゃなくて、限定解除! 大型自動二輪の免許が取れんだよ」

「なははは、そうだよね。そっちだよね」

ちょっと残念そうな麻奈美。おい、お前真面目にそう言う事思ってたんか。


「なんだ郁美、お前諦めてねぇんだ」

「おやっさん、言ったじゃないですか。必ず俺、手に入れるって」

「しかし何でお前あれなんだ? よりによってCB1000Rとはな。もっと扱いやすいのあんだろ」


「いいんす。俺の一目惚れなんだから」


「一目惚れか……。分からんわけじゃねぇけどな」


ああ、そうとも俺は一目惚れしてしまったんだ。

あのバイクに。

ホンダCB1000R。


あと少しで彼奴を俺は、手に入れることが出来る。


俺の長年の相棒になる奴と出会えるんだ。


今はまだその夢に、目標に浸ることがとても心地よかった。

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