第二章 その十九 顔

こうしてここ『彫露文身堂』はオープンした。


不思議と彫露をあの天才空手美女美玲だと気付く者は居なかった。と言うよりも美玲だとして声をかける者がいなかったと言う表現の方が近い。それは裏で新屋敷と台湾コミュニティが尽力していたおかげもあったのだが、彫露自身はそれを知らない。


オープン間もなくからタトゥースタジオ彫露文身堂の評判はすこぶる良かった。女性ならではの繊細な筋彫りと色使い。徹底した衛生管理と、何より彫露のヴィジュアルに惚れ込んで通うタトゥーフリークがスタジオの口コミをどんどん拡げていった。

客が増えるたびに彫露はそれとなく妹の事件の話題に触れ、謎のタトゥー女の情報を聞き出そうとしてみたのだが、5年経った今も事件に通じる情報は得られていない。


始めはその全く進展しない事態に苛立ちを感じる日もあった。しかし『生まれ育った街にいる事』と毎晩仕事上がりに『ドワーフに顔を出す事』で彫露の心はしっかりと安定したものになっていった。復讐心が消えた事は無いにしろ、『楽しい』と思える毎日を送れるようになったのは美玲から彫露に変わってからのように思えた。


白を基調としたスタジオ内、壁一面に貼られた。鬼、般若、龍、鯉と言った『和彫り』の下絵だけでなく、アメリカンコミックスのキャラクターやハートや星の図柄も並んでいる。全て彫露の作品達だ。それらを物珍しそうに小さな男の子が見渡している。


「全部お姉ちゃんが描いたんだよ。コマルちゃん、お絵描き好き?」


優しい笑顔でツユちゃんがコマルくんに声をかける。コマルくんは名前の通りちょっと困った顔で首を傾げた。


「あんまり得意じゃない?」とツユちゃんが聞くと、コマルくんは「こんなに上手に描けない」と答えた。その答えの可愛らしさにツユちゃんは笑った。こんなに自然に笑顔が出るようになったのは新屋敷さんのおかげだろう、本当に感謝しかない。


駅のバスロータリーから私が鳴神さんを探しているコマルくんをドワーフに連れてきたのも、ツユちゃんと新屋敷さんがいるお店だったから安心して連れてきたんだ。鳴神さんしか居ない環境だったら交番に連れて行ったよ。


「ツユちゃん・・・久しぶりにお姉ちゃんの顔に戻ってるよ。」


絶対に届かない声と分かっていながら、私はツユちゃんに向かってそう言った。私の事なんかもういいから、コマルくんのお爺ちゃんを探してあげて。


私はこれからもこうして姉の姿を見続けるんだ。

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