第5話 皇女と魔法

 アイリス・ディーネル。


 現皇帝ダリス・ディーネルの次女であり、その整ったルックスと高潔な性格から帝国の華とも称される人物。


 国内において、まず知らない者はいないだろう。


 そしてもう一つ。


 あの悪名高きノーム・レスティの許嫁としても広く知られているのだ。


「……挨拶かなにかか?」


 頭を抱えながらリビアに問う。

 俺の記憶にアイリス訪問の予定はなかったはずだが。


「いえ、今回のご訪問はノーム様のお見舞いでございます」

「……見舞い?」

「ノーム様が呪いによって倒れてしまったことは、関係各位には知らされておりますので」

「……そういうことか」


 思いのほか一大事となっていたことに、改めて貴族の影響力の強さを思い知らされる。

 それが仮病とあっては、更に世間からの信用を落とすことになるだろう。

 貴族としての責任、今の俺に果たせるだろうか。


 ――しかし、ノームという人間、昔も未来も、そんな責任は微塵も感じていないようではあったが。


「……ああ、それで父もミリアともばったり出くわしたわけか」


 色々と合点がいった。

 父がわざわざ話しかけてきた理由。

 ミリアが部屋の外にいた訳。

 全てはこのアイリス訪問によるものだったわけか。


「それにしても何で今更それを……急すぎないか?」


 今までお世話になってきたリビアだったが、今回の件に関しては文句を言いたくなってしまう。

 いかに許嫁であろうとも相手は王族だ。

 気持ちの整理だけではなく、色々と準備をして臨むべきである。


 それに俺とアイリスの中は、正直言って最悪。


 直近、口すら聞いた記憶がまるでないほどである。


「申し訳ありません、色々なことがあり今日まで忘れてしまって……」


 俺の抗議の視線にリビアが答えた。

 正直な理由だ。

 下手に言い訳しないのが彼女の良いところともいえるし、今回ばかりは俺がその原因なのだ。

 これでは文句が言えない。


 もちろん以前の俺であれば、お構いなしに責め立てたであろうが。


「しかしまあ、元々そんなに話す仲じゃないのが救いか」

「はい、最悪全て無視しても良いかと」


 サラッととんでもないことを口走るリビア。

 婚約者とはいえ仮にも皇族、現皇帝の娘に対してその発言はどうなんだ。


 流石は俺の世話係を一年も続けただけはある。


「……少しは遠慮しろ」


 とはいえ咎めておく。

 今後、口を滑らして最悪の展開になっても困る。


「あ、失礼しました」


 彼女は素直に謝罪した。


 まあいつも俺がアイリスを無視していたからこその発言だったのだから、これもまた俺の責任でもあるのが何とも言えない。


「まあ正直それくらい素直な方が助かるけどな」

「ありがたいお言葉です」


 自慢ではないが、我がレスティ家も家柄は王家にも引けを取らないほどかなり良い。

 四大貴族とも言われることからその権威は周知の事実とも言えよう。


 四代勇者を輩出した英雄の一家。

 広く国民から支持され、人気の高い。

 それがレスティ家という一族なのだ。


 ただそれは俺ことノーム・レスティによって、堕ちた英雄家とまで言われるようになるのだが、それはまた別の話だ。


 故に俺に対して臆せもなく何かを言ってくれる存在というのは、これからもきっと貴重な存在になることだろう。


「それでアイリス殿下……いや、呼び捨てでいいんだっけか?」

「はい、そもそも婚約者ですのでこれからも呼び捨てで構わないかと」

「了解」

 

 結局のところ、ノームとアイリスの仲が親密でなくて良かったというのが本音だ。


 リビアのように直ぐに正体が疑われては、今後上手くやっていける自信がない。


 アイリスには悪いが、俺の今後を占う足掛かりにさせてもらおう。


「それではお着替えやその他諸々を済ませておいてください、私は一度下に降りて様子を確認してまいります」


 そう言ってリビアは部屋から出ていった。

 俺は大きく息を吐く。


 まさかこんなにも早くあのアイリスと会うことになろうとは。


 ロイだった時なんて、遠目に何度か見かけたくらいだ。


 直接会話をしたことなんて勿論ない。


 勇者であったアランとは何度か会話をしていたらしいが、一介の魔法師であった俺にはそんな機会なかった。


 若干の嫉妬と誇らしさを感じたのを覚えている。


 いわば俺にとってアイリスは高嶺の花だったのだ。


 だが今の俺はノームだ。


 高値の華だった彼女は今や婚約者。


 それどころか嫌われているときている。


 ロイだった頃とは関係性がまるで違うのだ。


 主に心構えをしておく必要があるな。


 そんなことを考えながら支度を始めた。


 と言ってもリビアに用意された服に着替えるくらいのことしかないので、準備は直ぐに終わってしまった。


 持て余した時間。


 しかし特にこれといってやることもない。


 嫌な緊張感を持ったまま、時間がゆっくりと過ぎていくのを感じる。


 さて、どうしようか。


「そうだ、魔法」


 ロイとして目覚めてから一度も魔法を使っていなかったことを思い出す。


 そこで俺はとある研究論文を思い出した。


 それは以前何気なしに読んだ魔法工房の研究論文だ。


 タイトルはずばり『魔力は身体に宿るか魂に宿るか』。


 人が使える魔法は才能によって決まる。


 それが火、風、水、土の四つから構成される魔力属性のことを指し、人は基本的に生まれ持った魔力属性に適した魔法しか使うことができない。


 もちろん例外はいるが少数派である。


 つまり俺は水の魔力属性を持っていたため、水属性魔法を使えたわけだ。


 そしてその魔力属性というのは一体どこからもたらされているものなのか。


 それが魔法師の間では結構議論になることが多かった。


 身体に宿っていると主張する者。


 魂に宿っていると主張する者。


 もしくは天から授けられていると主張する者。


 このように主張は多種多様であり、魔法工房としてもその議論に決着をつけるべく研究をしていたのだろう。


 そこで出たあの研究論文だ。


 魔法工房から出されていることもあり、発表当時はかなり注目を集めていた。


 そしてその論文は、魔力は魂に宿るもの、という結論を導き出していた。


 とはいえ、「絶対にそうである」と言った断言口調ではなく、あくまで「そう考えられる」といった見解だ。


 今まで身体改造を施した人間に、属性変化が生じなかった点を根拠としたらしい。


 だがまだ事例がないだけとも捉えられる。


 つまるところ、この永遠の問いに完全な答えは出せなかったのだ。

 

 だからその論文が出た後も、その論争は続くことになる。


 しかし今の俺ならその正解を知ることができる。


 俺の記憶が正しければ、ノームの魔力属性は土。


 水だったロイとは完全に異なる。


 土属性を使っていたノームの身体に、水属性を使っていたロイの意識。


 さて、どちらの魔力属性になっているだろう。


「……緊張してきた」


 一生解けないと思っていた答え。


 その答えが今俺の体にあるのだ。


 ワクワクとドキドキで胸の高鳴りが抑えられない。


 俺は大きく息を吐き、お馴染みの水属性魔法を唱えようと口を開く。


 その瞬間だった。


「ノーム様、アイリス殿下がお見えになりました」

「……分かった」


 アイリスと魔法論。

 今どっちが大事かと問われれば間違いなく前者だ。


 魔法師としては後者を選びたい気持ちだが、今は自分の願望よりも堅実な一手を選択するべきである。


 後ろ髪を引かれる思いではあったが俺は一階へと向かった。


「こちらが客間になっています」


 扉の目の前でリビアが言った。


 この扉を開けば、あの第二皇女アイリスがいる。


 つい魔法論の考えに耽ってしまい緊張を忘れていたのだが、やはりこうして目の前にすると緊張感が溢れてくる。


 俺は大きく息は吐き、扉を開いた。


 扉を開くと同時に紅茶の香りが鼻孔をくすぐる。


 視界には高級感溢れる客間のソファーに座る、可愛らしい顔立ちの少女。


 間違いない、アイリス・ディーネルだ。


「待たせたな、アイリス」


 できるだけ自然に、かつ強気にいくため先に言葉を発した。


 シンと静まり返る部屋。


 アイリスとその使用人と思しき男性は言葉を失ったかのように固まり、リビアは空笑いを浮かべていた。


 最悪だ。


 もしかしなくても俺は対応を間違えたのだろう。


「……呪いにかかったと言うのは本当のようですね」


 アイリスが呆れたような表情をこちらに向け言葉を発する。


「……何のことだ?」

「貴方が挨拶をしてくるなんて、今までなかったでしょう?」


 思わず苦笑いが零れる。


 挨拶すらしない仲だったっけ。


 不敬、不仲にも程がある。


 仮にも婚約者であるのに。


 以前の自分を叱りつけてやりたい気分だ。


「……まあそうだな、呪いのせいだ」


 特に言い訳も思いつかず、アイリスの言葉に肯定をした。


「大袈裟な話ではなかったようですね、お大事にとだけ言っておきます」


 アイリスの言葉には若干の棘があった。


 俺には心当たりがある。


 というのも俺は何度かこうして問題を起こし、大したことでもないのに、話が大袈裟に広まってしまったことがあるのだ。


 今更になって思い出したが、その時もアイリスは駆けつけてくれていたのだ。


 毎回、我儘な俺に振り回されるアイリスの気持ち。


 しかも今回の件も嘘と言っていいのだ。


 俺は胸は罪悪感でいっぱいだった。

 

「……ああ、素直に受け取っておこう」


 居心地の悪さが尋常ではない。


 アイリスの以前とは真逆の冷たい印象に、背後に控える使用人からの圧。


 リビアと俺の緊張感も相まって、場には嫌な空気が流れている。


 非情に申し訳ないが、一刻も早くこの場から立ち去りたい。


「それでは、私はこれで。レスティ公とも約束がありますので」

「そうか」


 なるほど、今回は俺の見舞いだけではないらしい。


 若干の罪の意識が和らぐ。


 まあほんの少しだけだが。


「では私は旦那様を呼んでまいります」


 沈黙の後、逃げるようにリビアが部屋から出ていった。


 仕事なのだろうが、この場から逃げることのできたリビアが恨めしい。


「テル、貴方も控えていいですよ」

「承知いたしました」


 アイリスの言葉によって後ろに控えていた使用人も部屋から出ていく。


 アイリスと二人きり。


 うん、気まずい。

 

「ノーム、少し貴方とお話があります」

「なんだ?」


 真剣な眼差しでこちらを真っすぐと見るアイリス。

 人払いを済ませたところからして、かなり重要な話をするつもりなのだろうか。


 まさかと、より緊張感が高まった。


「貴方の妹のことです」

「……ミリアがどうした?」


 突然妹ミリアのことを振られ、驚きつつも自分のことに対しての指摘でないことにホッとする。

 だがその俺の感情とは真逆に、アイリスの声音に熱が帯びた。


「っ! 今日、初めて顔を見ました。知っているんですか彼女の状況を」

「もちろんだ」


 ついさっき会った妹の姿を思い出す。


「だったら……っ!」


 怒気に近い感情。


 あのアイリスがここまで感情を露にするのなんて初めて見た。


 それだけミリアのことを気にかけてくれているのだ。


「……何とかしようとは思っている」

「……え?」


 今までのノームからは決して零れないであろう言葉。


 それを俺は思わず口にしてしまった。


 アイリスの怒気が収まり、今度は驚愕へと変わっていく。


「今、なんと言ったのですか?」

「……何とかする」


 流石にごまかすのは不可能だった。

 それにここまで妹のことを考えてくれているアイリスに真意で向き合いたい気持ちもある。


「その言葉、信用できるとでも?」

「まあ、それは俺の努力次第だな」


 直ぐに信用が得られるとも思っていない。

 努力する。

 それこそ本当に俺の目標達成に必要な事柄だ。


「……今までのこと、忘れてはいません。呪いで表面上は丸くなったのでしょうが、貴方の本質がどのようなものか私は良く知っています」

「ああ」


 睨みつけるようにアイリスは言葉を紡ぐ。


「ですが今回はあくまでお見舞い。病人にこれ以上のことは言いません。

次お会いすることがあった時、それこそ呪いの効果が切れた時期にもう一度お話をしましょう」

「ああ、それで良い」


 そう言ってアイリスは部屋から出て行った。

 一人残される俺。

 大きく息を吐き脱力をする。

 結果としてはどうだろう。

 相変わらずボロが出まくりだったが、ひとまずは乗り切ったと言っても良いのではないだろうか。


「これから頑張らないとな」


 アイリスとの会話を思い出し呟く。


 結局はノームという愚かな男が招いた結果だ。


 ミリアにアイリス、俺が傷つけてしまったのはこの二人だけではない。


 それらを解決できるのはノームである俺にしかできないことだ。


 努力あるのみ。


 まずは見た目から。


 俺は自分のお腹を見て一つ決心した。

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