魔術師のいる喫茶店

日奈子

1杯目

「ありがとうございましたー。」


がらんとした部屋に荷物が入ると、やっと自分の家だという気持ちになるよね。まだほとんどの段ボールのままだけど。


引っ越しのお兄さん達を見送って、買っておいたお水をぐいっと飲むと、どっと疲れが出てきた。


大学卒業して入った、勤続4年の仕事先を『ごめんね、ちょっと経営状態悪くなっちゃって』と契約更新を断られた。つまり、リストラされたのよ、私。それまで働いてきたところを辞めて、職場にも慣れて、よしこれから!と思っていたんだけど……やっぱり派遣社員は立場が弱いよね。就職難の時代に働けただけ良かったことにしよう。


それにしても。

結構役に立ててたと思うんだけどなあ……。


ぐぅぅ……。


一人になって気が緩んだ途端、食欲が主張してきた。時計を見ると、14時。もうすっかりお昼を過ぎていることに気がついた。


ぐぅぅ……ぐぅう!


気づいた途端、どんどんお腹が鳴ってくる。お昼ご飯、どうしようかな。ガスは明日開通だし、冷蔵庫もまだ空っぽだし。


えーっと、確か商店街に食べるお店あったよね。よし!


私は引っ越し作業で汚れた服を、もう少しマシな服に着替えて、洗面所の鏡で身だしなみ確認したら、お財布とスマホと、それから鍵を持って部屋を出た。


ガチャリ。


この部屋で初めて鍵をかけた。何だか『ここが私の部屋だよ』って愛しくなるね。お昼ついでに可愛いキーホルダーでも探そうかな。


カンカンカン、とアパートの階段を降りた私は、この街のお客さん気分で、商店街へと向かった。



『喫茶店 太陽』


商店街の橋にある、昭和からあるんじゃない?と思うような、少しレトロな喫茶店の前で私は足を止める。引っ越し先の幾つかの候補の中からこの街を選んだのは、内見の時に不動産屋さんから聞いた、この喫茶店が気になったから。


「昔ながらの喫茶店で落ち着きますし、若い女性のお客様も多いみたいですよ。」


喫茶店の他にもいろいろなお店がある商店街は、日用品を買うには十分な品揃えで、その近くにある1人暮らしアパート。全く知らない土地での生活を始めるには、これ以上無い立地だった。……まぁ、アパートの建物自体はちょっと……古いんだけどね。


「カランカラン」


「いらっしゃいませ」


喫茶店の扉を押すと、いい音色のベルが鳴る。これこそ喫茶店!って感じでいいよね。

そして、店員さんの声。あれ、思ったより若い?


「お好きな席へどうぞ」と声をかけられ、店内をぐるりと見渡す。テーブル席が幾つかと、カウンター席、ね。


私がカウンター席に座ると、おしぼりとお冷やがさっと出された。お腹の主張に負けて、座ったとたんに視線はメニューに釘付け。


「えっと、ホットコーヒーと、あと……ナポリタンください。」


メニューの最後にあったケーキセットも捨てがたいけれど、まずはご飯から!と、喫茶店の定番メニューを注文した。


「ナポリタンとホットコーヒーですね。少々お待ち下さい。」


カウンターの中では、先程から声だけ認識していた店員さんが、料理を作り始めた。背が高くて、私より少し年上?くらいの、ぎりぎり『お兄さん』と呼べそうな男性が1人。喫茶店はもう少し古そうだから、店長さんじゃなく、バイトさんかな?


そんな事を思いながら、手元のスマホを弄ぶ。Twitterに『やっと引っ越し終わった!』と家を出る前の呟きに、まだ何も反応が無い。……仕方ないよね、会社の人はまだ仕事中だし、大学の友達も……平日のお昼過ぎに1人で自由に過ごす時間なんて、私の今までの人生でそんなに無い。ただ、これからは……。


「お待たせしました。ナポリタンと、ホットコーヒーです。」


コトリ、と出来立てのナポリタンを目の前に置かれると、私の意識はTwitterから完全に切り替わった。


「いただきます!」


両手をあわせ、食べる前の挨拶。

これだけは小さい頃からの習慣で、職場でも『給食みたいね』なんて笑われたけれど、しないと気持ちが悪いので、気にしない。


私は食欲を満たすべく、フォークを手にした。

ケチャップの甘さと酸味と、少し厚目のベーコンの塩気のバランスがちょうど良い。


うん、美味しい。私好みだ。


といっても、実はナポリタンを食べるようになったのは、つい最近のこと。小さい頃はなぜか嫌いだったのに、同僚に教えてもらったお店で『絶対美味しいから!』と勧められて食べた事をきっかけに、私の好きなメニュー入りをした。


もぐもぐもぐもぐ……。


店内は静かに音楽が流れる以外、私が食べる音だけが響いている。あんまり人が入らないのかな?まあ、静かな喫茶店というのものんびりできて良いけど。特に、今日みたいに疲れた時は。


「カランカラーン!ハーナーちゃーん!」


勢いよく扉が開いたかと思うと、なぜか名前を呼ばれた。

山本花子26歳仕事無し、ついでに彼氏無し。そんな私の名前を誰が呼ぶ??と不審に思いつつ。


「は、はい!」


と返事をしてみた、ら。


「ぷっ!」


とカウンターの向こうで笑われてしまった……。ええっと……、店員さん??


私の視線に気がついたのか、慌てた店員さんは。

「あ、いえ、あ、あの……その、笑ってすみません……。」

大きな背中を必死に折り曲げて謝ってくれた。


別に謝ってほしい訳じゃないんだけど……と、私の機嫌がくすぶっていると、何かが膝の上に飛び込んできた。


「えっ!きゃあ!!」


「あ、こら、ハナ!!」


……ハナ……というのは、私の膝の上のこれのことでしょうか……。


そんな疑問と名前を呼ばれたことへの不審をたっぷりと乗せた視線を店員さんに送ると、

「お客さん、すみません。その猫、ハナって名前のうちの看板猫なんです。驚かせてすみません……。」


ほほう。

ということは、さっきの元気な声も、私じゃなくて、この猫のことを呼んでいたのね。

まあ、この街にきたばかりの私を呼ぶ人なんているわけないよね。


「あ、あの、お客さんすみません。お騒がせしたお詫びといってはなんですが、よかったらケーキいかがですか?」


ケーキ。

……仕方ない、ケーキをご馳走になるか。

うん、ケーキは全て幸せにしてくれるもの。


「あ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……ええっと。」


緩む口元を引き締めつつ、メニューへと手を伸ばそうとしたら。


「あ、お姉さん。うちでは、お兄ちゃんのチーズケーキが一番人気なんですよー!」


さっきの元気な声が横から聞こえた。


「こら、七絵。騒がしくしたことを謝りなさい……お客さん、本当にうるさくてすみませんね……で、チーズケーキでも大丈夫ですか?味には自信があるんですが……もしお嫌いでなければ……。」


「あ、チーズケーキ大好きです。それでお願いします。あと、コーヒーのお代わりもお願いしてもいいですか?」


「ありがとうございます。あ、コーヒーのお代わりもサービスしておきますね。」


「あ、なんだか逆にすみません。ありがとうございます。」


何だかバタバタとしているうちに、ケーキとコーヒーをサービスしてもらった。うん、これからも、このお店を利用しよう。


膝の上の猫……ハナちゃんは、いつの間にか、店員さんの妹さんの膝に移動させられていた。まあ、奪われたという方が正解かな。にこにこ楽しそうな妹さんの好きなように撫でられている。モフモフ……いいですね。


ふと顔をあげると、妹さんと目があった。


「あの、お姉さんも『ハナちゃん』さんなんですか?」


お姉さん、なんて呼ばれるのに慣れていなくてくすぐったい気持ちがする。モフモフ猫と妹、可愛いの山盛りだね。


「あ、私、花子です。一番簡単な漢字の『山本花子』。名前の見本みたいって、よく言われます。」


「花子さん、可愛いお名前ですね。わたし、七つの絵で、七絵っていいます。山田七絵、で、あれがお兄ちゃんの山田和宏。30のオッサン店長です。」


オッサン、と言いながらクスクスと笑いそうな七絵ちゃんは、本当に妹だったら可愛いなぁと思うような天真爛漫な女の子だった。


「お前も23だろうが。オッサンと対して変わんねーよ。……あ、と。すみません、チーズケーキとコーヒーお待たせしました。」


七絵ちゃん23かぁ、私26だから……うん、やっぱり妹だね。可愛いなぁ。


「ねね、花子さん。もしかして、うちのお店初めてですか?ハナのこと知らないお客さんって珍しくて。」


「あ、私、今日、この近くのアパートに引っ越してきたばかりなの。で、お腹空いたなーって、ここにお昼を食べに初めて入ったのよ。」


「そうなんですか。こんな時期のお引っ越しって、お仕事の都合か何かですか?」


……まぁ、2月に引っ越しって珍しいよね。


「こら、七絵。あんまりお客さんのプライベート聞かないの。……すみません、こいつ、いつもこんなんで。」


「あー、いえ、大丈夫ですよ。えーっとね、お仕事を辞めてきたので、気分変えるのに一人暮ししようかなーって、この街に来たの。」


「あー、そうだったんですか……。」


うん、そんなに暗くならないで。私まで悲しくなりそう。


「あ!あの、花子さん、もし、良かったら、なんですけど。」


「うん、なんでしょう?」


「私、趣味でタロット占いをしてるんですけど……あの、もし良かったら占ってみてもいいですか?……その、お騒がせしたお詫びに……あ、でも、まだ勉強中なのでお代なんかはいらないので、あの、その……。」


あー。気を遣ってもらってるなぁ。

うーん、占いかぁ。

まぁ、お試しみたいなものだし……。


「じゃあ、お願いしていいかな?」


ぱあっと七絵ちゃんの顔が明るくなる。


「ありがとうございます!じゃあ、ハナちゃんは、よいしょっと……」


そうして猫のハナちゃんは、ようやく解放されて、店内の日当たりが良い場所へと移動していった。


「じゃあ占いますね。えっと、何がいいですか?」


「そうねー、仕事のことにしようかな。まだ次の仕事これから探すところなの。」


「分かりました。仕事について、ですね。」


そう言うと、カードを手にした七絵ちゃんは、すっと背筋を伸ばし、目を瞑り集中を始めた。


カシャカシャカシャカシャ。


カラフルなカードが七絵ちゃんの手で混ぜられていく。そして、3枚のカードが並べられた。


「これは、トート・タロットというカード占いで、3枚で『過去』『現在』『未来』を見ます。」


そして、開かれたカードを七絵ちゃんが読み上げる。


「『塔』『FOOL』『ワンドのA』ですね。……花子さんがお仕事を辞めたことは……」

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