文永の役 鳥飼潟

 ――鳥飼潟。


 赤坂の西に広がる干潟はかつては入り江だった。


 山間から川が流れ、そこで研磨された川砂がその入り江に流れ込む。


 それが徐々に堆積して干潟を形成する。


 つまり干潟の土というのは独特の粘度と保水性がある。


 それに足がとられやすく、よほどの事がない限り進軍したりしない。


 <帝国>もそのことはよくわかっている。


 だからこそ大軍では逃げ場のなくなる場所には少数の兵しか送っていない。


 赤坂に布陣したのは偵察と護衛の兵士と攻城兵器を設置するための測量者からなる部隊だった。


 大部分は干潟を突っ切るが、技術者を含んだ少数は迂回することにした。


 この時代の技術者は――しかも従軍できる技術者は貴重なので、不測の事態がありえる干潟を通らせたくなかった。


 干潟を迂回して逃げる少数の<帝国>兵。


 三十程度の徒歩と僅かな騎兵。


 色とりどりの布を着ている。目印としては丁度いい。


 そう思いながら五郎たちは真っすぐに駆ける。


 だが突如、<帝国>兵たちは干潟へと進路を変えた。


「ちっ気付かれた!」と五郎が舌を打つ。


「奴ら干潟を通って我らを撒くつもりだ! どうする?」横を並走する三郎が五郎に訊く。


「ならば馬で出来るだけ近づき、矢で仕留めるぞ!」


 五郎達は干潟に馬で突入するために、少し速度を落としてから入る。


 が、やはり足場が悪すぎた。


「うおっ!?」


 五郎の馬は潟に足を奪われ倒れた。


 干潟の手前で十分に速度を落とせなかったのが原因だ。


 三郎以外の三騎も干潟で往生する。


「この程度! なんともないわ!!」


 三郎だけは十分に速度を落として馬を駆り、少数の<帝国>兵に弓を放つ。


 最初は――外す。


 二度、三度は――当てる。 そして鈍い音がする。


 そして<帝国>兵は何事もなかったかのように逃げ切る。


 四度目を外したところで三郎も諦める。


「くそっ! 足場が悪すぎる!!」と三郎が悔しそうに吠える。


 五郎たちは干潟を出て小川で合流した。


「<帝国>のやつら布服かと思ったら、中に鉄を着込んでいるぞ」


「それは厄介だな。そうなると弓で射るには十分に近づかないといけないな」


 <帝国>の兵士は外側を色彩豊かな布で覆っている。


 しかし、その内側は厚い鉄板が隙間なく覆っている。


 これを綿襖甲めんおうこうという。


 この防具の恐ろしい所は刃で斬りつけると裏地の鉄板で刃が欠けることにある。


 すると欠けた刃が布地と中の綿詰が絡まり、斬るという動作が思いのほかできなくなる。


 そうして手をこまねいている隙に他の兵が槍で刺す。


 あるいは鎚矛という鈍器を振り落として、首の骨をへし折る。


 言うなれば最古の防刃防具によって接近戦をさせないのだった。


 草原の<帝国>では周辺国を含めてほぼすべての兵が綿襖甲めんおうこうを着ているので刃による白兵戦は衰退している。


 そして、この防具に対抗するように弓あるいは連弩での戦いと、重騎兵による突撃が主力となっていったのだ。



 五郎たちはこの一戦だけでどう戦うべきか把握した。


「これは刀は使わない方がいいな」と三郎がいい、皆が頷く。


「もとより弓馬での戦い以外は考えていないさ。じゃないと姉上にあの世でも叱られてしまう」


 軽口をたたきながら馬たちに小川の水を飲ませる。


 馬たちは軽く走らせただけなのでまだ大丈夫そうだ。


 五郎は目の前の水田に違和感を覚える。


「義兄上、この水田は何ですか?」


「これは塩田だ、干潟が満ちたときに塩水を流し込むんで塩を作るのだ」


「おお、ここが塩屋ですか!」


 博多湾の別府べふはその名の通り、荘園とは違う特別扱いする地域をさす。


 そしてこの博多湾の別府とは塩田による塩利権が付与された場所をそのまま地名としている。


 つまり大宰府を支配する少弐氏の力の源泉の一つがこの塩田になる。



 五郎はここは潟以外にも戦いずらいと感じた。


 干潟の隣には塩田が広がり、そのすぐ近くを防風林の松がどこまでも続いている。


 塩害から田畑を守るためだ。


 どこまでも見通しが悪く、戦いずらい場所。


 馬が水を飲み終わり少し歩かせる。


 だが五郎の馬だけはソワソワしているのがわかる。


 干潟で倒れたのが原因だろう。


「五郎殿、万が一を考えて馬を交換しませんか?」


 旗指の三郎二郎資安がそう提案してきた。


「いいのか? 下手をすると敵に狙われるぞ」


「この人数では旗指はあまり意味がありませんからね」


 五郎と二郎は馬を変えた。


 のんびりしているようだが敵がいないのだから仕方がない。


 戦いは始まった。


 だが、見渡しても未だに干潟を逃げる百以下の敵しかいない。


 今は合流して麁原山へと向かっている。


「敵は……麁原山の奥に逃げましたね。もう帰りません?」


 そう情けなく籐源太が言う。


「何を言う。袋小路ということは分捕り放題よ!」と三郎が言う。


「義兄上の言うとおりだ。このままさらに追撃しよう」


 <帝国>兵に逃げ場はない。


 あるとすれば砂浜から小舟で停泊している大型船に戻るくらいだ。


 ならばまだ仕留めることができる。


 五郎と三郎は逃がした獲物である<帝国>兵を追い詰めることにした。


「次は足場を考えて松林に沿って馬で進み、あの火事が起きている麁原山へとむか――」


 その時、風が吹いた。


 北からの潮風が一層強くなったのだ。


 その風は力強く。


 麁原山の煙が晴れた。


 五郎は目を疑った。。


「な……!?」


 まるで時が止まったように誰も動かない。


 ただ風が吹くのみ。


 五郎たちは開いた口が塞がらなくなった。


「ぶるるっ」


 静寂を破ったのは馬だった。


「な、なんだあれは!?」


「砦だ。<帝国>の奴ら煙に紛れて山に砦を築いていた!!」


 煙が晴れた麁原山には――。


 無数の旗を天に突き上げて――。


 千は越すだろう<帝国>兵が陣取る――。


 強固な砦を築いていた。



 ――――――――――

 蒙古襲来絵詞の絵四

 https://33039.mitemin.net/i572528/


 塩田については通説は存在しません。

 「鳥飼潟の塩屋の松の下で合戦」

 という通説から思いついただけです。


 こちらは<帝国>の退路と追撃する五郎たち

 https://33039.mitemin.net/i572542/

 早朝なのでまだ敵も味方も集まっていません。

 緑の線は防風林です。

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