エピソード2:汚れぬ花-5

 閉店作業を終え一人店を出る。向かうのはKuから歩いて5分程の場所にある、有瀬の自宅だ。3階建てアパートの3階、単身用の1K。不在な事はわかっているので合鍵を使い部屋に入る。相変わらずの散らかり具合に溜息を一つ。飲食物のゴミが無いのは唯一の救いだが、何故ここまで物が散乱するのだろうか。本、資料、服、よくわからない機械が床に散りばめられている。かと思えば、何故かベッドとPCデスクは整っている。きっと昨夜は薫さんについて徹底的に調べ、情報を集めていたのだろう。


 仕方ないので一通りの片付けをして、洗濯物は洗濯機に突っ込んでおく。私の目的はここで仮眠をとる事。昼には藍の所へ様子を見に行くので、近場にいる必要があった。今頃有瀬は薫さんと蓮君の住む街にいるはずだ。家主が留守なのでベッドを占領させてもらう。


 常連客や従業員達から、私は有瀬の恋人だと思われている。むしろ夫婦扱いをする人もいるくらい。しかしそれは大きな間違いだ。


 有瀬には過去、妻と子供がいた。正確にはこれから生まれてくる子供だった。しかし6年前、ある事件でその全てを失った。捜査は難航し解決まで随分時間が掛かったそうだ。なんとか犯人を逮捕した頃、有瀬の精神力はとうに尽きていた。刑事を辞め私と出会った時は今にも消えてしまいそうな程に弱々しく、生きる術すら忘れてしまった様子だった。


 当時私が勤めていたBARの店長とは古い友人らしく、見かねた店長によく連れてこられていた。放っておいたら死んでしまうと思ったそうだ。勧められた酒は飲むものの、常に心此処に在らずで腑抜けていた。

 しかし、誰かが困っている、助けを求めている時には必ずそれを察知し救いの手を差し伸べた。正義感だけは失っていなかったようだ。

 そんな性格だから、店長の事情で店をたたむ事になり私が職を失いそうになった時、Kuの店長という話を持ってきた。店長の差し金でもあっただろう。


 その時に決めたのだ、私は有瀬の理由を作ろうと。深い傷を負い自分の生き方すら見失った男は、誰かの為になら生きていける。誰かの助けになるのならば前を向ける。店を経営するという事は必ず人と関わっていく。関わる人間が多くなる程、有瀬の生きる道も自ずと増えていくはずだ。


 その思惑通り今は随分明るさを取り戻している。

 でも、だからこそ、恋愛感情など抱いてはいけない。始まってしまえば、いずれ終わりも来てしまうのだから。


 私は今日も、有瀬の匂いが残る枕を濡らす。



 ひと眠りした後、藍の家に向かった。呼び鈴を鳴らし部屋に入ると、出前のラーメンをすする蓮君の姿があった。


 「蓮君、おはよう。昨日はよく眠れたかな?」


 「もうお昼だからこんにちはだよ!うん、いっぱい寝た」


 的確な正論と満足そうな笑顔を向けられた私は、母性本能が何たるかを理解した気がした。


 「藍ちゃん、有瀬からなんか連絡来た?」


 「うん、来たよ。ヘビのお兄さんだっけ?その事で。蓮君に聞いたら、手首のあたりにヘビがいるって言うからそのまま伝えたところ」


 なるほど、ヘビの絵とはタトゥーの事か。手首にヘビのタトゥー……


 「あっ!!」


 私は重要な情報を思い出し、すぐに有瀬へ電話を掛ける。


 「おう、沙良。起きたのか、どうした?」


 「大事な事だからよく聞いて。ヘビのタトゥーが入った男の話、前に店で聞いた事があるの。先月だから、5月20日木曜日。年齢までは聞いてないけど二人組の若いお客さん、その片方がヘビ男の同級生だって話だった。名前はジュンペイ。今は半グレのような事をやっているみたいなんだけど、地元のヤクザに目を付けられてピンチだったって」


 「半グレか……、そいつらの地元ってどこだ?」


 「隣町よ。今も実家に住まいで、Kuから1駅上ったところって言ってたから」


 「なるほど。それなら心当たりがあるな。了解。沙良、ありがとな」


 「どういたしまして。気を付けてね」


 通話を終えると、藍が心配そうにこちらを伺っていた。


 「もしかして、結構危ない感じ?」


 「まだわからないけどね。もしヘビが薫さんと一緒だとすると、ちょっと心配かも」


 「半グレってヤバイ奴の事でしょ?」


 「私もそんなに詳しくはないけど、ヤクザとは違う部類の危ない事をする人達って意味合いだと思う」


 あまり悪い想像はしたくないが、もし最悪な事態であるならば薫さんが心配だ。いずれにせよ有瀬に急いでもらうしかない。何もかも思い過ごしで、全てが無事に終わる事を祈った。



 窓にから見える空が、次第に暗くなる。これから雨が降るようだ。

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