第50話 大切な人

 崩れるように倒れていく夢幻亀。

 ドスン、と大きなを音と風圧が発生し、地面が揺れた。

 かなりの質量を持った物体が地面に落ちたことを周囲の人間は実感した。


「た、倒した……」


 誰かが呟いた。


「夢幻亀を倒したぞおおおおおおぉぉぉ!!!」

「英雄の誕生だああああああぁぁぁぁぁっ!」


 絶望から一転し、周囲は喜びで溢れていた。

 みんなが大声を出して、抱きしめ合った。

 そこに騎士、魔法使い、冒険者、など関係がなかった。

 同じ窮地を乗り切った戦友として、喜びを分かち合っていた。



 ◇



「こりゃ驚いた……」


 ローレンスは呟き、息を呑んだ。


「夢幻亀の甲羅を消したと思ったら、間髪入れずに第十位階魔法並……いや、それ以上の魔法を放ちやがった……くっくっく、規格外すぎて驚くを通り越して笑えてくるぜ。

 ──なぁ、ヒルデガンド?」


 ローレンスは上方を見た。

 上空5mほどのところでヒルデガンドが宙に浮かんでいた。

 落下するヒルデガンドをローレンスが魔法で助けていたのだ。


「……よく人助けをする魔力が残っていたな」

「ま、俺は第1魔法師団の団長だからな。……あの少年、お前の息子だろ?」

「……違う。私は父親と呼べるようなものではない」

「10年……いや、もうちょい前だったかな。一度王都に来たことがあっただろ? そのとき、お前が自慢の息子だと紹介していたのを思い出してな。お前にしては珍しく良い笑顔を浮かべてたもんだから、とても印象的だったんだ」

「……そんなこともあったな。……だが、私は父親失格だ」

「他人様の家庭の事情にとやかく言うつもりはないけどよ。お前がどんなことをしていたとしても、あの子にとって、お前はどう足掻いても父親なんだぜ?」

「……それは私が決めることじゃないな」

「やれやれ、頑固な奴だ」


 不器用すぎるヒルデガンドを見て、ローレンスは呆れたように笑った。



 ◇



 夢幻亀を倒した。

 ……だというのに、視界がぼやけて仕方ない。

 素直に夢幻亀を倒したことが喜べなかった。


『……優しい笑顔だった』


 アレクシアはそう呟いて、手の平を俺の頬に寄せた。


『そうだね。……実はあの人ね、俺の父親なんだ』

『……魔力が尽きかけていた私を助けてくれた。良い人』

『俺もそう思うよ』


 父上が根っからの悪人ではないことを俺は知っている。

【翻訳】の才能が判明するまで、父上が俺に注いでいた愛情は本物だったのだろう。

 だが、父上は高位貴族としての立場や責任がある。

 それに、母上のことも関係して、色々と拗れてしまったんじゃないかと思うのだ。

 ……だからこそ俺は15歳になるまで古代魔法の存在を隠し、実家を自ら出ることもしなかった。

「やり直せるかもしれない」という淡い期待があったからだ。

 それがこんな結末になるなんて……悔しい限りだ。


『ノア』


 アレクシアの手に力が入った。

 俺の視線がアレクシアの顔に向けられる。

 だが、アレクシアの顔は俺の想定以上に接近していた。


『アレクシ──』


 唇に柔らかいものを感じた。

 アレクシアの唇が重ねられた、と理解するのに少し時間がかかった。

 花の蜜のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 時が止まって、静寂に包まれているような錯覚に陥る。

 そして、少ししょっぱい涙の味がした。


 アレクシアの顔が遠くなる。

 彼女の頬は赤く火照っていた。

 多分、俺も同じだと思う。


 地上からの歓声で俺は我に返った。


『え、えーっと、これは……』

『キ、キス』

『は、ははっ、そ、そうだよな。キス……だよな』

『わ、私は父からキスは大切な人に愛情を伝える手段だと教えてもらった』

『む、昔からキスの意味って変わらないんだな』


 絶対そんな感想を言う場面ではないだろう。

 発言してからそう思った。


『……うん。だ、だからね。私が伝えたいことは……ノアは一人じゃないよ』


 目線を下に向けながら、アレクシアは言った。


『アレクシア……ありがとな』


 きっと、アレクシアは泣いている俺を気遣ってくれたのだろう。

 その優しさが胸に染みた。


『ううん。最初にそう言ってくれたのはノアだから』

『……俺、そんなこと言ったかな』

『一人ぼっちにはさせないって言ってくれた』

『……あー、そういえば言ってたな』

『……まさか忘れてたの?』


 背筋がゾッとした。


『わ、忘れてた訳じゃないよ。すぐに思い出せなかっただけというか、なんというか……』

『……ふーん』


 ジトーっとした視線が俺に刺さる。

 俺はアレクシアの顔を直視できなかった。

 今は慰められてるのか、責められているのか、どっちなんだろう。

 そんなことを疑問に思った。


『と、とりあえず地上に降りようか』

『……分かった』


 アレクシアは頬をぷくーっと少し膨らませていて、あまり納得していない様子だ。

 だが俺は気にせず、降下していく。

 触らぬ神に祟りなし、だ。


 地上に降りると、凄い数の人が集まってきた。

 俺とアレクシアが中心で、そこからある程度周囲の人達との間に距離が取られている。


「夢幻亀を倒してくれてありがとおおおぉぉぉ!!」

「あんたはラスデアの英雄だよ!!」

「英雄万歳っ!!」


 とても多くの人達から感謝の言葉が飛んできていた。

 俺はその光景に目を丸くしていた。


『ノア、私からもお礼を言わせて。──父の仇をとってくれて、本当にありがとう』

『……ああ、どういたしまして』


 身近な人の感謝の言葉でようやく現実感が湧いてきた。


 そうか……俺は沢山の人達の命や生活を守ることが出来たんだな……。

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