美女と野獣と妻と僕

 どっ!


 踊りながら、僕は誰かと背中がぶつかった。


「「あ、ごめんなさい」」


 振り返ると、それは妻の香織かおりだった。


「あなた……」

「なんで……」


 お互いにそう言った。


「外が騒がしかったから。玄関にゴミ袋とあなたのバッグも置きっぱなしだったし」

「そうだったんだ」


 僕の顔をまじまじと見て、香織は可笑しそうに笑った。


「汗だくじゃない。ワイシャツもぐっしょり」

「そ、そっちこそ」


 こんなに近い距離で見つめ合うのはいつぶりだろう。僕らは、気づけば互いの手を取り合っていた。


 まあ、それは単に呪いに操られているだけ。


「「……?」」


 ではなかった。


 周囲を見渡すと、みんな踊りをやめていた。頭上の気合も止んでいた。


 シャン、シャン、シャン、シャン……♩


 小さくシンバルがリズムを刻む。また曲調が変わった。


 パラララン、パラララ♪パラララン、パラララ~♪

 ドッ、チャ。ドッ、チャ……♩

 フュロロロ――ロン♬フロロロ――♬


 しっとりとした穏やかなメロディーである。


「ハ~~~アァァァア~~ィィ♪」


 突然、車の屋根に乗ってビブラートを効かせ大音声だいおんじょうを響かせはじめたのは、なんと、さっきの金切り声おばさんであった。隣の車には、白髪交じりのオールバックおじさんもいる。


「Tale as old as time ♪」


 ロマンティックなメロディーに合わせて、二人は、アリアナ・グランデとジョン・レジェンドか昆夏美と山崎育三郎かを彷彿とさせる驚くべき美声でデュエットをしはじめた。先ほどの怒りや憎しみを帯びた声よりもよほどいい、美しい歌声である。


 周囲の人々も、歌と音楽に合わせて二人一組になって踊りはじめる。


「これって、なんの曲だっけ?聞いたことあるような気がするけど」

「美女と野獣よ。映画の主題歌で曲名もそのまま『美女と野獣』」

「そっか」


「「…………」」


「僕らも、踊ろうか」

「うん」


 ……あれ?僕らって、踊らされてるんだっけ?踊ってるんだったっけ?


 美しい旋律と歌声に包まれながら、僕らは踊った。

 僕はなんだか悲しかった。




 心理学者のユングによると人間は、無意識の深い部分、根では繋がっているという。それを集合的無意識と呼ぶらしい。それが事実かどうかは分からないが、いま僕たちは、一つの共通意識を持っていた。とでもいえようか。踊りながらに、肉体も精神もリンクして一個の大きな意識体となっている感覚だった。

 そして僕は、僕たちは、このロマンティックなダンスの後に最後の大きな波が来ることを予感していた。僕らを呑み込む大きな波が……。




 曲が終わる。演奏が止み、歌声も途切れた。


「でかい波が来るぞ」


 みんな身構えた。

 急に身体が硬直し、僕たちは膝を曲げて、低く腰を落とした。身体の前で腕を組んで、片足ずつ前へと突き出す。それを素早く繰り返す。


「コ、コサックダンスだーっ!」


 全員でコサックダンスを踊りはじめる。


「「「……「「「「ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!」」」」……」」」


 すぐに足腰がつらくなってきた。

 それでも、


「「「……「「「「ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!」」」」……」」」


 踊るのをやめられない。

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