第30話 西国一の勇将

 街道は両側から深い森に包まれている。

 その中をゆく尼子軍の前に一筋の清流があらわれた。これは飯梨いいなし川の源流にあたった。


 鹿之助は全軍に休憩を命じた。兵たちは思い思いにその川の水を汲み、顔を洗い、湯を沸かし始める。


「この水が月山富田城まで続いているんだ」

 早春の飯梨川は、まだ雪解け水の冷たさを残している。川岸に腰を下ろし流れに足を浸した冴名は、至福の表情で晴れた空を見上げた。

「ああ、気持ちいい」


 小休止を終え、さらにもう少し進むと比田ひだという集落があった。

「すまない鹿之助。どうしても行きたい所がある」

 藪中やぶなか茨之介いばらのすけが両手を合わせる。


「この奥に、金屋子かなやご神を祀った神社があってな。そこに参拝したいのだ」

 金屋子神とは製鉄の神、女神である。製鉄を生業とする茨之介たち、たたら衆にとっては最も尊崇している神だった。この女神の機嫌を損ねると玉鋼の出来に影響すると云われ、たたら衆はみな深く畏れ敬っている。

 しかも、この山間にあるのが全国にある金屋子神社の総本社なのだという。


「おれも羽根尾はねおさまをはじめ、山内さんない(たたら場)の人たちには世話になった。これも縁だ、一緒に参拝させてくれ」

「わたしも行きます」

 鹿之助と冴名も同行することになった。


「そんなに遠くはないようだ。すぐに追いつくので、それまで頼みます」

 鹿之助は行軍の指揮を立原久綱に任せると、街道を外れ、神社のある小高い丘を目指した。

 しばらく上り坂を歩いていると、程なく小さな鳥居が見えてきた。


 その鳥居をくぐり参道を進むと、広い境内を持つ思いのほか立派な神社が建っていた。これが製鉄の神を祀った金屋子神社らしい。

「ほう」

 鹿之助と冴名は思わず息を呑んだ。

 出雲地方に多い大社造りと呼ばれる建築様式ではない。どこか天満宮にも似て、唐風からふうの雰囲気を感じさせる。その荘厳さに、ふたりは自然と頭を垂れた。

 

「感謝するぞ鹿之助。ぜひ一度、参拝したいと思い続けていたのだ」

 参道を下りながら茨之介は振り返り、笑顔で鹿之助の肩を叩いた。

「これでもう、思い残すことはない」

 

 ☆


 尼子軍が鳥取城のみならず、因幡、伯耆そして出雲の諸城を抜き月山富田城へ迫っている、という報告は吉川元春を震撼させた。


 彼の前には三刀屋みとや久扶ひさすけ三沢為清みざわためきよがひれ伏している。播州三木城の援護を弟の小早川隆景に任せ、急遽、精鋭のみを率い出雲へ向けて進軍していた元春のもとに、この二人の敗将が逃げ込んで来たのだ。

「尼子の大軍勢の前に手立て無く、このような次第。申し訳ありませぬ」

 三沢為清が地面に頭を擦り付ける。


 ふん、と元春は不満も顕わに顔をしかめた。

「それで、その数は」

 

 三刀屋久扶は冷や汗にまみれた顔をあげ、しばらく考えこんでいた。

「は。それはもう、一万をはるかに超すかと」

 震える声でようやく答える。


 元春は舌打ちしそうになるのを、やっと、こらえた。山陰各地に残る尼子恩顧の国人領主、いまは残党というべきだろうが、それらを全て集めたとて一万などありえない。良くてもその半分に届くかどうかだ。おそらく実数は三千前後だろう。


「分かった。そなたらは我らの邪魔にならぬ場所に陣を張るがいい」

 そう冷たく言い放つと、吉川元春は床几を立った。


 ☆


「富田城にはすでに毛利の増援が入り、周辺の山も砦が築かれています」

 偵察のため先行していた阿井あいが戻って報告する。

 鹿之助が本陣にと考えていた京羅木山きょうらぎさんも、既に毛利兵によって要塞化されているという。

 この京羅木山は、かつて大内義隆が出雲攻略を目指して侵攻してきた際、本陣を据えた山である。飯梨川をはさみ富田城と対峙する絶好の位置にあるのだが、それだけに、むざむざと放置される筈も無かった。


「さすが吉川元春。我らが鳥取城を陥落せしめた時点から手を打っていたか」

 そうでなければ、ここまで完璧な防御態勢を築くことが出来るはずも無い。鹿之助はやむなく、月山富田城からやや離れた布部ふべ山へ陣を構えた。


 富田城を攻めるにあたり、鹿之助がまず考えたのは本丸裏の間道である。もちろん軍勢を攻め登らせるのは不可能だが、単身、内部に侵入し混乱を起こさせる事は十分に可能だと思ったのだ。あわよくば内側から城門を開き、その隙に突入すればよい、と。


 しかしその鹿之助の思惑は外れた。


 かつて鹿之助と冴名、新右衛門が登ったその急斜面は、新たに築かれた防柵によって塞がれていた。そしてその理由に思い当たった鹿之助は嘆息した。

「義久さまか」

 この間道が存在する事を知る者は鹿之助の旧主、義久しかいない。毛利に降った義久はあろうことか、富田城攻略の切り札であったこの間道の存在を毛利方に洩らしていたらしい。


「そんな顔をしないの。あんな奇策は何度も使うものじゃないでしょ。ねっ!」

 冴名は笑顔で鹿之助のみぞおちに拳を打ち込んだ。


 うげ、とうずくまる鹿之助を尻目に、冴名は握り締めた拳を何度も振る。

「それにしてもあの軟弱者。何をやってくれるの。本当に、信じられない」

 冴名も義久に対する怒りを抑えられなかったようだ。



 月山富田城は、あの毛利元就ですら正攻法を避けた程の難攻不落の堅城である。尼子軍のわずか二千ほどの兵力で歯が立つものではなかった。

 鹿之助は連日先頭に立って攻撃を仕掛け、幾度かは三の丸までの侵入に成功したものの、すぐに兵数に勝る城兵に撃退され、結局は城門付近での攻防に終始した。

 こうしていたずらに時間ばかりが過ぎていった。


 ☆


 そしてついに、鹿之助が最も危惧していた報告が入る。

 吉川元春率いる毛利の最精鋭軍が恐るべき速度で備中の国境を越え、ここ出雲へ侵入したというのである。


 西国一の勇将と称される吉川元春。率いるその兵数はおよそ八千。尼子軍の四倍にも及んだ。

 

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