第11話 尼子晴久、月山に死す

 月山富田城を囲んだ大内軍だったが、その峻険な地形のために、大軍の利を全く活かすことが出来ずにいた。城への登り口は大手を含め三つ程しかない。いずれも細く曲がりくねっており、道を塞がれれば、もう攻め手は無い。

 そう大きなものでは無いにせよ、寄せ手の被害ばかりが増えていった。


 月山とは川を挟んで対峙する京羅木山きょうらぎさんに陣を置いた大内義隆は、日に日に不機嫌の度が増していった。要するに飽きて来たのである。富田城のような小城、数日で陥とせるものと思っていたらしい。

「歌でも詠まねば、退屈でならぬ」

 山口から連れて来た連歌師を呼び、歌会で気を紛らせていた。


 そんな総大将の気分が麾下の兵に伝わらない筈がない。早くも大内の陣中に厭戦気分が広がり始めていた。


 ☆


 鹿之助と新右衛門は密かに大内の陣内に紛れ込んだ。

 篝火に照らされた中では、各地から駆り集められた兵が車座で酒盛りをしていた。泥酔し大声で喚き散らしているものまでいる。


「これは下手に目立たぬよう取り繕うより、普通にしている方が良いな」

 鉢屋衆としてしばしば敵陣へ潜入した事のある新右衛門はそう感じた。規律のゆるんだ軍の中では、その方がかえって目立たないものだ。


「なるほど。さすがは新右衛門だ」

 鹿之助も納得し、平然とした様子で敵陣内を闊歩する。目的は集積した兵糧を焼き払う事である。

 二人が世間話を交わす振りをしながら、それとなく陣内を探っていると突然、背後から誰何すいかされた。

「おい、貴様ら。尼子の間者だろう」

 酔いで目が座った男が、ゆらゆらと歩いて来る。


「違うぞ。何をいうか」

 新右衛門はそれを無視するように、その場を離れる。

「待て。待たんか。――おい、ここに出雲訛りのものがいる。間者に違いない。皆、こやつらを捕らえるのだ」

 その男は人を呼び集め始めた。



「おい、新右衛門。なすて、おらやつが出雲えずも人と分かったんだらぁか」

(新右衛門。どうして、おれたちが出雲の出身だと分かったのだろうか)

「それは……」

 新右衛門は悔やんだ。まさか普段の鹿之助の出雲訛りがこんなに強いとは思わなかったのだ。余計な事を提案してしまった。

 その間にも、続々と兵が集まって来る。


「け、こらぁ、えけんが。はやこと火ぃ付けてのうじぇ、新右衛門」

(これは、まずいぞ。早く放火して撤退だ、新右衛門)

「お、おう」

 夜目が効く新右衛門は、すぐに兵糧の集積場所を見つけた。


「よし。おらが焼いちゃーけぇの。……ぁあだん。こら、火が消ぇーちょーがの。ま、何と、事になーせんがぁ」

(よし、おれが火をつけるぞ。ああ、しまった。火縄の火が消えてしまっているではないか。なんと、おれとしたことが)

 火薬の袋と消えた火縄を手に憤然としている鹿之助に、新右衛門は篝火の中から薪を掴みだし、鹿之助に放った。

「これを使え、鹿之助」


「だんだん、だんだん。おお、えしこに火が点いたぞね。しゃ、はや逃げーかのう」

(ありがとう。よし、上手い具合に火が点いた。では、さっさと逃げ出すぞ)


「うむ。だが、どうしてここまで緊迫感が出ないのだろう」

 思わず呟いた新右衛門だった。だが鹿之助には意味が分からなかったらしい。不思議そうに首をかしげた。



 同じころ、大内の陣からは何本もの炎が噴き上がった。それはすべて、潜入した鉢屋衆が兵糧を焼き払ったことに依るものだった。


 翌朝、大内義隆は焼け焦げた食料と軍需物資の残骸を目の当たりにして、膝から崩れ落ちる。義隆は虚ろな眼を見開き、声にならない呻き声をあげた。

 それを冷ややかに見下ろす陶 隆房も表情は硬い。


 失意の大内義隆に、さらに切迫した報せが追い打ちを掛けた。

 大内軍が置き捨ててきた赤名あかな三刀屋みとや大西だいさ三沢みざわの諸城が突如、その城門を開いて討って出たのだった。すでに後方の陣では戦闘が起きているらしい。


 義隆は陶 隆房を殿しんがりに残し、北の宍道しんじ方面へ向けて退却を始めた。総大将の敵前逃亡に、大内軍は一気に崩れ立った。

 


「これは遅れて合流したのが、かえって幸いしたか」

 大内軍の最も外縁に布陣していた毛利元就は、即座に軍を纏め戦場を離脱する。それは、狭い谷間に集結した為、碌に動きの取れなくなった他の部隊とは異なり、陣形を保ったままの撤退となった。


「元春、この地形をよく見ておけ。そしてお前なら、この城をどう攻めるか、とくと考えておくのだ」

 元春は無言で頷くと、手にした鞭を振り上げた。

「これより、郡山こおりやま城へ帰還する。遅れるな」


 ☆


 尼子晴久は月山を下り、飯梨川の河原に本陣を据えた。

 もはや、戦は掃討戦の様相を呈している。敵方の武将の首を携え、首実検に供する者が引きも切らない。

「そうか、これほどの剛の者を討ったか。それは見事」

 晴久は称賛と共に、その者の名と討ち取った敵将の名を記録させていく。


 大内方として参戦していた者も、多くが尼子への忠誠を誓うため、本陣を訪れて来た。

「過去は問わぬ。これからは尼子の為に力を尽くしてくれ」

 晴久はその者たち、それぞれの手を取り肩を抱いて歓迎する。


「なるほど、鷹揚でこだわりの無いところなどは、先代経久どのの風がある。これからが尼子の全盛期となるだろうな」

 晴久に接した者は皆、そう言って感歎した。

 

「お館さま、出立の用意が整いました」

 立原久綱が声を掛ける。晴久はここ月山から陣を進め、宍道湖を望む白鹿しらが城へ向かうのだった。

 大内義隆はおそらく美保関から海路、周防へ逃げるつもりだろう。そこを追撃するのだ。


「……!」

 突然、立原久綱が肩を押え蹲った。

「久綱!」

 駆け寄ろうとした晴久も背中に激痛を感じた。すぐに、矢を受けたのだと分かった。二本、三本とそれは続く。

 片膝を突き振り向いた晴久の目に、弓を手にした兵たちの姿が映る。先頭に立つ男には覚えがあった。

「新宮、敬久たかひさか……」


 晴久が誅殺した新宮党、国久の末子である。傲慢さは父譲りとしても、家中の評判はそこまで悪い男ではなかった。晴久もこの敬久を信頼して、残った新宮一族を任せたのだった。

 暗く霞んでいく視界の中で、敬久が他の武士に斬られるのが見えた。

「……なぜだ」

 

 尼子晴久は月山の麓に倒れ、二度と立上る事はなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る