第8話 毛利は謀略の牙を剥く

 安芸吉田 郡山こおりやま城。ここが現在の毛利元就の居城である。

 この城の主は絵図面を睨み、深く考え込んでいた。描かれているのは安芸、備後、出雲、石見の各地方に置かれた城塞の配置である。

 その中でも最も大きく描かれているのは出雲の月山がっさん富田とだ城だ。


「父上、よろしいでしょうか」

 廊下から声が掛けられる。声は元就の長子 隆元たかもとである。

 隆元は静かに、元就の前に座った。

「出雲に放った忍びが戻りません。おそらく尼子の領内で消息を絶ったものと思われます」


 ふむ、と元就は絵図面の富田城を見やった。

「それで」

 先を促され隆元は目を細めた。普段は物腰も柔らかく誠実な青年武将で通っているが、彼がふと見せる表情は、謀将と呼ばれる元就の若い頃に瓜二つだった。

 そしてそれは獲物を狙う猛禽類を思わせる。


「その者には、となる手紙を持たせておりました。今頃は尼子晴久の手に渡っている頃でしょう」

「だが果たして掛かるかな。そのような見え透いた手に」

 挑発するような父の言葉に、隆元は薄っすらと笑みを浮かべた。誠実そのものな表の顔から、冷徹な内面が冷ややかな炎と共に姿を現す。


「かねてより、我が家とも縁戚である吉川きっかわ家を通じ、新宮国久と尼子晴久との対立を煽っておきました。これは必ず最後のひと押しとなりましょう」

 それを聞いて元就は満足げに頷いた。


 元就には三人の男子がある。

 次男 元春もとはるは武勇に優れ、いずれ一軍の総帥となることが決まっている。三男の隆景たかかげは常に冷静に状況を判断する智謀の持ち主である。

 彼らは間違いなく元就の才能の一面を受け継いでいるのだ。

「しかし、それだけでは足りない」

 元就は目の前の隆元を見た。


『はかりごと多きは勝ち、少なきは滅びる』

 そう自ら語った元就である。そして彼の謀略の才を受け継いだのは、この隆元であるらしい。短期間の間に見事、尼子の家中にくさびを打ち込むのに成功したようだ。


「では、尼子にはしばらく同士討ちをしていて貰うとしよう」


 ☆


 鹿之助は明智十兵衛光秀を見送るため、ともに月山富田城を下っていく。

「越前とは、また遠いですね」

 十兵衛はこのまま日本海沿いを東向し、越前の朝倉氏を訪れるのだという。鹿之助は、その国名こそ知識として知っていても、果たしてどのような所なのか、まったく想像がつかない。

「鹿之助どの。朝倉氏も尼子氏と変わるところはありませんよ」

 朝倉もまた、守護である斯波しば氏を追って当地の太守となった、いわゆる戦国大名のひとつなのである。


「明智さまは、こんな世をどう思われますか」

 この戦国の世は、旧来の秩序がことごとく失われていく。それを守ろうとするのが正義なのか、それとも破壊する方が正義なのか。

 

 鹿之助の問いに、十兵衛は少し哀しそうな目をした。

「すべては、後の世が決める事でしょう。ですから我らは、自らが信じる事を行うしかありません」

 


「ここが新宮しんぐう谷ですか」

 飯梨川にそって北へ向かう途中、十兵衛は東の方角を見やった。やや深い谷沿いに集落が点在している。彼方に見える塀で囲まれた屋敷が新宮党の館だろう。

「はい」

 短く鹿之助は答える。


 十兵衛は軽く鹿之助の背中を叩くと、片手をあげた。

「では、ご武運を祈っています。山中鹿之助幸盛どの」

「明智十兵衛光秀さま。もしまた会う事がありましたら、共に戦いたいものです」

 十兵衛は朗らかな笑みを浮かべる。

「ええ。叶うなら、新右衛門どのと、冴名どのも」

「はい。必ず」


 ☆


 富田城の城下を通る街道沿いに、男が息絶え倒れているのが発見されたのは、それから間もなくの事である。

 背中を一刀の下に斬られた男は、懐に密書を忍ばせていた。そこには毛利の月山富田城攻めに呼応し、背後の新宮谷から兵を挙げるとした新宮党の長、国久の陰謀が記されていたのだった。

 それはすぐに、富田城の尼子晴久に伝えられた。


「どうだ、久綱。新宮党の叛意はこれで明らかとなった」

 尼子晴久は重臣の立原久綱を呼び、その書状を示した。しばらくそれを見詰めていた久綱はゆっくりと顔を上げた。

「まさか、これに乗るおつもりですか」


「ああ。これが毛利の謀略だとしても、いずれ奴らは除かねばならんのだ。毛利め、たまには役に立つこともするではないか」

 晴久はその書状を丁寧に畳んだ。

「久綱、陣触れをせよ。これから安芸へ出陣だとな」

 月山富田城の櫓に据えられた太鼓が打ち鳴らされた。これは、家臣に登城せよという合図である。太鼓の音は、川を挟んだ山々に反響した。



 城下の尼子の家臣たちは続々と月山富田城へ登ってくる。

 その中には新宮党、尼子国久、誠久さねひさらの姿もあった。そして城門の内には、武装した侍たちが待ち構えていた。

 



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