第5話 美濃からの来訪者

 尼子あまご晴久はるひさはこの三人を見て、ついに笑いを押えられなくなった。特に冴名さなは泥だらけになっているのだ。一体何があったのだろうか。


冴名すぁな、おまぇ、け。さ、どげすただ」

(冴名、お前それはどうしたのだ)


「ああ、殿さん。この鹿すか之助がぁ、おらぉ谷へ落とすただがにぇ。まあ、ほんに、け、らしゃあない男で、えけんですわ」

(お館さま。この鹿之助が私を谷に落としたのです。本当にどうしようもない男で、始末に負えませんよ)


「そげかぁ。まぁ、おらが後で叱っちゃぁけん。こかぁ、おらの顔をたてぇて、こらえてごしない。のう、冴名」

(そうか。わたしが叱っておくので、ここは、私に免じて我慢してくれよ、冴名)


 おそらく出雲弁で、このような会話がなされたのだろう。

 晴久と冴名、鹿之助、そして新右衛門は館へ招かれた。


 ☆


「お待たせしましたな」

 晴久は、客が待つ座敷の上座に座った。もちろん冴名たちは縁側に控えている。


「いえ。このような丁重なおもてなし、身が縮む思いにございます」

 朗々としたイイ声が縁側まで響く。


 冴名は座敷の中を覗き込んだ。その来客は三十歳前後だろうか、ちょっとこの出雲地方では見たことがない程の美形だった。

 そのよく鍛え上げられた体躯と、脇に大小(佩刀はいとう)を置いているのを見ると武家の出身だと云う事はすぐに分かった。

 全国で戦乱が続くこの当時、各地の大名を巡り自分の技能を売り込もうとする浪人は多い。おそらくこの男もその一人なのだろう。


「ほら見て、鹿之助。すごく格好いい人だよ」

 小声で言う冴名。鹿之助はあからさまに不機嫌になった。

「何だよ。あいつも目は二つで鼻も一つ。おれとどこが違う」

「ほんと馬鹿だね、鹿之助は。お正月に福笑いをしたことが無いの」

 うん? と首を傾げる鹿之助。

「確かに。要はその配列次第だからな」

 となりで新右衛門も頷く。

「なにいいっ」


「おい、うるさいぞ。……すみませぬ、あれは我が家中の有望な者どもなので、特別に同席を許したのです。どうかご容赦を」

 晴久が客に頭を下げる。


「ほら、怒られたじゃない」

 冴名が鹿之助の脇腹をつつく。

「今のは、おれのせいじゃ無いと思うけどな」


 その客は彼らを見て柔和な笑みを浮かべた。あわてて鹿之助たちは正座したまま頭を下げる。


 晴久はその男に問いかけた。

「この出雲に、しばらくご滞在なさるご予定とか。私のみならず、この者たちにもあなたのお話を聞かせてやってはいただけませんか」

「ああ。これは過分なお言葉。もちろん私が知る限りの事をお教えいたしましょう」


 新右衛門はその男の脇に置かれた包みに目を留めた。細長く、子供の身長ほどもあるその包み。佩刀は既に外しているので、刀ではなさそうである。


 男は新右衛門の視線に気付いた。

「ああ、これは南蛮渡来の武器でござる」

 そう言って包みを解く。木製の台に固定された、黒光りする鉄の筒。禍々しい雰囲気をその全体に纏っている。


鉄砲てつはう、と云うものです。これが発する弾丸は、これまでの槍よりも、はるかに強力に鎧を貫通するのですよ」

 そういって男は鉄砲を構えた。


 次の瞬間、縁側にいた筈の新右衛門が晴久を庇うように前に立ち塞がった。


「……?!」

 そのあまりの素早さに、男は呆気に取られた。


 そして男はさらに、首筋にひやりと冷たいものを感じた。ゆっくりと首を巡らすと、頸動脈に沿って、ぴたりと白刃が押し当てられていた。


「それを、下げて頂けますか。客どの」

 男の背後に立った鹿之助が、押し殺した声で言った。


 ゆっくりと銃が床に下ろされるのを見届け、鹿之助は剣を引いた。

「ご無礼を。……どうぞ、お話を続け下さい」

 かちり、と剣を鞘に収め男の傍らに置くと、鹿之助は縁側に戻った。そして新右衛門も、その男から決して目を離さないまま、鹿之助に続く。


 大きく息をついた男は、両手を床に突き頭を下げる。

「これは大変御無礼を致しました。いや、まさかあの若年でここまでの手練れとは。なるほど見事な家臣をお持ちですな、尼子どのは」

 晴久は大きく笑った。

「いやいや。皆、まだ子供です」



「ところで」

 晴久はその客に呼びかけた。

「明智どのと申されましたな」

 男は顔を上げる。

「はい。私は美濃浪人、明智十兵衛光秀と申します。よろしくお願い致します」

 

 後に、鹿之助とも深いつながりを持つ事になる明智光秀。これが、その最初の出会いだった。



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