第13話 お人形さんのような部屋で

 安達は若菜の両親に挨拶を済ませ、ようやくマンションにやってきた。1DKの一人暮らし用の部屋は、若菜らしい白を基調としており、まるでお人形さんの部屋みたいだ。そこにそぐわない巨人が乱入したみたいになってどこか居心地が悪い。

 安達はダイニングからなかなか一歩を踏み出せずにいた。あまりにも部屋が可愛らしくて眩しくて、自衛隊の8人部屋のむさ苦しい空間が現実なのか夢なのか分からなくなっていた。


(これが、シャバ……か)


「四季さん、そんなところに立ってないで座ってください。ほら、こっちにきて?」


 若菜に手を引かれ、安達は小さくてかわいいソファーに腰を下ろした。この空間にソファー、ベッド、テレビ、チェストがあり、ダイニングの奥にはキッチンがある。一人暮らしをしたことのない安達には刺激的な空間であった。


「大丈夫? 傷が痛むんですか」

「いえ。こんなキラキラした部屋は初めてなもので」

「キラキラ? もう、何を言ってるんだか。こんなの一般的ですよ。でも、駐屯地にはないですよね」

「ないですね。ぜんぶが自衛隊丸出しの色で統一されていますからね。まあ、女性隊員の部屋は少しは違うのかな。分かりませんが」

「はい、お茶です」

「ありがとう」


 ソファーに座ってみたものの、踏み壊してしまわないかとなかなか深く座れない。とりあえずお茶をいただこうと湯呑みを持った。まるでこれはあなた専用と言わんばかりの馴染み具合に安達は驚いた。凹凸のある陶器の湯呑みは手で持った時に指がいい具合に引っかかる。


「それから、お団子があるんです。食べません?」

「いただきます」


 お茶は玉露だろうか、渋くはないが味が濃く香りがよい。出された団子はみたらしとあんこだった。


「うまい……しかもこのお茶に合いますね」

「よかった。今まで和菓子を食べてなかったからどうかなって思ったんですけど」

「甘いものは和洋問いません。節操ないのですが……芋栗も好きです」

「わたしもですよ! 四季さん。嬉しい」


 若菜は共通の好きに喜んだ。安達も若菜の嬉しそうな顔を見てこれほどに甘党な自分を褒めてやりたいと思ったことはない。

 男のくせにと言われてきたせいで、堂々と人前で食べることを避けてきた。しかし、若菜に出会って大袈裟かもしれないが世界は変わった。


「甘いものが好きな男なんて格好悪いと思っていたんです。酒が飲めてこそ男なイメージが強いでしょう。しかもこんな見た目ですからね」

「ギャップ萌えですね。でも、これからはその萌えを感じるのはわたしだけの特権ですから」

「若菜さん」


 小さなローテーブル越しに若菜が微笑む。距離にして30センチほど、手を伸ばせば簡単に触れられる距離に安達は戸惑う。


(近すぎるだろう!)


 その柔らかい頬に触れてみたい。このみたらし団子と君の頬、どっちが弾力があるだろうか。小さな口に運ばれるみたらし団子のタレが、若菜の唇をいたずらにもてあそぶ。唇の端に付着したタレを若菜の赤い舌がペロリと拭った。


(くっそ……)


 思わず安達はテーブルに突っ伏してしまうのであった。



 ◇



 夕方に退院してきたせいで外はすっかり暗くなっていた。若菜はいつ準備をしたのか手際よくおかずをテーブルに並べた。


「すごいな。これ、ぜんぶ若菜さんが?」

「はい。あ、このお漬物は母が漬けたものですけどね」

「休みの日にこんなにたくさんの種類が食べられるなんて、同僚に恨まれそうだ」

「あら、食堂は開いてないんですか?」

「土日はやってないですね。共有の台所で料理をする者もいますが、たいていはカップヌードルになってしまいます」

「そうなんですね。じゃあ今日はたくさん食べてください。多めに作ったので」


 白いご飯にとてもよく合う和食中心のおかずだった。若菜が作る料理はどれも安達の口にあった。料理は家庭の文化が色濃く出るものだとお思う。薄味だったり、濃い味だったり、調味料の味噌や醤油にしても家庭で微妙に違う。そこはさすが醤油店の娘さん。味付けは抜群であった。

 安達はすっかり若菜の笑顔と料理に心も胃袋も別腹までも掴まれて、これ以上のない至福を味わっていた。


「そうだ。どうしてわたしが四季さんにお見合いを申し込んだかお話しするんでしたよね」

「ああ、はい。差し支えなければ知りたいです」


 一昨年前の駐屯地記念行事に若菜は来ていた。若い女性が自衛隊の、しかも陸上自衛隊の行事で駐屯地に訪れるなんて珍しいことだった。例えば自衛官に家族がいるとか、そういった関係者として招待されなければなかなかない。


「記念式典で四季さんたちの行進と模擬訓練を見ました。観覧席の、一番上から」

「あの席はたしか関係者しか座れなかった気がするのですが」

「実はですね、母の兄が陸上自衛官なんです。なんだか偉くなっちゃったみたいで、ご招待受けまして」

「なるほど。伯父様が自衛官でしたか」

「四季さんは他の皆さんより頭ひとつ出ていたし、勇ましくてずっと目が離せなくて。伯父に職権濫用させてお見合いを仕組んでもらったんです。ごめんなさい」

「いや、謝ることでは。まさか俺をそんな風に見てくれる女性がいたなんて、思いもよらなかったから。また叔母が無理を言ったのかと」

「無理を言ったのはわたしでした」


 若菜は安達を駐屯地の記念行事で見かけて一目惚れをした。そして、同じ自衛官である伯父に頼み込んで安達と引き合わせてもらったのだ。


「伯父様が自衛官とは、案外我々の世界は狭いのかもしれませんな……うん? 待てよ、伯父様が自衛官って……」


 安達は目まぐるしかった今日を振り返る。

 額の傷は浅かった。退院手続きをして部屋に戻ると連隊長が見舞いに来ていたし、なぜか安達をピンポイントで訪ねてきていた。しかも若菜と一緒に。


「若菜さん。伯父様って、まさかっ……今日お会いしたあのかただったりしますか」

「ふふふ。そのまさかだったりして」

「そのまさか。え、あっ! 連隊長が伯父様でしたか! なんと!」

「伯父さんは姪のわたしには甘いんです。ごめんなさい伯父をだしにしちゃって。でも、どうしても四季さんにお会いしたかったから」


 もう、今日一日で安達は何度驚いただろうか。いくら浅い傷とはいえ、ドキドキ、バクバクが酷くて傷がぱっくり開いてしまいそうだ。


(なんと! 俺は、連隊長のめいごさんを⁉︎)


 いろんなプレッシャーが安達を襲ったのはいうまでもない。


「それで連隊長は萌木醤油店の紙袋を提げていたのですね。なるほど……なるほど」


 姪っ子からの手土産ならば問題ない。


「近藤の伯父さんから、お醤油セットと交換で病室に案内してくれるって言われたので」

「えっ」


 まさかの袖の下であった。



 ◇



「もうこんな時間だわ。四季さんお風呂は? あっ、お風呂はまだダメよね。シャワーだけでもどうですか? なんならお背中を」

「わっ、若菜さん!」

「はい」

「病院で浴びてきましたのでお気遣いなく!」


 安達は大慌てで若菜の言葉を遮った。若菜の気持ちは十分に伝わっているし、お背中をの続きも容易に想像できた。


(お背中を流しましょうかって、それはまだ早いだろうぅぅ……)


「そうですか。では、もうあとは何もすることはないのですか?」

「えっと。薬を飲むのと、消毒してガーゼの取り替えくらいです」

「じゃあ! わたしが取り替えますね!」

「いやいや。とても見せられたものではないですよ。気分を悪くするかもしれない」

「大丈夫ですよっ」


 本当に縫った後は見ていて気持ちの良いものではないのだ。若菜の手を煩わせることはしたくなかったのに、いつものあの微笑みを向けられると断ることができなくなる。


「しかし……」

「諦めてください。わたし、頑固なんです。さあ、こっち向いてください。えっと、消毒セットはこれかしら?」

「あ、え、う、ああ……」


 思った以上に若菜は手際がよかった。少し眉を寄せて真剣な顔つきでガーゼを剥がし、病院からもらってきた消毒液をコットンに染み込ませて縫合している箇所を消毒していく。

 それこそ触れているか分からないくらいの優しい手つきで、ふわっ…ふわっとコットンを動かした。


「痛かったら言ってくださいね。遠慮なくですよ」

「はい。でも本当に痛くないのです」

「そう? よかった」


 若菜が膝立ちになって安達の傷の世話をする。目の前には女性らしいふくよかなものが、安達の目を襲った。思わず安達は目を閉じる。


(くっそ……俺はいったい何を考えているんだ! ばかやろう!)


 真面目すぎる安達には訓練よりも辛い状況下にあった。いっそ、傷が痛めばいいのに! もうわけの分からない願いを叫ぶ。


「はい。終わりました。それから、もう制服を脱いだらどうでしょう」

「そうですね。着替えます。ハンガーをお借りしてもよいですか」

「もちろんです! じゃあ寝るしたくをしないと」

「寝るしたく……」


(そうだった。俺はこの、お人形さんの部屋で寝るんだった! うおおおお)


 若菜の積極的すぎる行動に、もういろんな意味で安達のメンタルは極限に達しようとしていた。


 状況終了が見えないまま夜は更けていった。

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