オレンジジュース

枯れ尾花

第1話馬鹿は時にくっさい

 ゆらゆらと朝から人を不快にする揺れを生み出しながらも、人々を目的地に連れていく、そんな近代的で、科学的な乗り物である電車に今日も今日とて身を委ねる。

 三半規管が弱い俺にとってこの時間は、乗り物酔いと戦わなければならないまさに死闘の時間。

 ちなみにまだ1勝もしたことが無い。そんな地獄の時間。

 だが、高校3年生の俺にとってはそんな時間ですらも勉強しなければならない。

 同じ車両に乗るキャッキャウフフとしている他の高校の奴らや、同じ高校の後輩には必然的に殺意が沸いた。

 法律が許すなら、殺っちゃってたかもしれない。というのは建前で、実際はそんな事をするような頭のねじが100本くらい飛んでいる人間ではなく、ただのしがない、一般的で、平均的な者である。

 それはそうとして、勉強にはお供がどうしても必要な、集中力の続かない系である俺の今日のお供を紹介させていただきたい。

 本日は、リンゴジュースにした。

 リンゴジュースの天然糖分が眠気を軽減するという記事を少し前にネットで見つけたからだ。

 眠気を飛ばしたいのなら、カフェインの入った栄養ドリンクやら、コーヒを飲めよ、という声が聞こえるが、俺はどちらも苦手で飲めない。

 栄養ドリンクはなんだか飲んだらダメって感じの味がして体が拒否するし、コーヒは飲んだ瞬間、舌に膜が張ったような奇妙な感覚に襲われて、口にしたくない。

 つまりネットの嘘か本当かよく分からない、信用に足らない記事を鵜呑みにしたという訳だ。

 もちろん、ただのリンゴジュースという訳ではない。

 果汁100%の添加物がないものだ。

 そこにはこだわらせていただいている。





 話は変わるが、この勉強と乗り物酔いと戦う地獄の時間にも、1つの光、ヘブンズゲートが開かれる時間がある。

 高校の最寄り駅の2つ前にある駅。

 決して都会の大きな駅という訳ではなく、かといって、田舎の無人駅の様な過疎った駅という訳でもない、まさに普通、平凡、平坦な駅。

 そこから俺のいる車両に乗ってくる、1人の女神を迎い入れるかのように開く扉。それこそが俺の形容するヘブンズゲートだ。

 その女神というのは、俺と同じ高校で、同じ学年、同じクラスという、まさに恋が始まる予感というか、これがラブコメなら、彼女と俺が結ばれる伏線となるんだが、現実はそんな簡単ではない。

 彼女の名前は赤城宇黄音あかぎうきね。周りの女の子からは、うきちゃんやら、あかねんなんて呼ばれている。

 彼女に好意のある男や、仲のいい男からはウッキーやら猿なんて呼ばれてもいる。

 いわゆる、好きな女の子にちょっかいをかける、例のあれだ。

 こんなことするのは中学生までだと思っているそこのあなた、残念ながら高校生もするようです。

 俺から言わせれば、どっちが猿なんだって感じだ。

 そんな彼女は、御察しの通り、1軍女子。

 黒く、艶やかな、長い綺麗な髪を腰のあたりまで垂らし、前髪は眉毛が少しかかるあたりで綺麗に揃えられ、パッチリした目の奥には、現代の数字では表せられないほどのカラット数の輝き。

 スラっと、まさにモデルの様な体に、それ相応のお胸。(決して小さいとは言っていない。)

 つまり、3つぐらい飛び抜けて可愛い、パッと目立つ女の子という訳だ。

 そんな外見が良いと言う飛び抜けた特徴を持つ彼女と違って何もない俺は、まさにモブキャラ。

 ただ遠くから見守る事しかできない、拝むことしかできない。

 だが、そんな俺でもおそらく誰も知らないであろう、彼女の秘密を知っている。

 それは・・・・彼女は毎日欠かさずこの車両で100%のオレンジジュースを飲むという事だ。

 彼女のストローになりたいと、何度思ったことか。

 あんな感じでチューチュー吸ってくれるなら、無機物になる事もいとわない。

 むしろ望んでなる。

 神様。もし俺が今死んだら、異世界転生とかじゃなくて、彼女のストローに転生させてください。

 ・・・・とまぁ、こんなキモイ妄想はさておき、俺には1つ許せないことがあった。

 なんでオレンジジュースなんだよ!

 何を隠そう、俺はオレンジジュースが大嫌いだ。

 あんなゴキブリが着色料とか噂されるようなキモイ飲みもんを飲める奴の気が知れない。

 それだけじゃない。何と言ってもあの後味の苦み。

 あれがどうしてもだめだ。

 最初の甘酸っぱい感じはすこぶる良い。

 だが最後の苦みが全てを打ち消す。

 ゴーヤのように苦すぎるわけではない。

 残尿感というか、物事が綺麗に片付かなかった感じというか、何だかモヤっとする。

 そんな中途半端な感じ。

 それに、オレンジジュースは甘いものには全くと言って合わないし、しょっぱいものにもあまり合わない。

 そんなものを飲むくらいなら水で十分ではなかろうか。

 「間もなく、初山駅。初山駅。」

 どうやら最寄り駅に着くようだ。

 さて、今日も頑張るとしますか。





 電車を降り、駅から歩くこと20分。ようやく我が高校である『初山富田林学園』に到着した。

 名前の山やら林やらで想像できる通りド田舎で、良い風に言えば空気がおいしい、悪く言えば何もない、そんなところに佇んでいる。

 道こそ舗装されているものの、高い場所にあるため、ひたすら上り坂。

 歩いても歩いても田んぼ。全くと言っていいほどに景色が変わらない。

 6月も後半に差し掛かるこの時期、体中の水分が抜け出るかのように汗をかく。

 だがまぁ、学校に着けばこっちのもんで、朝練をしている野球部やらサッカー部やらを横目に、校内という影の楽園へと足を踏み入れる。

 『初山富田林学園』の良い所を挙げるとすれば、田舎というだけあって無駄に大きい校舎と、1年前に貼った人工芝のグラウンドくらいだろうか。

 探せばもっとあるんだろうが、なんせ俺は教室から基本出ない。

 学校をうろうろするほど陽キャではないんだからな。

 とまぁ、それは置いといて、俺は校舎内の階段を、ラストスパートの意気込みで1歩1歩重い足を上げながら上がる。

 我が3年4組の教室は2階にある。ちなみに1階は職員室やら校長室など、先生たちの部屋となっている場所が主だ。

 2階は3年の教室、3階は2年、4階は1年と年を取るごとに階段を上る数は減る、高齢者に優しい高校である。

 俺は2階までの階段をやっとの思いで登り切り、教室の扉を開けた。

 その刹那、文明の利器、いや、科学者の血と汗と涙の結晶であるクーラーの冷たい冷気が俺を迎え入れる。

 何と素晴らしいんだ。全ての知識人の皆様、これからも私たちのため、生活向上のためどうかよろしくお願いします。

 俺は心の中で感謝を念じつつ、自分の席へと向かう。

 向かうと言っても、俺の席は扉を開けて1番最初に見える机、つまり扉側の机の列の1番前。

 居眠りも、授業中に携帯を触ることも、何もできない席。

 誰もが嫌う席の1つである。

 まぁ、どうせ3年なんて勉強すればいいだけだし、席なんてどこでもいい・・・・訳でもない。

 『バァン!』

 「痛っ!あれ?」

 背中に音からは想像もつかないほどに軽く、弱っちい痛みが流れる。

 反射的に痛っ!とは言ってしまったものの、背中をさすられたも同然のような感覚。

 朝からこんなことをする奴は、交友関係の狭い俺にすれば、1+1よりも簡単な訳で。

 「よぉクロちゃん。今日も辛気臭い顔してんじゃねえか。馬鹿のくせして電車で勉強なんかしてるからそんな顔になるんだよ。馬鹿は勉強しても治らねぇよ。脳の改造手術受けるか、転生するか早急に選ぶべきだな。」

 そう、彼の名前は剛田力。名前の通り肩幅が広く、ゴツゴツしている。

 横は6ミリで刈り上げられ、前髪はドライヤーでピッチリ上げる、言わば今どきの運動部がしている髪型と言えば分かるだろうか。

 顔も堀の深い、男くさい顔をしている。

 まさに、漢、って感じのする彼だが、彼ほど見掛け倒しの人間はいない。

 肩幅が広くゴツゴツした体は、鍛え上げられた筋肉と言ったものではなく、ただただ、だらだらお菓子を食い、1日中寝っ転がって生活して付いた脂肪という名の怠慢。

 もちろんそんな奴に運動なんてできるはずもなく、ぱっと見クマのような腕からは26の握力、こん棒のように太い足からは50メートル走8秒台の体たらく。

 まさにはりぼて人間。見掛け倒しのバカ野郎である。

 だが、そんな奴でも、高校で出来た俺の唯一の友達なんだが・・・・友達辞めようかな。

 「勉強する馬鹿はまだ取り返しがつくんだよ。それにだ、お前俺より馬鹿じゃねぇか。少しは自分の心配をしろ。あと何度も言うが、クロちゃんはやめろ。俺の名前は緑川明人みどりかわあきとだ。クロちゃんと呼ばれる筋合いは無い。」

 「何言ってんだよ。緑を黒に変えりゃあたちまちあの世間を騒がすクロちゃんじゃねぇか。なぁそろそろ認めようぜ。そして自分のアイデンティティにするんだ。もう意地を張るのはやめるしん!ってな。」ケラケラと笑いながら、人の1番のコンプレックスであり、直すのがかなり困難な部分をチクチクと突き刺す。

 体育の着替えで自分の体がはりぼてなのを隠すためにトイレで着替えているのをチクってやろうか。

 「そんなことはどうでもいいんだ。緑、お前聞いたか?文化祭の配役、俺たちもしかしたら劇に出ないといけなくなるかもしれないぞ。」

 「ああ。これは由々しき事態だ。せっかく裏方が決まっていたのに、キャラを増やすという暴挙に出やがった。文化祭執行委員なんてクソくらえだ。」

 「おい。あんまり大きい声でそういうこと言うのはよせ。俺たち以外、ほとんどがやる気に満ち満ちてるんだ。ただでさえクラスでの肩身が狭いんだ。これ以上狭くなったらもはや無くなるぞ。」

 彼はひそひそと、悲しい真実、スクールカーストの恐ろしさを俺に告げた。

 分かっているさ、分かっているとも。でも、こう、たまには鬱憤を晴らさないと体がもたないじゃないか。

 「すまない。気を付ける。ちなみにどんなキャラが・・・・・・・・」俺がさらに彼へ質問しようとしたその刹那。俺の真横の扉が開く。

 朝礼の始まる3分前。そんなギリギリの時間。

 ガラガラガラと言う音を立てながら、長く艶やかな、見る人を惑わせる長い黒髪をなびかせて入室する1人の少女。

 「遅いよあかねん!」「ヤッホー。今日もギリギリだねぇ。」と言った一括りにすれば『おはよう』という意味の女の子たちの歓迎と、「ウッキーじゃん。」「今日も動物園からご苦労様、猿。」と言った一括りにすれば『好きです』といった意味の男からの歓迎を受けながら自分の席に荷物を置く。

 彼女は人類皆平等を語るかのように、すべての歓迎に分け隔てなく笑顔で返す。

 何と素晴らしいんだ。俺も歓迎のご挨拶したらあの笑顔くれるのか。

 やっちゃおうかな。危ない一線超えちゃおうかな。

 「・・・・おい。緑。おーい。」

 誰だよ。こんな大事な決断をしようとしている時に肩を揺らして来る奴は。俺の決意も揺らいじゃうじゃないか。

 「見すぎだーーーー。」

 「痛ってー!!」

 頭に鈍い痛みが走る。

 今度は反射的に言ったのでは無く、明確に痛みを感じた。

 この野郎、グーでどつきやがった。はりぼて野郎のクリームパンみてぇな拳でも一応拳は拳なんだな。

 「確かにめちゃ可愛いし、緑がウッキーちゃんを好きなのも知っている。」

 「おい。ちょっと待て。別に好きとかじゃ・・・・」

 「見るのが悪いとは言わねぇ。好きな人を見るのは犯罪でもねぇし、それは男にとっても女にとっても大切なことだ。」

 「だから、好きじゃ・・・・」

 「でもな・・・・緑、お前の目、やばかったぞ!俺が止めなきゃおめぇ今頃両手に過去も未来も否定され、拘束される、鉄の拘束具がつけられてたところだぞ!」

 「だから聞・・・・」

 「いつもの死んだ魚の様な目がガン開いて、血走って、いや、もう火花くらいは出てたよ!怖かったよ、あれは監禁とかする系のやばい奴の・・・・」

 「聞けって言ってんだろーがーーーー!!」

 俺の拳は天高く掲げられ、一気にある1点へ向けて振り下ろされた。

 「グアッ!!」

 「ハッハァー!!参ったか!何度も言わせやがって、この馬鹿野郎!」

 「馬鹿か、緑!お前の辞書に加減という2文字は無いのか!」

 「ふん!ゴリラみたいな図体してるくせに甘えるな!お前にはこれくらいが十分だ。」

 「そーかいそーかい。だがな忘れるなよ。今年が最後なんだぞ。そろそろ素直になるべきなんじゃぁーねぇのか。覚悟を決めるべきなんじゃぁーねぇのか。お前がそれでいいならいいけどよ。」

 「へっ!馬鹿のくせして何言ってやがんだか。口だけじゃなくセリフまで臭くなりやがって・・・・。」

 そんな俺たちのやり取りに終止符を打つかのようにチャイムが鳴った。

 チャイムというものは怖いもので、始まりを告げつつも、それと同時に終わりも告げる。

 今年に入ってからというもの、最後やら、終わりという言葉にすごく敏感になってしまう。

 考えれば考えるほど、このままでいいのか?これでいいのか?と自問自答している自分がいた。

 駄目だ駄目だ。あんな馬鹿の妄言に踊らされては・・・・。

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 



 

 

 

 

 

 

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