[29]

 区立中学校近くの駐車場で車を降りた紗耶達は特に何の弊害にも巻き込まれる事もなく、ガススタンドの横を通り過ぎて文化センター公園前の国道14号線に出て来ていた。

 通りには大型商業施設や中央図書館、区立小学校などがあるので普段ならば交通量や人々の往来も平均的にはあるであろう街は、いうまでもなく人影は見当たらない。戦闘行為により建物の外壁が崩落した影響で瓦礫が地面に散乱し、焼け焦げてフレームの溶けた車の残骸や迫撃砲または砲撃、はたまた爆撃攻撃によって形成されたであろうクレーターなどが散在していた。

 危険が潜んでいたり人員が不足していたりと碌な復興が行えない状況の中で、荒廃してしまった街の所々で割れたコンクリートの間から力強く芽吹いた草花の自然が、静かに街の侵食を開始していた。

 集団の後方を歩いていた諏訪はその光景に目を奪われ、BANSHEE MK10を両手で保持したまま通りで立ち止まっていると、背後から足音がゆっくりと近づいて来た。


「諏訪君、どうかしましたか?」


 諏訪は背後から呼ばれて振りかえるとスリングを体に斜め掛けにして、DDMK18を片手にした枇代が後方で諏訪を見つめながら立っていた。諏訪は枇代の方に歩き始めながら軽く頭を横に振った。


「いや、なんでもないよ」

「そうですか。何かあったら報告して下さいね」

「ああ、分かっているよ」

「諏訪、枇代!」


 奏が大声で呼ぶ声が聞こえて諏訪と枇代は顔を向けると、残りの護衛員と紗耶が集まっていた。首元に巻いたスカーフを口元からずらし、入念にカスタムされてサプレッサーを取り付けたDDM4 PDWを片手に奏が手招きをしている。


「集団から離れないで、逸れると面倒だから!」


 諏訪と枇代は顔を一瞬見つめ合ってから小走りに紗耶達の元に合流した。国道14号沿いの文化センター公園に入ると紗耶から護衛員各員は待機命令を受けた。諏訪は辺りを警戒しながらも一息ついて体を伸ばすと、頭上を夏朋が操作していると思わしきドローンが高速で飛行していった。

 向かう先には目的のポイントであるフェンス、準危険区域を区切った背の高い境界線がある。諏訪は既に見えなくなったドローンが飛んでいった方向に一瞬顔を向けてから、また地上に戻して周囲を見渡していると、左眼の視界端に黒い人影が写った。


「……ん?」


 諏訪達は入ってきた公園入り口方向にあるガスステーションに顔を向けるが、人影は確認できなかった。木々がいい感じに邪魔となっており、体を斜めに覗き込む様な姿勢でガスステーション方向を見つめていると、背後から二度軽く左肩を叩かれた。


「なーに、してるの?」


 諏訪は振り返ると左頬に黒い手袋に包まれている人差し指が押し込まれた。背後には紗耶と奏が立っており、指の主である紗耶は悪戯っ子の様に笑みを浮かべている。諏訪は眉を顰めて自分の頬に押し込まれる指を静かに払い除けた。


「なにを見てたの?」


 紗耶と反対に笑みを一切浮かべずに奏が問いかけてきた。諏訪は先ほど一瞬だけ人影の見えた方向に人差し指を向けると、二人の少女は指が指された方角へと顔を向けた。

 

「自分の見間違いかもしれんが、あそこにガスステーションがあるだろ? あそこら辺で人影らしきものが見えたんだ」

「あ、それか」


 奏がそう呟くと紗耶は諏訪の隣に立ち、遠くを眺める様に目を細めてから腰に手を当てた。


「ここに来ると毎回誰かに尾行されるんだよね。前に一度だけストーカーを確保して、身分を吐かせた事があったの。そいつは金銭に釣られて匿名で雇われたただの浮浪者だったから、雇い主の情報は得られずじまいだったんだよ」

「じゃあ自分が見た人影も、君が前に捕まえた雇われ浮浪者かもしれないという事かい?」

「まあね。だって、尾行少し下手だしね」

「もしかして、気づいてたのか?」

「放置された車のガラスに反射して、一瞬だけ黒い人影が見えたからね。幽霊じゃなくてよかったよ」


 紗耶の軽い冗談を聞いた諏訪が鼻を鳴らすと、夏朋の操縦するドローンが戻って来た。すると通信が入ったのか、紗耶はドローンを見上げ、PTTのボタンを押して「了解、ありがとう」と言った。そうして口笛を吹くと護衛員達が振り返ってきた。


「みんな、出発するよ」


 紗耶はそう言うと奏を引き連れて歩き始め、諏訪も一瞬だけガスステーションの方を振り向いてから紗耶の後に続くために歩き始めた。紗耶と護衛班一行は警戒しながら公園を抜け、総合文化センターの駐車場横を通る道路に出た。

 道路の先には小さな橋が掛かっており、そのすぐ先には有刺鉄線を備えているフェンスが設置されていた。それを超えた準危険区域側には一台のハイエースが止まっており、車の助手席側に二人の人物が立っているのが見えた。


「あの人達が合流相手か?」

「そう、萩野氏が寄越した案内人兼送迎人だよ」


 諏訪の問いに隣を歩く奏が答えていると、紗耶達はフェンスの前まで接近した。境界線の先でハイエース横に煙草を摘みながら立っていた男性の一人が紗耶の真ん前に近づき、フェンスを掴みながら左手に巻いたG-SHOCKが指す時刻を確認した。

 そうして低く小さく唸ると、銃を片手に握り、腰に手を当てている紗耶を見下ろした。


「集合時刻ピッタリ、約束通りだな」

「だって約束守らないと置いていくんでしょう?」

「ああ、分かってるじゃないか。辰正、頼んだ」

「はい」


 紗耶と話していた壮年と男性の後ろからフードを被った青年が歩み出て来ると、手に持っていた小型電動工具のディスクグラインダーを起動して、フェンスの切断を始めた。

 切断範囲は大人が屈まずに入れるほど広範囲であり、諏訪はそれを見ながら、どうやってバレずに隠蔽工作を図るのか疑問に思った。そうして切断が終わると青年は一息ついてから、切断した部分のフェンスを掴んで抜き取ってから地面に置いた。


「よし良いぞ、通れ」


 煙草を摘んだ壮年の男性にそう言われ、紗耶や護衛員達はそのまま境界線を抜けて準危険区域へと入っていった。諏訪も境界を超えてハイエースに近づいてから振り返ると、切断したフェンスを持ち上げた青年はそれを元々の位置に嵌め込んでいた。

 すると驚くべき事に切断された箇所が徐々に復元されていき、最終的には切断跡が跡形もなく消え去った。青年が振り返ると虹彩は微弱な青色に光っており、特異能力を使用したのだと理解した。


「諏訪、何してるんだ。早く乗れ」


 條太郎の声に諏訪も乗車してドアを閉めると、フェンス付近にいた二人の案内役の男達も乗り込み、そのままハイエースは走り出した。


◆◆◆◆◆


 その人物は総合文化センターの陰から顔を出して走り去るハイエースを見つめてから、再び隠れると上着のポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。そのスマホを握るのは全身黒色の服装に統一して、ニット帽にバラクラバを被り、さらにはサングラスを掛けた大柄な男性だ。体に斜め掛けしたスリングには、使い易い様にカスタムを施されているSIG M400 TREADが取り付けられている。

 電話アプリから連絡先を見つけ、通話ボタンを押してから耳に当てる。3回のコールの後に通話が繋がり、若い女性の声が聞こえてきた。


『はい、もしもし』

「監視係の4A9だ。監視任務についての報告があるので監視係報告担当に繋いで頂きたい」

『分かりました。少々お待ち下さい』


 電話口の向こうで、先ほどの女性が誰かを呼ぶ声が聞こえ、数十秒が経過した後に誰かが電話を握った音が聞こえてきた。そうして直後に聞こえてきた声は、彼が報告時にいつも聞く監視係報告担当を勤める低い男性の声であった。


『オーバーシアだ。4A9、報告を頼む』

「冬島紗耶のチームが萩野の案内人と合流し、準危険区域へと入るのを確認しました。道中では特にトラブルは確認できず、懸念していた自警団の襲撃もありませんでした。」

『チームに尾行を気付かせたか?』

「敢えて下手な尾行を演じたので、冬島紗耶と諏訪匡臣は勘付いた様子でした。もう一人の護衛の様子から察するに、我々を自警団のストーカー共と勘違いしてそうですね」

『それなら問題ないな』

「ええ。では、報告は以上となります。現在の任務は現刻を持って完了したので、監視係権限を待機中の5B27に移譲します」

『了解。4A9は直ちに撤収地点に向かえ』

「了解しました」


 4A9と名乗った監視係の男性はスマホを上着の中に戻すと、M400 TREADを持ち上げてのチャンバーチェックを行い、事前に定めていた撤収地点に向けて銃を構えながら走り出した。


◆◆◆◆◆


 ハイエースの中で揺られながら約二十分が経過した頃、諏訪は他の護衛員──特に董哉と瑠衣──の話し声を聞きながら、銃を片手で保持しながら荷台のドアを何気なしに見つめていた。


「それにしてもさ、諏訪君の服装やっぱり結構似合ってるよね。出発前も同じ様な事言ったけど」


 瑠衣から突然自身の名前を呼ばれ、諏訪は顔を向けると瑠衣がマジマジと見つめてきていた。その声に他の護衛員も諏訪の方を向くと、紗耶は奏の背後から覗き込む様に顔を向けてきた。


「なんか背格好や筋肉質な感じがあの子に似てるから、ちょっと面影があると思うんだよね」

「あー……お嬢の言う通りかもな。確かに言われてみれば、体格や背丈はあいつに似てるよ」


 董哉や紗耶の言う「あいつ」「あの子」を指す人物は、諏訪が護衛班に配属される前に在籍していた護衛員の少年で、二代目Jackson4の事である。

 條太郎が余分に買って手に余っていた黒いジーンズと特別に支給されたプレートキャリア以外、ウルフグレー色のソフトシェルジャケット、装備ベルトやヒップホルスターなどの装備は前任が冬島護衛班に補充員として異動してくる際、専用の服装や装備が無かったので事前に購入していた物だ。

 しかし、それら装備を身に付ける前に前任の護衛員は襲撃事件に遭遇してしまい、班内で丁度十五人目の殉職者となってしまったという事を、諏訪は紗耶から教えられていた。なので、その少年が置き去りにした装備を紗耶が倉庫から引っ張り出し、有効活用する為に諏訪が譲り受けたのである。


「今更だがサイズとか大丈夫だったか?」

「奇跡的に体格は同じくらいだったみたいで、着てみてキツく感じたりはしなかったよ」


 向かいに座る條太郎の問いに諏訪は穏やかな声色で応答すると、條太郎は軽く何度か頷いた。するとハイエースが停車して仕切り板の反対側、運転席の方向から強く三回ほど叩かれた。


「到着したようだね」


 紗耶はそう言って腰を上げると屈みながらドアに近づき、近くに座っていた諏訪と共に荷台のドアを開け放った。諏訪は紗耶に促されて最初に外へ降り立つと、到着した場所は向かいに線路が見渡せる三階建ての建物の駐車場だった。未だ錆びた看板が残っているので、かつては印刷所として、この建物は機能していた事が読み取れる。建物の入り口と思われるところには、何人かの薄汚れた服を着てAKと拳銃を持った男達が集まって話しているも確認することが出来た。

 諏訪は建物の看板から視線を逸らして向かい側に敷かれている線路を眺めていると、背後から肩を叩かれて振り返った。振り向いた先にはMP7A2を握っている瑠衣がおり、穏やかな表情で親指をハイエースから降りて辺りを見渡していた護衛員達に向けた。


「大丈夫? もう行くよ」

「ああ、悪い」


 諏訪はそう言うと、瑠衣と並ぶように集まっている護衛員と紗耶の方向に向けて歩き始めた。

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