4 出会い

「——ヤッター、これでこのソフトも完成したぞ。これから俺は金持ちも夢じゃないんだ。金が入ったら何を買おうかな? アハハッハ。自然と笑いがこみ上げてくるぜ」


 自宅のアパートで一人高笑いをしている男がいた。彼の名は『原岸光太郎はらぎしこうたろう』三十才。彼はパソコンソフトを立ち上げた。当時、まだパソコンは普及していなかった。時代は1980年代中盤。高額で難解、と云うイメージが強すぎて一般の家庭には置いてないのが普通だった。


 しかしこの男、先を見る眼が有るのか? いつかは家庭でパソコンを使う時代が必ず来ると信じていた。その為、一般用にソフトを一人黙々と開発していたのだ。


 このソフトを開発するのに約三年の歳月を掛けてしまった。当然ながら仕事はしていない。その計画を思い当たり仕事を辞めてしまった。幸いな事に、以前の仕事はパソコンを扱う業務だったので手馴れた物だった。


 しかしながら、三年と云う月日は重い。仕事をしていないのでお金が無い。生きる為には食べねばならない。その食費代さえも困っている。初めは退職金でまかなっていたが、見る見るうちにお金が無くなっていった。仕方がないのでバイトを時々やって、しのいでいた。だから、三年と言う時間が掛かったのだろう。


 そして彼は、やっとの事でソフトを立ち上げたのだった。その完成に舞い上がるのは、仕方が無い。待ち望んでいた念願の物だからだ。まさに感無量と云う言葉が当てはまってもいい。後は、このソフトを買ってくれる会社を探すか? 自分自身で会社を創るか? の所までこぎつけたのだ。嬉しくて仕方が無い。


「——さあ、前祝いだ。何か飲もう。……アレッ何も無い。仕方が無いな……」


 冷蔵庫の扉を開けた光太郎は、カラッポの中を見て少し落ち込んだ。お金が無いので何も買ってない。半ば諦めていたが、上着のポケットの中にジャリ銭が入っていたのを思い出した。上着のポケットをひっくり返して、ジャリ銭をぶちまける。それらを拾い集めて数えてみた。紙幣が一枚しか無いのが少し辛い。


「ヒイ、フウ、ミィ……。やりい、千五百円あったぞ。これならコンビニでビールとツマミが買えるぞ。よっしゃ、前祝だ。ビールでも飲もう……」


 そう独り言を呟くと光太郎は、ジャリ銭をズボンのポケットに入れて深夜のコンビニへ歩いて行った。


 蒸し暑い夏の夜。その夜は珍しく月も星も出ておらず、真っ暗な闇が何処までも続いていた。










「——チクショ――! あのクソ店長。いつかブッ殺してやる。おい、亮ちゃん聞いてくれよ~」

「なんだ、茂。又、仕事クビになったのかよ。お前も凝りねーなぁ」


 深夜のコンビニの前で座り込み、大声で話をしている若者二人が居た。店側から見れば明らかに営業妨害だ。しかし、この二人見るからに、かなりヤバイ格好をしている。


 髪を赤く染め上げ、ピンピンに立たせていて、鼻にピアスを三ケ着けている男が林茂はやししげるという。年は十七才。高校もろくに行かず、わずか一年で辞めてしまった。


 一方、金髪の長い髪の毛で茂の話を聞いている男は、奥田亮おくだりょうという。亮も高校へは行かず、毎日ブラブラしている。


 両方の親は心配して、専門学校や仕事の世話をしてみたが、長続きしない。本質は優しいのかも知れないが、二人共通して気が短い。そして喧嘩早やく、すぐに人を殴ってしまう癖がある。親の育て方が悪かったのかも知れない。こんな見た目が悪く、危なそうな奴等に注意をしたら何をされるか解った物では無い。当然、コンビニの店長も注意したいが、深夜なので我慢しているのだろう。


「オイ、茂。今度は一体、何やらかしたんだ? どうせ、お前の事だから、すぐに腹を立てて、誰かをぶん殴っちまったんじゃねーか? 当たりだろ?」

「違うよ~俺だって、いい加減その辺りは、わきまえる様になったんだぜ~。まぁ亮ちゃん、聞いてくれよー。親の紹介で板前に弟子入れしたんだよ~」

「オッ、板前か? 今度はスゲェ~じゃん。大将目指せよ~」

「違うよ~板前って言っても、チェーン店なんだよ。……だから~大将じゃなくて、店長なんだ。解る? この違い?」

「何だ?――。違いが解るかってか?……。お前、この俺にケンカ売っているのか?――。ア、アッーン、どうだ? 売ってるんなら、買うぞ? 茂。かかってこい。どうした、来いよ」

「頼むよ~亮ちゃん~。俺、亮ちゃんに、かないっこないから、勘弁してよ~」

「よ~し、解ればいい。……んで? 何だ? 何の話だっけ?」

「だから~その店長が言うに、【お前は皿を洗う時に、皿を壊しすぎだ】って言うから、【じゃぁ、テメエが手本を見せて見ろや~】って言い返したんだ。そしたら思い切りブン殴られたんだ」

「アハハハッ……。解る、解る。そりゃ~悔しいよな?」

「だろ? いつかは、あの野郎ブッ殺してやるんだ……」


 話の内容からして筋が通っていない。ってか意味が分からない。しかし、彼らに取っては大問題だ。常識では通用しない。彼らは自分を中心に地球が動いているぐらい大きな勘違いをして生きている。本当に悲しい事だ。


「チクショ――! 何か面白い事ないかなぁ?」

「有る訳ねぇだろ? 有りゃ、誰かがやってるぜ。大体、茂、オメェもうちょっと何か考えてから喋れ……」

「も~う、そんな親みたいな事言わないでくれよ……」


 意味も全く感じられない内容の話だ。


 そんな彼らの前を、無防備で歩く女がいた。由香里だ。夏なので薄手の服を一枚羽織っているだけだ。身体のラインが良くわかる様なブラウスとミニのスカートを履いている。夏の夜中にしては不用心すぎる。


 由香里は彼らの前を通り過ぎ、酒に酔って歩く姿も、フラフラしながらコンビニの中へと入っていった。


「ヒュー……! おい、亮ちゃん……いい女だな?」

「——オオッー……! 確かに……いいねぇ~」

「ちょっと、亮ちゃん……今、深夜だからあの女、やっちゃわない?」

「ヘヘへッ……茂、お前もスキだな? 今、俺も同じ事考えていたんだ」


 茂と亮。二人はコンビニ内の由香里を、獲物を狙う野獣の様に窓越しに眺めていた。


 スレンダーでスラリとして顔も美形だ。一時期では有るが、由香里はソープランドのNo1になった事もある。黙っていれば、モデルとしても通用する。そんな女が、深夜のコンビニでフラフラしている。獣の様な彼らの前にいる事は、ライオンの前に肉の塊を差し出すと云う事に等しい。窓越しに見える由香里を観ながら、二人は作戦を練った。


 一方、コンビニ内にいる由香里は、探し物の歯磨き粉を見つけると、無造作に掴んでレジに歩いて行った。


「五百二十円です。ありがとうございました」


 店員のマニュアル通りの言葉を背に受け、由香里はお金を払うと無表情に店を出た。未だ酒に酔ってまだ足元がおぼつかない。それでも由香里は、フラフラと自宅を目指した。




「おい、出てきちゃったよ。いいか? 後を付けてる事がバレない様にな……」

「解ったよ。で? 決行は?」

「あの角を曲がって、誰も居なかったら決行だ。いいか? 茂、俺が最初だぞ」

「解ってるよ……。亮ちゃん……」


 二人は由香里に気付かれない様に、そっと後を付け、作戦の決行を待った。


「おい、今、角を曲がったぞ。行くぞ」

「——OK……」


 二人は辺りに人気が無い事を確認すると、由香里目掛けて走って行った。由香里に追い付くと、亮が後ろから抱きしめ、茂が足を抱き抱え、由香里をビルとビルの間の路地へ連れて行った。一方、由香里は何が何だか解らないでいた。酒に酔っている為か、夢と現実の区別が付かないでいたのだ。 ——つ!なに?……。


 ——ドサッ——。


 由香里はまるで荷物の様に、路地裏のコンクリートの上に投げ出された。


「——うう……痛い。何?……」


 夢でない現実の痛みが腰に走る。痛みによって現実の世界に戻された。その現実とは、男が由香里の上に乗って、由香里の服を剥がそうとしている。暴れて押しのけようとするが、もう一人の男が両手を押さえ込んでいるのだ。暴れても所詮女は男二人には勝てない。


 犯される……怖い。そう思った瞬間、恐怖が由香里を包んだ。確かに仕事で体を売っているが、それは仕方が無く、仕事での事。それもいやいや行っている仕事なのだ。月明かりもビルのネオンも届かない暗闇の中、見知らぬ男二人に襲われるのとは訳が違う。由香里は必死の抵抗で声を出した。


「——キャッー……。誰かー助けて————!」


 大声を出し、暴れる由香里に業を煮やした亮は由香里に叫んだ。


「ウルセッ――! どうせ叫んだって、こんな夜中に誰も来やしないんだ。……静かにしろ。テメエ、ぶっ殺されってーのか?」


 月明かりも無い真っ暗な闇の中、時々道を走る車のライトがボンヤリと路地の奥を照らす。こんな言葉を聞くと恐怖が倍増してくる。確かに、亮は殴り掛かってきそうな勢いだ。


「亮ちゃん、早くやってしまえよ。俺、我慢が出来ねぇよ~」

「うるせー。茂は黙ってろ。オイもう一回、大声を出したら、ただじゃすまねぇぞ!解ったか?……」


 無理やり暴行される恐怖に由香里は氷付いていた。殺されるかも知れない……。と、そう思ったのだ。怖さと悔しさで涙が溢れてくる。


 ちくしょー、何でこんな目に、どうして? 怖い、だ、誰か助けて……。


 両手を押さえられている為、涙を拭く事も出来ない。由香里は観念し、暗いビルとビルの間の星の見えない夜空を見上げた。


 やがて由香里のブラウスを引きちぎり下着に手を掛けた瞬間、誰かが亮に声を掛けた。


「——よぅ、楽しそうだな? 何やってんだ?」


 その声に反応して、亮と茂は声の方を振り返った。しかし、暗闇の為か顔が見えない。道路側に人影が見える。


「——誰だ、テメエ?……。サツか?……」


 押し殺した様な声で亮が聞いた。静かなダミ声が路地に響く。


「警察じゃないよ。止めときな? 今なら見逃してやるよ。まだ未遂だろ? 今日晩の俺は、機嫌がいいんだ……早く向こうに行けよ」

「何だと? テメエ~サツじゃないんなら、アッチへ行けー。モタモタしてると、ぶっ殺すぞ、この野郎」

「止めときな。俺は強くは無いが、弱くはないぞ」

「何、訳わかんない事言ってんだーテメェ……」


 声の主が警察で無い様なので、一応は安心した様だ。しかし、今更ここまで来て止める訳にはいかない。そんなに素直では無い。素直なら学校に行っている。


 折角の楽しみを、何処の誰かに邪魔された事に憤りを覚え、亮はユックリと立ち上がり、いきなり相手に殴り掛かっていった。


「オリャー……」

「甘い、甘い」


 相手は亮の右パンチを左手で受けると、亮の右手首を自身の右手に持ち換え、自分の立ち位置を移動しながら、そのまま前回転に捻った。更に男は、腕を捻られた亮の後ろから曲がらない肘目掛けて、自分自身の左肘を大きく打ち下ろした。【ボキッ】 鈍い音と同時に悲鳴が路地裏の暗闇に響く。亮の右腕の肘が反対方向に曲がっている。瞬時の出来事だった。


「ギャッ——! 痛テェ——! ウウッ——」


 亮は右腕を折られた。あっと云う間だった。腕を折られた亮は、地面に這い蹲り悲鳴を上げている。


「ウギャ——! イテェ~ウウァ~ウ~~」

「ほ~らネ。だから言っただろ? 俺は、ケンカは好きじゃないんだ。オイ、お前。早く相棒を連れて帰れ」


 一方、茂は暗闇で相手の顔は見えないが、相手はただ者では無いと感じていた。しかし、此処で引く訳にはいかない。ここで引いたら、笑われてしまう。それに、後で亮に責められてしまう。例えかなわない相手でも、向かって行かなければならない。引けば、仲間を捨てる事になってしまう。これは不良と云うか、レールを外れた者達の暗黙のルール。茂も例外では無い。自分より強い亮が、こうもアッサリとやられてしまった。


 自分もやられる、と直感的に思った。茂の額にジワリと汗がにじむ。茂はズボンの後ろポケットからナイフを取り出し構えた。構えたナイフが、光のない闇に光る。


「この野郎——! ぶっ殺してやるー」


 時折走る車のライトが、路地の奥に光を灯す。茂の構えたナイフが反射で光り、お互いの顔が薄すらと見える。緊張感が上がってくるようだ。


「オイ、お前。ケンカにナイフを出したな。だったら、刺されても文句を言うなよ」

「ウルセェーこの野郎、死ね——!」


 茂は相手に斬りかかっていった。ナイフを振り回し、突っ込んでいった。ナイフを持った右手をブンブンと振り回すと、暗闇の為かナイフの間合いが掴めないのか、相手は茂のナイフを右腕に掠めてしまった。


「——ウッ……」


 茂のナイフに血が滴っている。


「——ヘッ……。テメエが悪いんだぜ? テメエが邪魔さえしなけりゃ、テメエや、亮ちゃんがケガなんてしなかったんだ。どうだ? 降参か?……。だったら、土下座な?……。ヒャッヒャッヒャ……」


 茂は有頂天になっている。まだ勝負の行方は付いていない。しかし、さっき亮が瞬殺され、まだ自分は頑張っている。しかも相手に傷を負わせている。これだけで、自分は少なくとも亮よりは強いと思いこんでいるのだ。しかし、実際の所そうでは無い。相手はいきなり腕を折った事に迷っていたのだ。何も此処までしなくても、と思っていた矢先にナイフを出された。だから、迷っていた所をやられたのだ。腕を切られた事に思い直し、情けは無用と怒りを露わにした。


「この野郎——! この傷の代償は払ってもらうからな……。覚悟しろよ」


 もし、人にオーラが見えるのならば、この男のオーラは赤く怒りに燃えていた事だろう。この男の怒りは女を襲っていた怒りではなく、自分自身を傷つけられた怒りに変わっていた。


「ウルセ——。死ね!」


 尚もナイフをブンブンとむやみやたらに振り回してくる茂の右腕を掴むと、右手首をひねる。痛みでナイフを握る茂の手が開きナイフが落ちる。右手を捕まれているので、茂は反射的に左手で殴りにかかった。しかし、相手の方が一枚も、二枚も上手だった。茂が左腕で殴りかかるホンの少し前、その男の膝蹴りが茂のミゾオチに入った。


「……グェッ……」


 ヒキガエルを踏んだ様な鈍い声がした後、茂は地面に倒れ込んだ。


「だから、止めとけって言ったんだ……」


 その男は倒れた茂の背中を歩きながら、由香里の所まで歩いて行った。


「——おい、大丈夫か?……」


 由香里は膝を抱える様に座り、恐怖で震えている。助けられた事に安心はしていない。未だ事の成り行きが解っていない。一種のパニック症になっている。助けてくれて優しく話し掛ける男が、襲った仲間だと思っている。


「————いやぁ~! こ、来ないで……」

「オイオイ、俺はアイツらの仲間なんかじゃない。落ち着けよ、ほら、よく見て見ろよ? アイツらはノビてるだろ?」


 時折走る車のライトが、路地にボンヤリと届く。由香里は言われた通り地面を見た。確かに地面に倒れている人が二人いる。 本当だ……ああっ~良かった……助かったんだ。途端に由香里の肩の力が抜ける。恐怖による緊張が体中を硬直させていたのだ。


「おい、アンタ。服が破れてボロボロじゃあないか? そんな格好じゃ、深夜でも歩けないだろ? 俺の服でも羽織ったらどうだ?……」


 その男は由香里の事を心配している。自分の着ていたシャツを脱ぎ捨てると、由香里にポンと投げた。


 由香里は改めて自分の体を見た。確かに服は破れ、肌がむき出しになっている。自分の体を両手で隠しながら、差し出されたシャツを羽織った。


「——いいの?……」

「ああ、シャツぐらい別にいいよ。肌着のランニングシャツが有るから、上半身裸じゃないから、夜中でも不審者には見えないだろう?」

「——あ、あ、ありがとう……」

「いや、いいって……所で、この路地から出ようか。早く家に帰りたいだろ?」

「うん……」


 由香里はようやく落ち着いて立ち上がろうとした。


「——痛い……」


 由香里の腰に激痛が走った。さっき、荷物の様に地面に投げられた時に、腰を強打したのだろう。これでは歩けない。


「おい、歩けれるか?」

「ううん、ダメ……。腰と足が痛いわ……」

「——そうか、じゃあ、これしかないな?」

「……うへっ?……」


 そう言うと、男は由香里の背中と両膝に手を回し「お姫様抱っこ」の状態で歩き出した。


「チョッとの間、辛抱してくれないか?」


 エエッ~何、これ、ど、どうしよう……。


 突然の出来事に、由香里は戸惑いを覚えたが、流れに身を任せる事にした。




  







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