6 答えを求めて


 自宅のアパートに戻り、泰三は考え続けていた。


 親友である佐藤の件で、泰三の心は壊れかけていた事に本人は気付かない。


 俺もいつかは死んでしまう。幸い、俺は孤児で独り身だから、いつ死んでも構わないからな……。その日が来るまで俺は、好きな事をしよう……。その内、何かが見つかるだろう……。


 狭くカーテンを引いた暗い部屋の中に居ると、考え方まで暗くなってしまう。 


 つい数ヶ月までは自殺寸前まで追い込まれていた。自分の間近な者の死を垣間見る事で、死に対する思いが、深い悲しみと更なる恐怖を覚えた。それらが混ざり合うと、人は冷静な思考から外れてしまう。……常識外れな事をやってしまう。……そう、狂うのだ。


 やがて泰三は、例のカードを財布から抜き出した。白く妖しい光を放っている。【もう二度と使わない】と思っていたが、無意識にカードに手が伸びていた。現実離れしたこの摩訶不思議なカード。もはや、もうこれしか無いのか?


「——やっぱり、これか?……。俺は、俺は、しかし、俺は……」


 真っ白な妖しい光を放つカードを見つめて、暫くの間泰三は考えた。


 ベットの上で体育座りをしながら、自分の頭を両ひざで包み込み、1時間考え込んだ。やがて、自らの顔を上げると思いつめた表情を一変させた。










「——さて、何に使おうか? そうだ、まず車だ。考えても分からない。取りあえず、思いつく事で、やりたい事をしよう……」


 泰三は財布を掴むと、外に出ていった。


 ATMでお金を一千万降ろすと、外車の中古ディーラーの店に向かった。前から目を付けていた。いつかは乗りたいと思っていた車が有る。事務所のドアを開け、側にいた店員に声を掛ける。


「——店長を呼んでくれないか?」


 おもむろに店員にいうと、暫くして店長がやって来た。


「あの赤のポルシェを俺に売ってくれ。いくらだ?」

「四百万でございますが……」

「いいよ、ほら。キャシュで払うから、今すぐ乗って帰りたいんだ」

「今すぐ、って訳にはいかないんですよ。お客様、無茶を言われても…こちらも色々と書類の手続きが有りますから」

「それをどうにかしてくれないか? って言ってるんだ。お宅に迷惑は掛けないし、名義変更の用紙は後で、郵送してくれれば良いんだから」


 渋る店長の目の前に百万円札の束を泰三は置き始める。次々と札束が重ねられていく。店長の顔色が変わりはじめる。現金払いなど上客だ。ここで、この客を手放すのはもったいない。しかし……。


「ここに、四百五十万ある。これでどうかな?」


 無茶を言っている。誰の目でも無茶振りだ。名義変更も有る。車庫証明変更は、警察関係でもある。自動車保険もしかり……。しかし、目の前に大金を置かれると誰でも心が動いてしまう。この店長も例外では無かった。重ねられた札束から目が離せられなくなってしまう。ゴクッ……。生唾を飲み笑顔を浮かべた。


「——解りました。すぐ給油して参りますので。その間、コチラの書類へご記入願います」

「ああ……」


 約三十分後に車が用意された。泰三は車に乗り込むと、颯爽さっそうと次の場所目指して車を走らせた。車を運転している泰三は有頂天だ。


「これだ、これ。この真っ赤なポルシェに俺は一度乗りたかったんだ。さすがポルシェ。ミッドシップのエンジン音が背中から響いて堪んねえや。ハッハッハ、最高だ。さて、お次は何にしようかな? 取り敢えず、服だ」


 次ぎに泰三は服を買った。アルマーニだ。腕時計はロレックス。靴はグッチ。首から下は、ブランド品で覆いつくされている。最後は髪型だ。美容院へ行き、今の流行りの髪型にしてもらった。以前、泰三の勤めていた会社の同僚に会っても、今の格好を見れば誰も泰三だとは気付かない程、彼は変わってしまった。


 車と身の回りの次といえば、性欲が入ってしまった。やはり女だ。営業で培った話術と、スポーツカーにブランド物を武器にナンパをしてみたが、中々思うように行かない。ホストと間違われてしまうようだ。


「ちぇ、面倒くさい……」


 おもむろに捨てセリフを吐くと、泰三は夜のネオン街に向かって車を走らせた。以前、通っていた、【ナイト・ドール】の加奈の事が頭を過ぎったが、痛い思い出なので自分自身に抑制を掛けていた。面倒だ。今更……。


 行き着いた先は風俗店だった。この店は高級ソープランド店として有名だ。とびっきりの美人とのセックスを想像しながら、店の入り口に車を止めると、泰三は勢いよく店のドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 正装しているが屈強で、どこか品の無い男が笑顔で出迎える。


「ちょっと店長を呼んでくれないか?」

「——私が店長ですが、何か?」


 奥から更に人相の悪い男が笑顔でやって来た。


 泰三は目の前の二人に飲まれない様に明るく振る舞った。


「実はこの店の女の子を一晩、借りたいんだが……」


 はぁ? 何言ってるんだコイツは? と思いながらも、店長は営業用の笑顔で対応する。


「お客さん、困りますよ。うちは、店で遊んでもらわないと……」

「別に、タダっていう訳じゃないよ。三十万円でどうだろう? これで、今から明日にはちゃんと此処へ返すからさぁ……。それにもし、明日女の子が帰って来なかったら、俺の免許証のコピーを今取らすから、これ持って警察でも行けばいいだろ? どうかな?」


 泰三は店長の目の前に、現金三十万円と免許証を置いた。1980当時の高卒の初任給は九万円程度だ。それが現ナマで、三十万円、目の前に有る。現金三十万円を見ると人の心は動く。店の店長も考えた。


 バカか、コイツは?……。確かに、今の時間帯から客を取っても、二~三人ぐらいだ。いくら、うちが高級店でも儲けが二十万が良いところだ。客が来ない閑古鳥の日もある事も事実。単純計算にしても十万の儲けだ。それに免許証のコピーが有れば、何か有ってもこの男を捕まえられる。よく見れば世間知らずの金持ちのボンボンみたいだ。その男の顔を横目で見ながら店長は決断した。


「——いいでしょう。で、お客さん、どの子がお好みですか?」


 店長はそう言うと、店の女の子達の写真が載ってるファイルを広げ、泰三に渡した。その隙に泰三の免許証のコピーも取り、車のナンバーも控えた。

 泰三は渡された写真のファイルをめくり、二度見直した。泰三の目が一人のスレンダーな女性に目が止まる。


「う~ん。この子がいい。蘭ちゃん」

「エッ、この子ですか? 他にもいい子いますよ」


 店長が驚いたのも仕方が無い。この店は仮にも高級店だ。粒ぞろいが揃っている。

確かに蘭は綺麗で一時期はNo,1にも成っていたが、最近は体調を崩し心配していたのだった。店長は蘭の事を気にして、他の子を進めてみた。


「いや、この子がいいよ」

「……そうですか、解りました。すぐに連れてきます」


 十分後、店長の後に蘭がついて来た。蘭は信じられないような顔をして泰三を見た。


「蘭です。よろしくお願いします……」

「お客さん、明日必ず連れて来て下さいね。うちの大事な子ですから…」

「ああ、解ってるよ。さあ、蘭ちゃん行こうか?」


 泰三は蘭を自分のポルシェの横に乗せると、夜の街に向かって走り去った。


 車の中で蘭は泰三に尋ねる。こういった事に慣れていない。それは泰三も同じ事。蘭は不安を隠すかの様に笑顔で話す。 


「あの~何処行くんですか?」


 どうしようか? 何処に行けばいいのか、俺にも解んねぇよ? この子の好きな所にまずは行ってみるか?


「う~ん。何処行こうか? まずは、お腹減ってないかい? 何か食べたい物がある?」


 泰三は戸惑いながら優しく蘭に話した。性欲は確保した。次は食欲だ。


「焼き肉が食べたいです……」


 焼肉か? それならいいや。フランス料理やイタリア料理へ連れて行け! って言ったらどうしようかと思ってたんだよ。作法なんてしらないからさぁ。あぁ~良かった。


「オッ、いいねぇ。でも、まず泊まる所を確保しようか」


 何処に泊まろうか? 安いホテルだとメッキが剥がれそうだしな~? 泰三は思案する。


 暫く市街地を走ると、大きなホテルが見えて来た。『オリエント・ホテル』だ。 この辺では高級ホテルで有名だ。料理も旨いし、有名人も時々利用している。料金も高いので有名だ。ツインの部屋でも軽く五万は取られる。

 

「よし、じゃぁ此処に泊まろう」


 泰三はおもむろに車のハンドルを切って、オリエント・ホテルの玄関先に着けた。玄関ではボーイが車のドアを開けてくれた。車はそのままボーイが乗り込んで、地下の駐車場へと向かった。


 泰三と蘭はホテルの中へ入っていった。ロビーへ入るとその豪華さに二人は驚いた。床は総大理石張り。色々な置物が配置され、見ただけで高価な物だと解ってしまう。シャンデリアがキラキラと輝いて別世界に来たのかと錯覚さえしてしまう。


「私、ここに来るのは初めてなんです……」


 どうしよう? 勢いで来ちまったけど、かなり高そうだ。ええい、こうなりゃ、ヤケクソだ。金なら幾らでもある。まずは平静を保たなくては……。


「そうか、実は俺もなんだ……」


 少し緊張気味なまま、泰三はフロントへ歩いて行った。


「予約してないんだけど、スイート・ルームは空いてるかい?」

「はい、ございます。一泊二十万ですけど、よろしいですか?」


 えぇっー? そんなにするの? 今更引き返せないんだけど……。


「いいよ……」

「では、係りの物が案内いたしますので」


 チクショー。……この野郎、ぼったくりやがって……。


 泰三の思いとは裏腹に、すぐにボーイがやって来て二人を案内した。エレベーターに乗って最上階を目指す。地上二十階建て。一番いい部屋だ。


 ボーイがドアを開けて中を案内する。部屋の中は、もの凄く広かった。畳で言えば三十畳はくだらない。フカフカの絨毯じゅうたんが広い部屋いっぱいに敷き詰められている。キングサイズのベッド。ジャグジーバスも夜景を見れるようにガラス張りである。大きなソファに大画面のTV。もの凄い装備だ。高いのも頷ける。


 ——げっ、凄げ~っじゃないか? 俺のアパートの比じゃあないぜ。泰三は部屋を見て唖然とした。 


 ふと我に返るとボーイがナカナカ部屋から出ないので、泰三は千円札をボーイのポケットにチップとして入れた。ボーイはすぐに出ていき部屋は二人だけになった。


「どうかな? 気に入ってもらえた?」

「すごーい。私、一度で良いからこんな所に泊まってみたかったの……」


 蘭は部屋の中を散策している。中々こんな高級ホテルには泊まれないからだ。しかも、スイートとくれば自慢にもなる。泰三は蘭へ声を掛けた。


「じゃぁ、蘭ちゃんメシ食いに行こうか?」

「ハイ……」


 二人は部屋を出てロビーに降りるとタクシーを頼んだ。タクシーに乗ると、焼き肉屋へと向かって行った。勿論、タクシー推薦の店に行く。


 焼き肉屋で二人は腹一杯食べた。特上ヒレ。特上ロース。特上カルビ。と全てが、特上だった。何だ、これは? 今までこんなの食った事がないよお……。二人同時に思った。


「すっごーい。私、特上なんて食べた事ないの。よくて上、特上って柔らかくて美味しいね? 何、これ? ヒレっていうの?……噛まなくてもお口の中で溶けて行っちゃいそう……。美味しいー……」


 ホテルが最上級だからケチケチ出来ねえよ~こうなりゃ、俺も楽しまないと。ええい、ヤケクソだ……どうにでもなれ。


「ああ、そうだね。良かったら、沢山食べてね。今夜は寝かせないよ~」

「もう、ヤダったら~」


 今夜は最高級の部屋に泊まることになり、極上の肉を食べた。これでお互いの相手が、愛する人なら至福の極みだったのかも知れない。金で買われた一晩だけの関係だが、蘭に取っては贅沢な夜だったのだ。勿論、泰三にとっても初めての豪遊だった。


 やがて二人はホテルに戻った。スイートルームのドアを開けて中に入ると、蘭は唇を泰三に押し当てて来た。キスをしたまま泰三は蘭を抱き上げベッドへ運ぶ。二人はベッドに倒れ込むと激しく愛し合った。ハァハァという荒い息と、ギシギシというベッドの音がスイートルームに響く。


 やがて声と音がしなくなった。泰三の腕に蘭は抱かれて横たわっている。


不意に蘭が話しかけた。


「ねぇ、アナタって何者?」


 やっぱり不審者に見えるのかな? でも、ちょっと見栄を張っちゃおうかな?


「白馬に乗った王子様じゃ無い事は確かだ。えへんっ……」

「フフフ、そりゃそうだけど。でもどこかのお金持ちなんでしょ?」


 やっぱ、そう見えるかな?


「違うよ。俺は三日前までサラリーマンだったんだよ」

「でも~ポルシェに乗ってるし、服はブランド品でしょ?」


 ちぇ、ブランド品だけかよ?


「まあな……」

「じゃぁ宝くじが当たったの?」

「まあ、そんな所かな? 会社の退職金でブラブラして、自分探しをやってるんだよ……」

「ふぅ~ん、いいなあ~。でも、それって?……」


 そんなに良い事では無い。自分の命を削って金を手に入れたのだから。しかしながら泰三は大事な事を忘れている。この一時の贅沢が出来るお陰は、自らの命を削ったお金で出来る事だと云う事を……。


 それから幾度となく泰三から求め愛し合った。途中腹が空くとルーム・サービスで食事を頼んだ。


 朝になると二人は起き、このホテルを後にした。蘭の表情は多少疲れて見えるようだが、泰三の方はサッパリした顔つきだった。満足感に満たされているようだ。


 泰三は蘭を、蘭の自宅へと送って行った。


「昨日はありがとう。まだ早いけど、今日はこれでお別れだ。これ受け取ってくれないかな? 昨夜のお礼だよ」


 泰三は蘭へ封筒を差し出した。蘭は封筒を受け取り中身を見た。現金だ。10万ある。驚きながら泰三に聞いた。


「いいんですか? 貰っても?」

「ああ、店には内緒だよ」

「本当に? ありがとうございます。又、お店にも来て下いね……」

「……」


 泰三は蘭を車から降ろすと、あてもなく車を走らせた。


 このように普段会話できそうもない美女とのセックスを、五日に一度繰り返す。


 又、暇な時には、競輪、競馬、ボートに行って、金を湯水のごとく使った。


 やがて一月もすると飽きてしまう。泰三は旅行する事にした。ずっと前から乗りたいと思っていた憧れのポルシェに乗って、気ままに旅をする。東京~名古屋~京都~神戸~九州。最後に九州から飛行機に乗って北海道へ……。これが泰三の立てたプランだった。


 思い立つとアパートの管理人へ電話し、部屋を引き払うと告げた。その敷金で部屋の物を処分してくれと頼み電話を切った。


 予定のプラン通りに東京を発って、名古屋~京都~神戸~九州へと南下して行く。もちろん、各滞在した首都では当然ながら金を湯水のごとく使った。平均三百万円は使っただろう。しかし、泰三の心は虚しかった。金を見せれば、蟻の様に人は集まり、何でもやりたい放題だ。しかしながら金だけの関係は寂しい。泰三もその辺りの事情は解っているみたいだが、泰三は何かを捜しているようにも見える。数ヶ月前までのサラリーマンの時は、金で買えない物は無いんじゃないかとさえ思っていた。


 しかし今は金が有る。有ると言っても自分の寿命と引き替えにした金だ。その命を削ってまで捜したい物とは一体、何なのだろうか? 泰三本人も解っていないのだろう。もはや、死に場所を求めている様にも見える。


 なぜ? 人は大金を持つと変わってしまうのだろうか? 人は何のために生まれ、生きているのだろうか? 俺は一体何の為に生きているのか? 俺はこの先一体何を求めて行けばいいのだろうか?


 泰三の心の中に絶え間なく問いかけてくる疑問の答えを、彼は見い出せられるだろうか? 会社の後輩、佐藤の死をキッカケに壊れ掛けた泰三の心が、見つけた答えというのは……。一体?……。






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