第6話 直前期の道標 1

「耐えた」


第一声はそれだった。

第一志望のボーダーラインを割らなかった。


判定は本当にギリギリのB判定。一点落としていればC判定だった。

しかし、作者はもともとマークが大の苦手で、共通テスト模試の判定は常にD判定かそれ以下だった。だから、B判定は耐えどころか、十二分に健闘したということだった。


ここから導き出される結論――「共通テスト模試の判定はアテにならない」。


そもそも共通テスト模試とは、本番は2日に分けて行われる試験を1日にギュッと濃縮して、朝8時から夜8時まで高校生を予備校に12時間にわたって軟禁、各教科の間の休み時間がたったの5分(本番は40分以上)とかいう本番環境とはかけ離れた苦行であって、どこも本番を模してないし、擬してもいない。

何も「模擬」になっていない試験の、何を信用しろというのだろうか。


実際共通テストの本番を受けてみれば、共テ模試とは全く別物だった。問題は模試ほど難しくないし、集中力には随分余裕を持てる。


高3の春や夏の段階で、作者の共通テスト模試の成績は4割とか5割とかその程度。12月の駿台の直前共テ模試に至っても、精々900点中の684点。精々7割ちょっとだ。それでも、本番は8割5分取れるのだ。

マークは記述とは全く違う文化である。共テ模試の成績を気にする必要は微塵もない。


現役生に強く勧めるのは、にしてくれ。


そもそもマーク対策は勉強という観点からしてもバカバカしい。

実力が伸びるのはだ。記述とは、思考過程を丸々回答欄に移していく作業なので、実力を養成する上で記述対策は申し分ない効果を発揮する。


他方、共通テストに求められるのは実力や思考力ではない。一般に共テは思考力と呼ばれるが、あれは嘘だ。真に必要なのは、処理能力、要約力と時間配分である。


だから、マーク対策で成長するのは「冷静さ」でしかない。

処理も、要約も、時間配分も、共テ演習の回数をこなすうちに自然と慣れて、冷静になっていく。「如何にパニックを回避するか」だけがこの共通テストの命題である。


実力があって、初めて共テ対策の舞台に上がれる。そこから共テ流の拳法を身につけるのだから、実力のついていない春や夏、初秋の段階でマーク対策をしても、そもそも実力がないのだから取れるわけがないし、実力あってこその拳法なのだから、意味もない。ぶっちゃけ無駄だ。痛ましい時間の浪費だ。


極論、共テ比率が33%(三分の一)を下回る国立文系が第一志望なら、共テ模試など、10月より前はとさえ思う。


共テなど春と夏は考えなくていい。それよりも、その遅れに遅れている英数をやれ。記述対策を通じて、修正に修正を加えて思考回路を最適化し、前を走る連中に死ぬ気で食らいつけ。何度でもいうが、特に数学は、夏の暗記数学(≒基礎力)の完成度合いによって、秋以降に成績が爆発しうる。秋以降に突き放せると信じて、パズルのピースを覚え、その組み上げ方つまり定石を覚えること。秋以降には、出題者の意図を測ることに努めること。




聞いてるか、東大、京大、一橋。

この3つに行きたきゃ共テ対策は12月までやるな!




さて、具体的な二次対策の話をしよう。

夏以降、私がこなした英語の問題集は以下の通り。


『POWER STAGE』:~8月

『鉄壁』:~直前期

『やっておきたい長文300』:8月

『Rise 2』:8月

『関正生のポラリス1』:8月

『関正生のポラリス2』:9月

『やっておきたい長文500』:9月~10月

『Rise 3』:9月~10月

『関正生のポラリス3』:10月

『やっておきたい長文700』:10月~12月

『阪大英語20か年/長文読解』:10月~11月

『例解和文英訳教本/公式運用編(蒼本)』:11月~直前期


長文読解において、音読は必須である。英語は表音文字によって記される言語であるため、どうしても発音ベースの言語になる。(表意文字主体の日本語や中国語でよくみられるような同音異義語が、英語では発生しえないのもその特性を示している)

だからこそ、発音は英語において速読力の要だ。英語脳は、発音ベースに成り立つ。


作者の通っていた半個別指導の英語塾は、各々の問題を進める個人を、教師が教えて回るという形態を取っていたので幾分騒がしく、作者は長文を読む折、バレないようにひそひそと音読していた。


の長文集は、その長文を繰り返し読む価値はある。

繰り返し時には音読を兼ねることで徐々に英語脳が息吹き、速読力が上がる。単語の確認にもなる。ただし、付属の問題を解く必要があるかは疑問だ。

問題の答えとか大筋は覚えてしまっているはずなので。


ゆえに、数学と比較すれば周回の重要性は薄れる。

秋になって数学がまだ未完成、あるいは「数学出来るかもしれない」という意識が一向に芽生えないようなら、英語長文集の二周目や三周目より、数学の暗記に時間を費やした方がいいだろう。数学にはあなたの逆転力が懸かってるので。


さて、その数学の話だ。

夏以降、私がこなした数学の問題集は以下の通り。



『チェックアンドリピート』:~8月

『大学への数学:一対一対応の練習』:6月~11月

『文系数学のプラチカ』:10月~12月



たった3種類。少ないだろう。

それくらい、英語と比べても周回が重要であるということだ。

同じ問題集は最低限3周――誰もがそう言うのは、理由がある。

残念ながら作者は間に合わず、プラチカは1周と間違えたところだけもう1周で時間切れになってしまったわけだが。


「あれ?過去問いつ解いてるの?」


そう問われるかもしれない。

意外かもしれないが、過去問対策とは『慣れ』だ。ある意味共テと似ているかもしれない。共テ対策よりかはやって実力の糧になるかもしれないが――やはり実力のないうちは、過去問の浪費、使い潰しになってしまう気がする。


何が言いたいか。

過去問は、共テ後からでも間に合うかもしれないということだ。


無論作者の年(2023年度)は共テから二次まで40日間、夏休み丸々一つ分の時間があったのも要因だろうが、過去問は40日で思ったより進むのだ。英数だけなら軽く15年分は進む。


ただし作者の場合は国語の過去問を、古文含めてほとんど解かなかったという事情もある。世界史も精々7年分、地理も精々5年分程度だ。

この辺りは自分の実力と相談すべきだ。作者のように、現代文と社会には自信があって、二次の古文を捨てる代わりに、英語の失点もろとも数学で挽回する――と決めている場合にのみ特効な、英数偏重の過去問対策は、ともすれば危険だろう。


志望する大学の過去問は、物見遊山で早いうちに一回だけやることは良い。

が、それ以上は秋までには手を付けないことをお勧めする。その暇があるなら問題集で実力を効率よく上げたほうがよい。


作者は、英語の過去問は11月後半から12月前半までに6年分こなし、共テ後に本格的に英語の過去問を隔日でこなした。合計で20年分だ。


数学の過去問は12月中に6年分こなし、共テ後には英語と隔日で15年分やった。

作者の志望校の文系数学は2002年から出題傾向が大幅に変わったので、それ以前をやる必要がなかったのは幸運だった。




さて、これまで何も触れなかった社会科の話をしよう。

地理。作者は趣味でやっていたので共テや二次の過去問以外に特段対策はしなかった。が、地理は思考力ゲーなので、演習の積み重ねがモノを言う。何度もこなして、地道に思考回路に修正を重ねていくしかないと思う。

参考書とかは学校で配られるもの(『新説地理資料 COMPLETE』)以外には特段買わなかった。


世界史。これは共テ前、11月から本格的に対策を始めた。大嫌いな古代、中世アジア、中東は直前2週間で詰め込んだ。戦後史に至っては共テを勘で乗り越えて、2月に頭に叩き込んだ。世界史教師配布の冊子が有能だった。

そのほかに買った参考書は、


『アカデミア』

『世界史年表地図』


この二つだけ。

私大世界史対策をしている人の頭には、今頃疑問符が林立していることだろう。世界史は知識ゲーのはずなのに、一問一答系統の参考書がない。なぜこれで十分なのか?


理由は――後述しよう。







共テ明け。

過去問漬けの毎日。


2011年度英語、次の日には2011年度数学、また翌日は2012年度英語、その次の日に2012年度数学……。


やはり、毎日が英数だった。しかし今回はそれだけじゃない。学校の授業が無くなる分、文系はその時間を、代わりに社会科の対策に費やすことになる。




しかし。

問題は社会科の教科選択である。




東大以外は、共テが終わった時点で「二次試験で用いる社会科の教科」を決めねばならない。



作者は苦しんだ。

いっそ、東大に出願しようかと思うくらいには苦しんだ。

決められないのだ。


地理? 世界史? どっち。


東京大学は二次試験において文系に社会科2科目を課す。が、それ以外の国立文系は基本、二次試験の社会科を、1教科に絞って受けねばならない。

共テの社会科は2教科必須なのに。

ゆえに東大以外の国立文系は、選ばねばならない。


地理は解いていてとても楽しい。共テだって94点だ。でも、世界史と違って、思考力主体だから、数学みたいなものだ。作者は地理の共テ問題集で58点を取ったことがある。事故るときは事故る。


世界史は解いていてそんなに面白くはないが、暗記なので、やれば確実に点が入る。事故という概念が存在しない。知っていれば必ず解けて、知らなければ死ぬ。得点性は確実だが――その分、暗記に膨大な時間を割かねばならない。




すでに完成している地理。でも、事故は起きがち。

未完成で、二次に向けてこれから固めねばならない世界史。でも、点は安定する。




地理を取れば、もう完成しているから思う存分英語の対策が出来る。

もっと英語に時間を割ければ、これから社会を詰めねばならない英語得意勢の背中にとびかかる――とまではいかずとも、その差を縮められるかもしれない。

しかし、本番に事故はつきものだ。


世界史を取れば、本番の社会科は安泰だ。

でも、そのぶん英語は勉強できない。英語得意勢との差は、本番まで今のままだ。しかも、暗記が間に合わなければ社会科すら点数が取れない――ゲーム・オーバーだ。




国立の願書は2月3日必着。

その願書には、科目の選択欄がある。

1月16日から2月1日まで、毎日悩み続けた。いっそ、どちらも選ばないでやろうか――東大の願書を取り寄せた日もあった。今思えば危なかった。あの東大英語なんかできるはずもないのに、それに思い至る冷静さすら失った。世界史か地理か。蕁麻疹が出た夜もあった。それぐらい、社会科とは作者にとっての命であった。


数学だけじゃない。それは、英語の失点を取り返す一等星。

それが、作者にとっての社会科だった。


1月16日から2月1日まで、必要もないはずなのに、志望校過去問を、地理も、世界史も解いた。東大受験勢と並んで、英数国地世。二次試験5科目をやり続けたのだ。


世界史の偏差値は65。地理の偏差値は75。

世界史はやればもっと伸びる。でも、英語の時間が食われる。でも地理は事故る。




「助けてくれ。このままじゃ出願できない!」


クラスのオタクに訴えたところ。


「嘘だろ。まだ出願してないのかよ、もう月末だぞ」

「あぁ。社会科を選べなくて出願に失敗して浪人なんて、末代までの恥だ」

「おい落ち着け、おまえ結婚できないし子孫残せないだろ。お前が末代だよ」

「そうか、そうだった。安心したぜ」


胸をなでおろしたが、何の解決にもならなかった。


「つまるところ、これから30日やって、英語が伸びるか。世界史が伸びるか」


そう彼は言った。


「この二択だろ? お前は2月26日までに、英語と世界史、どっちの点数がより伸びるんだよ」

「……なるほど?」


時間は30日間。地理を選ぶと言うことは、英語を選ぶということ。世界史を選ぶかどうかの兼ね合いなのだ。


世界史vs英語


これから30日間。点数として、より伸びそうなのは――世界史か。


「それでも決まらなかったらお前の弟さんにでもサイコロ振ってもらえ」

「……おう。ありがとよ」

「まぁワイはそんな苦悩しなくていいんだけどな」


彼は東大受験生だった。憎らしい。


そして弟にサイコロを振らせて、世界史が確定した。








さて、世界史で出願した以上、世界史をやらねばならない。

しかし、英語の時間が食われるのは最低限に抑えたい。

すると必要なのは、効率の良い世界史の暗記だ。


先述したが、作者が世界史の受験勉強で用いたのはたった2冊――


『アカデミア』

『世界史年表地図』


この二つだけ。なぜこれで十分なのか?


理由は、国立文系の世界史は記述の大問ですべてをひっくり返せるからだ。

あと私大ほど世界史でキショいほど細かい知識を聞いてこないのもある。


世界史は一つの壮大な物語である。しかし、教科書もそうだが、大体の場合は文章で記される。『○○n世が△△王国の××王を◇◇した~』などという風に、文章だけで書かれている場合がほとんどだ。

しかし、そんな同じようなものを違うパターン云百種類覚えていては気が狂う。どうすればいいか?


漫画と地図を読もう。


最近の若者は本を読まないという。漫画やアニメばかりだ、と。

それもそのはず。活字小説より、漫画やアニメの方が楽に理解できるだろう?


世界史も同じだ。

文字という記号だけではすぐ忘れてしまう。文字は変わり映えのしない単調な景色だからだ。絵や写真、あるいは地図が付属して、はじめて情景として頭に入り、記憶として残るものだ。


世界史漫画を読もう。

主人公は歴史の人物だ。感情移入をすればなお良し。いっそう記憶に残るはずだ。


資料集を舐めまわそう。

この戦いにはこのような出土品がある。絵がある。遺跡がある。資料集にある図や写真を目に焼き付けて、情景として世界史を記憶するのだ。特に共テ世界史は写真や絵と関連させて出題するので、その対策にもなる。


そして一番大事な、『世界史年表地図』を見よう。

年表は人によっては要らないが、世界史地図は誰にでも役立つ。


ここには50年区切りで、世界の地図が変遷していく様が描かれている。

ページを捲れば、世界の地図が50年進むのだ。


この民族がこっちに移動した。

この国があっちに拡大した。

あいつらがそっちに殖民した。

貿易航路がこんな風に発達した。


各年代の世界の構図を、全て、絵で記憶するのだ。

文字では苦しい記憶容量も、画像記憶は一発で解決してくれる。

人の顔を覚えるのもそうだが、人間の記憶は画像主体だ。そもそも文字自体が情景の継承のために発明された記号に過ぎない。人間の脳は文字情報主体には動いていない。


同じ内容の物語を理解しなければなりません。

君は活字小説を読むか? それともアニメ版を見るか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る