ラプンツェルという女

「ラプンツェル!! 痛み止めありったけ持ってこい!!」

「は、はい!!」


 私は、いつの間にかエドガー先生付きの衛生兵となっていた。

 手当ての知識はあるが、実際にやるとなると手が動かない。包帯の巻き方からエドガー先生に習った。

 慣れとは恐ろしいものね。いつの間にか、大量の血や人間の内臓や肉を見ても、気にならなくなった。初めのうちは吐いたり、食事が喉を通らなかったのに。

 おかげで、ここに来て二ヵ月……私は、そこそこ使える衛生兵となっていた。

 仕事を終え、エドガー先生と一緒に夕食を取る。

 食堂には、仲間の衛生兵たちもいるが、和気あいあいとした雰囲気にはいまだにならない。なぜなら、この戦争が無駄な戦争だと全員が気付いているから。


「ラプンツェル。お前、手先が器用だな」

「そうですか? そんなこと、始めて言われました」

「ああ。お前、破れた隊服の修理とか、シーツを破って包帯代わりにするとかやってたろ? それに……お前が切った患者、傷の治りが早いんだ」

「そ、そんなこと」


 私が切った患者。

 エドガー先生に怒鳴られながら、メスを持ったのだ。

 剣で斬られ、お腹が裂けた患者さんだった。メスで皮膚を切り、内臓を縫って、再び皮膚を閉じる……私にはこれしかわからなかったけど、まるで現実とは思えない光景だった。

 

「いやぁ……驚いた。お前が切った患者の皮膚の傷が、まるで無くなったように綺麗なんだ。ありゃあ、とんでもない切れ口だ」

「私、先生に言われた通りにやっただけで……」

「ははは。まぁ、今度から皮膚切除はお前に任せよう」

「む、無理です!! 私、看護や怪我の手当ての勉強だけで、医師の真似事なんて」

「なら、目指してみたらどうだ? ワシが断言する、お前は医師に向いてるよ。なんなら、戦争が終わったらワシんところで勉強するか?」

「───……」


 ふわりと、世界が開けた気がした。

 医師。

 私が、医師。

 戦争が終わったらどうするかなんて、考えてなかった。

 クレッセント男爵家に戻るつもりはなかった。 

 平民として、どこかで暮らしていくんだろうなとは思っていた。

 

「ワシは町医者でな。この戦争には志願してきたんじゃ。息子も医者でな、まだ二十五の若造で……おお、お前さえよければ、息子と結婚するか?」

「け、結婚!?」

「ああ。ワシに似て美男子だ。きっと気に入ると思うぞ?」

「…………」

「なんじゃその沈黙は!!」

「い、いえ。ふふっ……」


 久しぶりに、心から笑えた気がした。

 医師になる。

 エドガー先生の下で勉強し、医師になり、エドガー先生の息子さんと結婚する。子供が生まれ、町医者として静かに子供たちと暮らす。

 そんな生活も、悪くない。


「…………先生」

「ん?」

「先生の弟子になる件、真剣に考えさせてください」

「うむ。ははは、時間はある。ゆっくり考えな」

「はい!」


 でも───私は、医師になることはなかった。


 ◇◇◇◇◇◇


 それは、突然のことだった。


「敵襲だ!! 国境が通過されて、ラグナ帝国軍が迫ってくるぞ!!」


 兵隊さんが、救護施設に飛び込んでそう叫んだ。

 私は、すぐに理解できなかった。

 すると、エドガー先生が言う。


「落ち着け。ワシらは怪我人の手当てをするだけだ。それに、いくら戦争中でも、命を救おうとしているワシらを殺すほど野蛮な連中ではないはず」

「せ、先生……」

「だが、ラプンツェル。抵抗はするな……敵軍であることに変わりない」

「は、はい」


 ラグナ帝国軍が、国境を突破。

 この駐屯地を拠点とするらしい。私たちは労働力として囚われた。

 駐屯地には、ラグナ帝国軍が雪崩のように押し寄せ、瞬く間に大量の物資が運び込まれた。

 救護施設にも、ラグナ帝国軍の怪我人が来た。

 エドガー先生は、黙々と怪我人の手当てをする。

 私は、どんな顔色をしているのだろうか。怖くて帝国軍の顔が見えない。


「へへ、女がいるぜ」

「ばーか。まだ早いっての」

「わかってるって」


 ゾワリと、舐めるような視線を感じた。

 自分で言うのもだけど……私の身体は肉付きがいい方だ。今、帝国軍の兵士さんたちは、私や他の女性衛生兵をジロジロ見ている。

 嫌な予感しかない。もしかしたら……慰み者にされる可能性があった。

 

「ラプンツェル。安心しろ」

「先生……」


 エドガー先生が、にっこり笑う。

 まるで、父親……ああ、私、エドガー先生を父親みたいに感じてる。

 

 ◇◇◇◇◇◇


 夜。

 女性の衛生兵が全員呼び出された。

 嫌な予感しかない。でも……従うほかない。

 野営地には、ラグナ帝国軍のテントがたくさん張ってあった。

 衛生兵たちが並んで登場すると、兵士たちが口笛を吹いたリ、軽口を叩いたりするのが聞こえてきた。

 何が起きるのか理解した仲間たちは、涙を流したり震えたりしている。

 私も、怖くて震えていた。


「オルトロス隊長、少しだけいいでしょ?」

「むぅ~……こういうのは好かんが、まぁ発散の場は必要だな。その代わり、傷付けたりするなよ?」

「わかっております! へへへ」


 隊長?

 私がチラリと横を見ると、獅子のような風貌をして斧を背負っている兵隊さんが、困ったように頭を掻いているのが見えた。

 さらに、エドガー先生がテントの近くにいるのも。


「おめーら!! おめぇらも溜まってるモンがあるだろう? 今日は特別に、彼女たちを好きにしていいぞ!! その代わり、順番でだ!! いいな!!」

「「「「「うぉぉっ!!」」」」」


 男たちの野蛮な叫びが、私たちの身体を打つ。

 ああ、私たち……これから慰み者にされるんだ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ……ああ。

 私は、涙があふれていた。


「お嬢さん。こう見えてオレらは紳士なんだ。た~っぷり楽しませてやるから安心しな」

「ひっ……」


 同僚の顎をくいっと持ち上げ、兵士はニヤリと笑う。

 これが捕虜の、女の捕虜の道。

 ほんの少しでも、結婚や家庭に幻想を持ったせいで、余計につらかった。

 そんな時だった。


「お、お待ちください!!」

「あぁん?」

「その、どうか、どうかそれだけはご勘弁を!!」

「なんだ、ジジィ……? 死にたいのか?」

「え、エドガー先生!!」


 エドガー先生が、私たちの前に出て、土下座した。

 私たちを守るために、身体を張ったのだ。


「彼女たちは全員、未婚なんです。どうか、どうかそれだけはご勘弁を!!」

「……ジジィ、お前、自分が捕虜ってことを忘れてないか?」

「……承知の上です。それでも、どうか」

「やれやれ。一つ忠告だ。オレらは、お前たちに優しいわけじゃない。征服する国と、される国。その立場は変わっちゃいないんだ」

「は、ハイ……」

「だから───これは見せしめだ」

「えっ……」


 兵士は剣を抜き───エドガー先生を斬った。


「っが……」

「え……エドガー先生!? いやぁぁぁぁぁぁっ!!」

「あ、こら動くな!!」


 私は兵士を振り切り、エドガー先生の元へ。

 エドガー先生は、肩から脇腹まで斜めにバッサリ斬られ、血が出ていた。


「エドガー先生!! エドガー先生!!」

「ぐ、あ……す、すまん、ラプンツェル」

「しっかり、しっかりしてください!! ああ、なんで……」

「……どうか、生きて」

「先生……」


 エドガー先生は、私の手に何かを握らせ───そのまま、動かなくなった。

 血に濡れた両手。

 ああ───どうして、こんなことに。


「おいお嬢ちゃん、列に戻りな。わかったろ? 抵抗すればこうなる。抵抗しなきゃ生きていられる」

「…………」


 どうして、こんなことに。

 私は、お腹の奥底にしていた蓋を、パカッとあけた。

 そこに、エドガー先生との思い出を入れる。

 思い出を覗き込むと───ああ、酷い。


『ラスタリア王家からの命令でな。国軍の前線に送る衛生兵が足りない。ラプンツェル、お前は男爵家の代表として、衛生兵として出征するのだ』

『ええ。ま、いいじゃありませんか。どうせ、この家にいても籠の鳥ですし? もしかしたら、戦場で素敵な出会いがあるかもしれませんよ?』

『お姉様、どうか生き残ってくださいね? 最前線の救護施設にも、銃弾は飛んできますから』

『まだ何かあるのかい? 全く、リリアンヌの衣装選びで忙しいの』


 思い出すのは、家族の顔。

 全員、私に興味なんてなかった。

 私がここで死んでも、表情すら変えないだろう。

 妹のリリアンヌ……私の婚約者を奪い、悠々自適に暮らしていく。

 両親も、侯爵家と繋がりができて、喜んでいるだろう。

 私は、こんなにも辛いのに。

 せっかくできた夢も、ここで消えた。

 医師になり、結婚し、家庭を持つ。

 私が、何をしたの?

 ただ、生きてるだけなのに、どうしてこんなにつらいの?

 なにが、悪いの?

 そもそも……戦争なんてしなければ。

 ラスタリア王国が勝てるわけないって、みんな知ってるのに。

 ラスタリア王国がさっさと降伏しちゃえば、戦争になんて行かなくて済んだのに。

 

「…………ラスタリア王国」

「あ? お嬢ちゃん、さっさと列に───っつ」


 私は、兵士の手を払いのけた。


「いてて、何すん───え?」


 ポロリと、兵士の手から何かが落ちた。

 それは……指。

 私は、エドガー先生から渡されたメスで、兵士の指を切り落とした。


「ひ、っぎゃぁぁぁぁぁ!!」


 もう、どうでもよかった。

 あふれた『何か』は、私の全身を駆け巡る。

 それは、『怒り』となって、私の全身を包み込む。

 なくなった指を探す兵士の頭を蹴り、腰に差していた剣を抜いた。


「な、お前ッ!!」

「うる、さい……ッ!!」


 傍にいた兵士が剣を抜き、私に斬りかかる。

 でも私は、見えていた。

 剣なんて握ったことがないのに───相手の動きがよく見えた。

 相手の振り下ろしを半歩ずれて躱し、そのまま持っていた剣を顎に叩きつける。

 斬るのではなく、剣の腹で叩く。

 兵士は脳震盪を起こし、気絶した。

 周囲が、一気に騒がしくなった。

 でも、私には関係ない。

 私は、ここで死んでもよかった。

 ただ、怒りのままに───溜まった物をブチまけたかった。


「もう、どうなってもいい!! もう、もう……もう、全部嫌なの!!」


 剣を握り、涙を流し───私は、泣きながら兵士の群れに突っ込んだ。

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