刀、交わり

 長唄は、大太刀をしっかと握り締めた。

 来るからだ。

 当代最強・最悪の剣客。浄瑠璃一族の怨敵。討たねばなにも始まらぬ男。


「我が刀に賭けて、うぬは滅する」


 低い声と重い足音が、ビシビシと己へ向けて叩きつけられる。

 無意識の内に、長唄は腰を落とした。

 踏ん張らなければ、ただ滅ぶのみ。殺意が威圧感となり、肌と心をさいなんでいた。


「覚悟は不要」


 柳生獣兵衛。紛れもなく、最強の敵。

 その敵が、ようやくこちらを直視した。

 刀を正眼に構え、気だるさ一つなく睨み付けてくる。


「……」


 長唄は、その仕草一つで理解した。

 柳生獣兵衛とは、『暴』である。

 彼の振るう技はすべからく暴力であり、全てを消し飛ばす威力を備えている。


 だが『暴』だけが全てではない。

 彼が振るう暴力、暴威の根底には、確かな柳生の教えが流れている。


「ッッッ!」


 だからこそ長唄は、先手に踏み切った。

 ひび割れた大地を踏み越え、音を越えた一撃を浴びせんとした。


「己を奮い立たせずに踏み込むか。その意気や良し」


 だが獣兵衛は、あまりにも冷静だった。

 刀――村正・雷――で冷たく捌き、剣閃を弾く。

 長唄は間合いを取らざるを得ず、数歩引いてしまった。


「断」


 そしてそこを逃す獣兵衛ではなかった。

 襲い来るのは、真正面からの唐竹両断。

 先刻ゆっくりに見えたものとは、桁違いの雷速斬り。


「ぬんっ!」


 故に長唄は踏み込んだ。

 刀で受けては、いかに朱鞘大太刀といえども耐えられるかは不明。避ければ間合いは遠のき、制空圏が待ち受ける。

 ならば突っ込む。刹那、寸毫の決断だった。


「ぐううっ!」


 肩の辺りを、獣兵衛の豪剣が撫でていく。

 だが歯を食いしばり、己をあやつる。

 狙うのは面を避けての面。両断返し。


「気概は褒めてやろう。だが遅い」


 刀が両断するかに見えた刹那、獣兵衛が消える。

 否、己の進撃に対し、更に向かってきていた。

 炸裂するのは、暴威の体当たり。


「ぐぼっ」


 土手っ腹。臭気も闘気も込みで、モロに受けた。

 そのまま体重をかけて押されれば、長唄の身体はたやすく宙に浮く。


「ごぼっ」


 噴き出る。反吐に鼻水。撒き散らされる。

 宙に浮いた身体は物理法則に従い、数歩にわたって吹っ飛ばされた。

 痛みと気分の悪さが入り混じり、立とうにも立てない事態が続く。


「ぐううっ……ゔぇええっ!」


 長唄は吐いた。

 たいして物も食っていないはずだというのに、嘔吐は止まらない。

 血の混じった吐瀉物が、次々にこみ上げ、溢れ始めた。


「弱敵」


 冷たい視線が、そんな己を射抜く。

 顔を上げる。一歩の距離に、獣兵衛がいた。


「介錯してやる。頭を垂れろ」


 三度。いや、四度か? またしても下る死刑宣告。

 長唄は反吐を従えたまま、顔を上げた。


「ぬんっ!」


「ぐううっ!」


 叩き伏せ、首を断ち割らんとする獣兵衛の剣。

 長唄は苦し紛れに、獣兵衛側へと転がり込んだ。


「ちっ!!!」


 獣兵衛が退く。長唄は数回転して立ち上がる。

 長唄は断ずる。このままでは、己は獣兵衛に届かない。

 己をなに一つ差し出さずして勝利を得ようなど、おこがましい。


「あ゛っっっ!!!」


 長唄は真っ直ぐ踏み込んだ。

 獣兵衛相手に、大技を振るうなど愚の骨頂。

 それよりも、今行うべきは。


「おおおっ!」


 攻めること。

 腕が千切れようが足が棒になろうが、己をあやつり、動かし続けること。

 それ以外の勝機など、まやかしか誘いである。乗ってはならない。


「ちいっ!」


 必然、刀から想いは伝わる。

 獣兵衛は刀を操り、防戦に回る。

 しかし全てを防御に注ぐ訳ではない。隙を見つければ、襲い掛かる。


「ヌルい」


 獣兵衛の防御が刀を弾き、唐竹割りの好機を生み出す。

 獣兵衛は刀を振り上げ、この諦めの悪い敵手を葬らんとした。


「があっ!」


 しかし長唄は後ろへと跳ぶ。己をあやつり、強引に凶刃から逃れ去る。

 だが逃れ去るだけには留めず、幾度目かの攻勢に取り掛かった。

 身体は軋む。頭が痛む。呼吸は荒れる。それでも、やらねばならぬ。


「オオオオオッッッ!」


「滅ばぬかッッッ!!!」


 迎え来たのは裂帛の攻め。獣兵衛の苛立ちを、長唄は受けた刀から痛感する。

 当然手は痺れ、今にも刀を取り落としてしまいそうだった。

 しかしその度、己を操る。猛火咆哮の如き攻めを耐え切らずして、機会は生まれ得ぬのだ。


 ギインッ、ギィンギインッ!!!

 ガン、ガンガンッ!!!


 両者の攻勢が交錯し、番外地には鈍い音が鳴り響く。

 獣兵衛の攻めに対し、今の長唄は己の身さえも差し出す覚悟だった。

 事実、見よ。長唄の右目が裂かれている。常軌を逸した踏み込みの、代償だった。


 両者は切り合う。時に肉体をもって敵手に一撃を喰らわせる。

 主に代償を払うのは長唄だった。右の目を失った直後、左の肘先を斬り飛ばされた。

 今は高揚が直視を避けているが、いずれ現実を見ることになるだろう。


 それは無粋か。否。このような状況だからこそ、起こり得たのか。

 柳生獣兵衛は、突如後ろから組み付かれる感覚を得た。同時に、脇から腕がのぞいた。

 これは。


「長唄どの! 今ぞぉ!」


 正体は、中村剣兵衛による羽交い締め。

 この戦が始まってから初めて、長唄は友にして仇たる男の声を聞いた。

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